後藤正治 / 清冽 詩人茨木のり子の肖像


この本を買いに行って、「詩」のコーナーで何冊かの詩集を手にしてみた。作家別に編集された詩選集のようなものではなく、オリジナルの単体詩集。『倚りかからず』など茨木さんの作品もいくつか見ることができた。小さな出版社から出されている、薄くて余白が多くて、だけど、装丁装画にもポエジーが宿る一冊一冊。
現在でもそんな本たちが出ている。ビジネス書なんか全部デジタルにしちゃえばいい。詩集や絵本は店頭に残せばいい。そうすれば本屋はもっと本屋らしくなる。



【 後藤正治 / 清冽 詩人茨木のり子の肖像 (270P) / 中央公論新社・2010年11月 (110124-0127) 】



・内容紹介
 二十世紀の末に詩集としては異例のベストセラーになった『倚りかからず』などで広く知られる茨木のり子(1926-2006)。彼女の生涯と、数々の詩を生み出した清冽なる精神に迫る初の本格評伝。


          


中日新聞・日曜朝刊の読書欄に小池昌代さんの本書評が出ていてこの本を知った。小池さんは同業者として茨木のり子のことを書いていた。
他メディアでもおおむね好評を得ているようだが、自分にはもの足りなかった。茨木のり子が‘清冽’なる人であったろうことは彼女の作品を読めば想像がつくことだ。また、背筋の伸びた涼やかなまなざしの、彼女のモノクロのポートレート一葉からでも周囲に惑わされない芯の強さは伝わってくる。
冒頭で著者は「詩人は遺した詩集に尽きているのであって、いらざることをすべきではない」のではないかと迷いながら、それでも、と執筆動機を語っている。しかし、自分にはとうとう最後までその熱は伝わってこなかった。
本書は「婦人公論」の十七回にわたった連載を再編集したものとのこと。故人の評伝は「書いた者勝ち」である。著者は畑違いのノンフィクションライター。そうした要素を考えると、この程度も仕方ないかというのが正直な感想。



茨木詩の代表作に挙げられる有名な作品のほとんどが、各篇そっくり掲載されている。その引用の前後には専門家ではない著者の感想(解釈)・解説まで記されている。
もちろん、茨木の著作権管理者、親族の同意と協力のもとに本書(と雑誌連載)は成り立っているはずだ。詩人の評伝に作品掲載は避けては通れないものかもしれない。しかし、当の茨木のり子本人が生きていたなら、こうしたスタイルで自分の詩が掲載されることを許しただろうかと考えると、首を捻ってしまう。
もちろん著者に悪意はない。茨木詩の良さを知らせたいという思いの強さは十分伝わってくる。だけど、ニワトリと卵じゃないけれど、「詩」か「人」かと問うたなら、詩人の場合は必ず「詩」が先なのではないか。「詩は文芸の最上位に位置する」と書いていながら、著者には詩芸術へのリスペクトはさほどでもなさそうなのだった。
詩というのは一節一句に吸引力があって、どこかでたまたま触れて胸にくすがった言葉のその疼きをきっかけにして作品へとたどり着く、そういう経験なのだと思う。たぶん著者の後藤氏だって、そういう形でいくつもの詩篇の存在を知ってきたのだと思う。
内面の響鳴板を震わす言葉を手探りする自発的作業をしないで、作家伝の中に雑文と一緒にまとめられた詩作品を読んでしまうことは、詩を求める心に、また、詩そのものにとっても、けして幸せなことではないだろう。



