上田早夕里 / 華竜の宮


一週間ほど前の夕刊文芸欄に某・著名書評家が今年の小説界を回顧した記事が載っていた。それによると2010年の2トップは北方謙三宮部みゆきで、それに続く作品としてこの『華竜の宮』が挙げられていた。その幅広さというか節操のなさというか、この三者を同列に並べて語ってしまうセンスに感服してしまった。


昨年は『地獄番 鬼蜘蛛日誌』『魚神』『月桃夜』みたいなゾクゾクする幻想作品があったけど今年は出会わなかったなと思っていたら(自分が読んでいないだけかもしれない)、最後に来た!

短篇集『魚舟・獣舟』 が実に強烈で印象的だった上田早夕里さん。パティシエの作品とかも書かれていたのでアレ?と思っていたら、こんなスゴイのを準備していたのだった。
「魚舟・獣舟」のスピンオフ作品、というか、こちらが本篇か。二段組み、六百ページ弱。年内読了は無理かと思ったが、読み始めたら止まらなくなった!



【 上田早夕里 / 華竜の宮 (592P) / 早川書房 Jコレクション・2010年 (101223-1227) 】



・内容紹介
 陸地の大半が水没した25世紀、人工都市に住む陸上民の国家連合と遺伝子改変で海に適応した海上民との確執の最中、この星は再度人類に過酷な試練を与える。黙示録的海洋SF巨篇!



          



250mもの海面上昇によって大陸平野部が水没してしまい、残された人類は陸上民と海上民とに別れて生きている未来世界。苛酷な海洋環境に適応するよう改変された海上民の女は必ず双子を出産する。一人は人間の赤ちゃんで、もう一匹は魚の子。出生後すぐに海に放された魚は十数年の時を経て巨大な「魚舟」に成長して戻ってきて人間の兄弟と《朋》の契りを結ぶ……という傑作短篇「魚舟・獣舟」の世界観にさらに地殻変動で終末が近づく人類最期の戦いを絡めて描く。
《朋》と再会できなかった魚舟は獣舟へと変異して上陸してくる。それをなんとか水際で阻止しようとするのだが、新生物の驚異の環境適応力を目の当たりにして人類は立ちすくむしかない。短篇では浜辺のおぞましい光景を現出するのにとどまっていたが、本作では魚舟と人類の関わりが克明に語られ、背景にある環境の激変と人類の政治的対応を通して「ヒト」も含めた生物のあり方を問う作品になっている。

 〈操船の唄〉が流れ始めると、魚舟は人間の指示に従い、海を駆け、海に潜る。血の契約を呼び覚ますその音楽は、海洋という苛酷な環境下で両者の利害が一致していることを確かめ合う術だ。高周波で奏でられる合唱を不可視の衣のようにまといながら、数多の魚舟が波を蹴立てて進む様は、さながら〈遊泳する巨大オーケストラ〉とでも呼ぶべき光景だった。


読み始めてじきに「これは『獣の奏者』の海洋版かな」という予感を持った。海上民は魚舟を唄で操って船団コミュニティを形成しながら広大な海で暮らしている。しかし海洋資源(海底には旧文明の莫大な資産が手つかずで沈んでいる)をめぐって政治統治権を持つ陸側が彼らに干渉しだす。陸と海にある差別構造。人と獣の線引き。監理と自由。そんな対立軸をもとに物語は進んで最後にはきっと人と獣の共同戦線が勝利を治めるのだろうと勝手に想像していた。
しかし物語はそんなファンタジックには展開されないのだった。
海上民とて陸上文明と無縁で完全に自活できているわけではない。生活必需品は陸との交易に頼るしかなく、海上で猛威をふるう新型ウィルスには政府公認のワクチンが必要なのだ。国籍取得と租税、社会保障制度を無視したまま漂流するのは生命の危機に際してどこにも支援を要請できない。
そうした現実的な問題が緻密に織りこまれて(この辺りが見事!)、単純な陸側の強権と海側の自由の二極対立の構図ではない複雑な構造が提示されていく。
だからこれは環境SFである一方で片足はきな臭い政治(=人間のあり方)に置かれた小説になっているのだった。



