宮下奈都 / メロディ・フェア


そろそろ『きことわ』をと行った書店で、「おっ!」宮下さんの新刊発見! 何を買いに行ったのかすぐ忘れてしまうのはいつものことで、またしても『きことわ』は延期。そういえば『天地明察』もまだだ…


でも、何をおいても宮下奈都。今回のも良かった! すぐに読んでしまうのはもったいないと思いながら、二晩で読了。



【 宮下奈都 / メロディ・フェア (256P) / ポプラ社・2011年 1月 (110212−0214) 】



・内容
 大学を卒業した私は、田舎に戻り「ひとをきれいにする仕事」を選んだ。けれども、お客は思うように来ず、家では化粧嫌いの妹との溝がなかなか埋まらない。そんなある日、いつもは世間話しかしない女性が真剣な顔で化粧品カウンターを訪れて― いま注目の著者が、瑞々しさと温かさを兼ね備えた文体で、まっすぐに生きる女の子を描く、ささやかだけど確かな“しあわせ”の物語。


          



今回は化粧品販売店が舞台。たぶん女性の方がよくわかると思うので、内容についてはなるべく触れないで書こうと思う。


「メロディ・フェア」といえば(最近の若い人は知らないだろう)ビージーズ初期の、というよりはイギリス映画『小さな恋のメロディ』のあの曲。メロディ役の少女トレーシー・ハイドとマーク・レスターの、淡い淡い初恋物語を飾った爽やかな曲だった。
劇場公開は1970年代初め。自分はリアルタイムに観たわけではなく、公開後何年も経っているのに「ロードショー」誌の人気投票でトレーシー・ハイドが常に上位にランクインしていたことからこの映画を知ったのだった。
たしかあの映画にもメロディが母親の口紅をこっそり塗る場面があったと思う。本作の主人公は、東京の大学を卒業後、帰省して地元の化粧品販売店で働き始めた口紅好きの女性。彼女の職場は郊外の巨大ショッピングモールにあって、毎日夕刻の定時に店内放送で「メロディ・フェア」が流れるのだった。



東京から北陸の小都市で暮らし始めるのは前作『田舎の紳士服店のモデルの妻』と同じ。今作では会話に方言が使われていて、いつもの宮下作品とは少し違うリズムがあって楽しかった。モノローグで読ませるというより、一言足りなかったり勘違いしたりのもどかしい会話がストーリーに大きな比重を占める作品だった(笑える場面もけっこうある)。
学生から社会人になったばかりの主人公という点では『スコーレNo.4』の麻子を思い出すのだが、就職したての浮き沈みの激しい気分は昔の自分と重なる部分もあって甘酸っぱい気持ちになる。だけど、それだけではない。化粧品店の美容部員としてプロフェッショナルな仕事とはどういうものかも、さりげなく書きこまれている。麻子が総合商社の出向社員として本望ではない靴屋で懸命に働く姿も『スコーレ』では印象深かった。うぶな若者が主人公ではあっても、客観的に彼らの職業の実務の厳しさも同時に伝える。だから物語が自然で説得力のあるものになるのだと思う(丸谷才一の謂う「労働生活が精神生活に及ぼす微妙な陰影」というやつだ)。



物語は途中で同級生や前任者と出会う件りで「どうしちゃったんだ宮下奈都?」というこれまでにない(少々悪ノリした?)新たな一面を見せつつ、端正なムードが大きく乱れることはなく、ラストに見事に結びつける。売り上げを伸ばせないで焦る若い主人公が接客でうまく対応できたり空回りして失敗したりの一喜一憂も初々しく、誰もが通る新人時代を神妙に、ときにコミカルに描くバランスも良かった。 
最近読んだ上原隆さんの文庫本は「何げない日常」が謳い文句になっていたけれど、あの‘ふつう’とこの宮下作品の‘ふつう’っぷりの違いは湿度にある。
かさかさに乾いて何も染みこまないし滲まない普通と、吸水性と保湿性の高い普通。書き手によって普通の選び方は様々で、言葉と文章の弾力、湿度は大きく変わる。乾いた空気が美容によくないのなら、きっと小説だって潤いがある方が良いのだ。とか思いながらこの本を読んでいる最中、そんなに泣かせるところでもなさそうな場面で目が勝手に濡れていたのは、最近の自分が乾いているせいだろうか。ちょっとひびが入ると小雨でたちまち決壊してしまう。脆くなったものだ。
これは「ひからびた自分に潤いを取り戻す」小説だった。水をあげてないと、心だって枯れるのだ。

 そして、今日。まだ胸が熱い。口紅一本がひとを支える。その確信が、身震いするほど私を興奮させている。


 おっす、オラ結乃。ワクワクすっぞ!


そうか、チーク一つで表情がそんなに変わって見えるものなのか……。職場の女性陣の化粧顔を思い浮かべた。この前、早出のとき遅刻寸前にすっぴんで出社して来た女の子に「誰?」と聞きそうになったことがあった。あれは化粧というより変相だ。犯罪的だと思ったものだ。化粧や髪型で外見を変えられる女性がちょっぴり羨ましい。
男の場合はせいぜい髭を伸ばすか髪を切るぐらいしかない。この南方系の顔で、この眉毛で行くしかない。「迷わず行けよ、行けばわかるさ」



『きことわ』がらみでもう一つ。
単行本買わなくても、全文掲載、芥川賞選評、著者インタビューなども載っている文春誌上で読んじゃうのもありかな、『苦役列車』も載ってるし…と思って寄ってみた文芸コーナーで『紡』(つむぐ)という雑誌が目に留まった。実業之日本社の新しい「小説誌」。たぶん、若い人向けの(それも女性向け)の、広告ページすらほとんどない、ほんとに小説しか載っていない雑誌。その表紙に伊坂幸太郎と並んで宮下さんの名前が……


          


「おぉっ!!!」中をのぞくと『よろこびの歌』の後日談というか続編的な短篇が掲載されていた。もちろん買って帰って一気読み。
内容は書かない。でも、しみじみと、これも良かった。高校を卒業したあの子たち、元気に迷ってるなぁ… なんだか懐かしくて保護者みたいな気分になって夢中で読んだ。あの‘うどん屋の娘’もまだ歌ってた!縁もゆかりもない架空の小説キャラクターが自分の中に生きていたのを実感できて、再会できたことが嬉しかった(こういうことは他の作家ではめったに経験できない)。
小説を読むのは消費行動ではない。本を閉じても終わらない。そういう作品が読みたい。
どうして宮下奈都さんが描く青春像が自分にはフィットするのか? (他の人の小説をそれほど読んではいないけど) この不思議を噛みしめながら、次作以降も大事に楽しみに読んでいきたい。