茨木のり子と交遊があった者(谷川俊太郎さん、岸田衿子さん、元NHKアナウンサー山根基世さんら)、近親者への取材は丹念だが、それはノンフィクション作家の当然の事務的作業でもある。構成にやや散漫な点が見うけられるのは雑誌連載の縛りがあったからだろうか。
たとえば、のり子と夫・Y氏との夫婦関係。十一歳で死別した母と継母との関係。茨木のり子の人生にこだわるわりに、いずれも淡泊な記述である。
本読みとしての自分が知りたかったことの一つは、彼女がどの作家を好み、どんな本の影響を受けたのかということだった。何が彼女を詩へと導き、彼女はどうやって言葉のセンスを磨いていったのかということだった。
戦後、「女性も技術を持たなければいけない」という進歩的な父の勧めで大学で薬学の勉強をしながら文芸作家への憧れを捨てられず、戯曲や童話を書いていた彼女がついに詩を志す、その詩人誕生の瞬間に本書では立ち会えない。「戦争は一人の詩人を産み落としたのである」だなんて、ずいぶんあっさりまとめてあるが。軍国少女だったのり子が「詩こそ我が道」と思い定めたのはいったいいつなのか。そこにこそ、この人の最大のドラマ(運命)があったはずではないのか。
終戦を境に価値観が大きく変わって女性の社会進出が盛んになった激動の時代。太宰治に「斜陽日記」を渡して自分も作家デビューできると信じ続けた文学少女・太田静子さんのように、女流作家への夢を追った多くの若い女性たちがいたはずだ。しかし、そうした希望に燃えた若者の一人としての茨木のり子の青春像が全然見えてこないのはつくづく残念だった。
自分は初期の‘わたしが一番きれいだったとき’などには林芙美子が『放浪記』中に落書きのように書きつけた散文詩(「 さあ男とも別れだ泣かないぞ! / しっかりしっかり旗を振ってくれ / 貧乏な女王さまのお帰りだ 」…のような)と同種の、涙にくれながら前を向こうとする虚勢のいじましさや切なさを感じる。
戦時に思春期を過ごしたのり子が「本の虫」であったことは他書で知っていたが、本書は彼女の文学体験にまったく触れていない。結局、どれだけ旅と取材を重ねたところで言語感覚に疎いままなら詩人なんて描けやしないのだ、と思ってしまった。



本書が全般につまらなかったわけではないし、内容が特に悪いわけでもない。これまで茨木詩に接したことのない人には適当な入門書となるのかもしれない。
だが、黒岩比佐子堺利彦『パンとペン』や松本侑子の山崎冨栄『恋の蛍』と比べてしまうと、この茨木のり子は生きていない。「清冽」というキーワードが始めにあって、取材をそれに当てはめただけのように感じてしまう。彼女は良家に育ち、良妻であり、品行方正なお行儀の良い人で、波乱破綻に無縁の人生だった。そんな大筋に甘えてしまったのではないか。
風吹かぬ森から、波立たぬ海から、どうしてあのような詩の数々が生まれよう。茨木のり子が一篇の詩にどれだけのエネルギーを注いだか、どうせならそんな刺激的な創作風景をこそ再現して見せてほしかった。それには当然それに対抗するだけのエネルギーが必要なのだが。
茨木のり子という人がどう生きたのか、その私生活を知りたいとは思わない。彼女が詩人として書いた詩と文章から伝わってくるものだけを汲む、それで十分なのだから。
自分なりの好評伝の条件の一つを書けば、執筆者の主観が取材対象に一致同化する部分があるかどうか。過去をさかのぼって取材する者が時を越え本人と同期して追体験する瞬間があるかどうか。そしてそれを読者にも経験させられるかだ。自分は本書を読んでも最後までそんな予感を得ることはなかった。感性が乏しいのだろうか?

 「 自分の感受性くらい / 自分で守れ / ばかものよ 」


          



「清冽」という言葉は『倚りかからず』に収められた四連詩‘鶴’の中にあった。
越冬地のインドに向かい九千メートル級のヒマラヤ山系を越えていくツルの群れの映像を見た彼女は、こう記している。

 なにかへの合図でもあるような
 純白のハンカチ打ち振るような
 清冽な羽ばたき
 羽ばたいて 羽ばたいて


 わたしのなかにわずかに残る
 澄んだものが
 はげしく反応して さざなみ立つ