主な語り手は日本人外交官の青澄(あおずみ)…ではなく、彼のアシスタント知性体・マキ。彼は人間のボディを与えられていてパートナーと常時行動を共にしている。青澄本人ではなく人工知能の目(脳?)を通して、ワンクッション置いた形で二通りの人種を見つめるその語り口がユニークで、ときに人間以上に思慮深いのが面白い。
陸側の政治家のエゴを嫌い、同じ人間として海上民を保護しようと奔走する青澄はどこまでも理想主義者でユートピア的思想のままなのが青臭くて甘い。登場する政治家や官僚は出世と自己保身にばかり必死な汚い連中ばかりに見える一面的な描き方も少々気になる。現在の国境はなくなったとしても、どんな社会になっても絶えることはないだろう人種や宗教の対立もこの世界には反映されていない。冷静に振り返ればそんな諸々の欠点も浮かび上げってくるのだが、それらを補ってあまりある魅力的な ―荒々しい原始的形態でありながら未来なのだという― 海洋世界のイメージが完璧に構築されていて、そのロマンに押されに押されて、読んでいる間はほとんど気にならなかった。
船団のリーダー・ツキソメと彼女の舟‘ユズリハ’や海上警備隊長・タイフォンと彼の‘月牙(ユエヤー)’にもっと活躍する場面があると良かった。全長三十メートルにもなる巨大魚が愛しく思える瞬間すらあったのだ。個性的な登場人物と魚舟たちがもっとストーリーに絡んでくるのを期待していたのだが、後半は同時進行していたいくつかのエピソードが人類の結束を訴える青澄の外交折衝に集約されていくのだった。

 正直に言わせてもらうと、僕は、人間がしばしば陥るこの種の自己憐憫があまり好きではない。叱責したり励ましたりするとかえって落ち込み、なだめると逆に怒り出す。人間の内面は複雑すぎて、人工知性体には手に負えない部分が多い。僕たちのように論理性だけでは動かないので、通常の演算では、適切な措置を弾き出せない場合も少なくない。


最後にはカタストロフまで行ってしまう大巨編なので、未解決のまま残される謎もいくつかある。海上民の最大の脅威である致死性ウィルスを放出するクラゲと猛毒を持つウニの関係。魚舟→獣舟→疑似人間への変異。ツキソメの正体と最期…等々。
中でも人類が支配する陸地で人間へと変態するらしい獣舟は元々は人体から生まれた生物なのであり、いかに凶暴な肉食獣と化しても彼らは人間ではないか?という問いは種としての人間のあり方を突きつけてくる。獣舟の存在は種を改変する人類への天罰のようにも思えてくるのだが、これの結着は書かれていない。近い将来クローン人間が誕生したときには、きっとここに書かれているのと同じような問題に人類は直面するのではないだろうか。倫理学的な「ヒト」と生物学的な「ヒト」の相克もこの作品が孕んでいる重大なテーマなのだ。
遠い未来の物語なのに本作が生々しくて恐ろしいのは、現在の文明が水没すれば、そのときにはただ海水に呑み込まれるのではなく大量の人工化合物質と化学薬品や油脂溶剤が海中に溶け出して必ずや生態系を変えるだろうという出発点の正確な厳しさにある。温暖化で海面が数センチ上昇する話は昨今少しも珍しくないけれど、陸地が浸食されている事実は一方で確実に海洋への非自然物質の流入も増しているはずで、それは現在も日々続いているのだ。現在の一般的な(大気への関心ばかりの)環境意識とは一線を画す筆者の現実への公正で冷徹な視線がSF的設定を越えたリアリティを生んでいるのだと思う。

読み終えてみれば、その世界観に圧倒されつつ、まだ欲求不満も覚える。これで終わってほしくない。疑似人間に変異する獣舟をこのまま野放しにしておいて良いはずがないではないか!そっちの方はどうなるんだ、どうなってしまうんだ?としばらくは胸騒ぎも収まりそうもない。
これだけでも大変な力作なので無理は言うまい。でも、この作品は終わったかもしれないが、幕が下りていない世界がこの中にはある。いつかその世界の続きを読めるのを期待しつつ、ひとまずこの書を閉じる。