P.トーディ / ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン


この秋から冬にかけて、いつも拝読させてもらっている読書系ブログの方々がこぞってこの本を読んでいらして、みなさんそろって好評を記されていた。しかも(いつものことながら)それぞれに上手に感想をしたためられていて、大したものだなーと感心しながら、焦ってしまった。
国内の人気作家でもないのにどうしてこれを知っているのだろう。毎月無数の新刊・話題本がある中でこれに目をつけたのはなぜか(\2,600の本だということも含めて)。自分の知らないところで密かに話題になっていたりしたのだろうか?
やれやれ、本読み連中というのも困ったもんだ、などと呆れつつ、なんだか自分だけ置いてけぼりをくったような気がして、実はちょっと寂しかったのだ。


大好物の白水社の作品でもあって「絶対自分も読まねば!」と決めていたのにこんな時期になってしまった。



【 ポール・トーディ / ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン (379P) / 白水社エクスリブリス ・2010年(101219−1222)】
The Irresistible Inheritance of Wilberforce by Paul Torday 2008



・内容紹介
 ボルドーワインの迷宮に足を踏み入れ、その虜となった実業家ウィルバーフォース。あるワイン蒐集家と知り合い、古い屋敷と膨大なコレクションを受け継ぐことになるが、そこには驚くべき悲劇が待ち受けていた…。四つの「ヴィンテージ」を遡りながら、苦いユーモアに満ちた語りで明かされる人生の浮き沈み。


          


主人公は三十代のITベンチャー企業の元社長。自ら立ち上げたソフトウェア開発会社を軌道に乗せるために仕事一筋に生きてきた。友人も恋人もいない。酒は飲まないしこれといった趣味もない。仕事漬けで会社とアパートを往復するだけの毎日を十年以上も送ってきて、そのことにいささかの疑問も感じたことがなかった。そんな彼がたまたま立ち寄ったワインセラーの主人の人柄に惹かれてワインに興味を持つようになったのだが……
概略をかいつまめばこんな感じなのだが、この小説は2006年、2004、2003、2002年と主人公の現状からさかのぼっていく。冒頭の2006年ではワイン浸りと借金苦で再起不能らしい彼の様子が描かれていて、ではいかにしてウィルバーフォース氏は転落したのか、あるいは今や見る影もないが彼は以前はどんな人物だったのかを明らかにしていくという構成になっている。
オーソドックスに年代順に語るのではなく、あえて逆に配置したことの効果を楽しめるのがこの作品の要。
主人公はワインを「高級な趣味」としてたしなみ身を持ち崩していくのだが、フランスやイタリア人ならばワインを「文化」として描くことができるだろう。そういう意味でもこれはとても英国的な作品だったといえると思う。



ウィルバーフォースはニューカッスルの人間だ。なのにサッカーには興味がなくニューカッスル・ユナイテッド(NUFC)のホームスタジアム、セント・ジェームス・パークには一度も足を運んだことがないという(彼の片腕アンディは顧客とスタジアムに行ったりしていたというのにだ)。2000年代初めのニューカッスル。名将サー・ボビー・ロブソンと不動の大エース、英雄アラン・シアラーの時代だ。サッカーファンとしては、つい肩を叩いて「そりゃまずいだろう、ウィルバーフォース君」とでも言いたくなる。もっとも彼がTOON ARMY(熱狂的NUFCサポーターの愛称)だったりしたら、ただ陽気で大酒飲みな乱暴者の与太話になっていたかもしれないが(笑)
ともあれ、彼に白黒の名門ジャージを着せて‘聖地’に引っぱっていくような友人はいなかった。仕事以外の世界は何も知らない、興味も示さない、お世辞にも一緒にいてあまり愉快なタイプではなかったのだろう。そんな人づきあいの苦手な彼が自分の孤独を自覚して、殻を破ろうとはした。そして新しい世界が開けたように見えた。
いいところで「君はどうしたいの?」とキャサリンに問いかけるウィルバーフォースには本当にイライラさせられた。やっぱり彼には「重要なパーツが欠けている」― のだとしたらそれは‘アラン・シアラー的なもの’だったろう(←何だそれ?)



ワイン商の男を通じて彼は初めて仕事以外の世界を知り新たな友人との交流を持つようになる。親しくなったキャサリンの婚約者は広大な屋敷に住む侯爵子息。ウィルバーフォースにワインを教えた初老の男も元々は荘園領主の家系で没落貴族であるのは先に読んだW.トレヴァーの作中人物像と重なるものがある。紫色の小さな花々の群落が風に細かに揺れる‘ヒースの丘’の光景が随所に登場するのも英国文学の必要条件を満たしている。
もしこの小説を最終章から、つまり時系列に沿って追ってみれば、主人公の印象は少し変わるかもしれない。彼の一大転機となる決断も「たまたまの成り行き」だったのではなく「必然」だったのかもしれないと思われるからだ。
キャサリンは「人生は予期されたものでなければならない」と言い、ワイン商の男は「人は誰でもどこかに所属する必要がある」と語る。ではウィルバーフォースはどうなったのか?という即断はしなくても良い。
仕事の契約、キャサリンの婚約、そしてワインのコレクションを引き継ぐ約束。これは「不確かな約束」に関する物語でもあって、その時々には崇高にも思えた判断が必ずしも永遠のものとは限らないことを苦々しく思い出すとき、この主人公に起きた変化も決して縁遠いものとは思えないのだった。



ウィルバーフォース氏の人生の結末はまっさきに冒頭に書かれている。しかし小説の結末は明るい未来を示唆した過去にある。
もし彼がワインなんぞにうつつを抜かさなかったらと考えるのは簡単だ。そのコレクションも実は彼が思いこんでいるほどの価値はなかったかもしれないのだ。だが、天秤にかけられていたのは果たしてワインだっただろうか?自分が読んだのはワイン浸りになって堕ちていく男の物語だっただろうか?
はっきりとした答えは浮かんでこない。人生の結末=解答ではないとも思いたい。曖昧に「英国的」という言葉を掲げて逃げるわけではないが、ちょっとすぐには浮かんでこないのだが、でもこの感じ、こういう余韻が自分は大好きだ。


男性と女性で主人公への共感にちがいがあるかもしれない。ただ堕落していくアル中男の話と受け取るか、そればかりではないと見るかで評価は割れるかもしれない。自分が見させてもらっている本好きブログの方々は後者が多くて、さすがにお目が高い方ばかりだとあらためて思った年の瀬。



これでひとまず今年の目玉商品は読み納めだと安心していたら、もう一冊読み忘れがあったのを思い出してしまった! 年内、行けるだろうか……?