フランソワーズ・サガン / 愛と同じくらい孤独


『悲しみよ こんにちは』『ブラームスはお好き』などサガンの代表作を翻訳した朝吹登水子さんが朝吹真理子さんの大叔母だというのを芥川賞発表の新聞記事で知った。
なんとなくサガンをもう一度読んでみようかという気分になって、手近な書棚にあった『夏に抱かれて』を毎日ちょっとずつ読んでいたある日、ふと表紙を見ると、なんと、その訳者は朝吹登水子さんではなかった! …… 訳:朝吹由紀子、とある。この方は登水子さんの娘さん。真理子さんの叔母にあたる方だった。
……そんなわけで、朝吹一族に関して最近妙に詳しくなっているのだった。


そんなまどろっこしいことをしてないで、さっさと『きことわ』読めばいいじゃん、とは自分でも思っている。われながら面倒くさいことやってるのはわかっている。だいたいサガンをそれほど好きだったわけでもない。
でも、サガンの映画を観たときにも書いたが、自分にとってのサガン=彼女の‘超スピード’の文章をもう一度読み返したくて、あれがどの本に書かれていたのかずっと気になっていたのだ。
この私的・朝吹家ブームを機にと、押し入れ奥に積んだ段ボール箱を開けて古本の山を漁る。たぶんあれは小説ではなかった。そして、やっと二冊のサガン語録を発掘した。



【 フランソワーズ・サガン / 愛と同じくらい孤独 (174P) / 新潮社・1976年 (110203−0218) 】
【       同        / 私自身のための優しい回想 (179P) / 新潮文庫・1995年(110203−0218) 】


          


サガンが四十歳の頃にまとめられたインタビュー集が『愛と同じくらい孤独』。訳は朝吹由紀子。初期のサガン翻訳を手がけたのが登水子で、七十年代以降の作品は由紀子ということらしい。
1954年『悲しみよ こんにちは』で文壇に登場以来、膨大な数の取材を受けてきたサガンだが、その内容には重複するものも多かった。生い立ちと一躍有名人になるデビュー前後、数々の〈サガン伝説〉に彩られた華々しい作家活動から当時の私生活まで、サガン自身がくり返される質問を整理してインタビュー形式で答えたもので、ほとんど彼女の自伝ともいえる内容になっていた。


人気作家として常に注目を集めていたサガン。新作の内容よりも作家本人の言動に注目が集まってしまう。何年たっても芸能人のようにスキャンダラスに扱われる。メディアの質問はいつもゴシップ目当ての決まりきったものばかりだった。
たぶん日本でも作家というより‘サガン現象を巻き起こした張本人’としてスター扱いで女性ファッション誌に載ることが多かったのではないだろうか。自分が若い頃、やはり彼女の独占インタビュー掲載を大々的に謳ったマリ・クレールかエル・ジャポンだったかを見た記憶がある。
彼女は怖いもの知らずだった1950年代の日々を冷静に自嘲的に振り返りながら、率直に堂々と自分の文学観と人生観を語っている。好き嫌いがはっきりしていて物怖じせずに発言するエゴイストであることを自認しつつ、人見知りで初対面の相手の前では吃る癖があった彼女は慎み深くて静かな生活を好む女性だった。

これは学生時代に古本屋で買った本だったが、奥付を見ると1976年(昭和51年)8月刊で10月の12刷。二ヶ月でこんなに版を重ねる海外作家は今いないだろう。それだけ日本でも読まれていたということだし、この頃の日本人が本を読んでいたということでもあろう。



そのほぼ十年後、サガン五十歳の頃の回顧録が『私自身のための優しい回想』。こちらの翻訳は朝水三吉氏。登水子さんの兄である。
作家生活三十年を過ごしてきた彼女がその間「交友を深め敬愛した五人(ビリー・ホリデイ、T・ウィリアムズ、オーソン・ウェルズ、ヌレエフ、サルトル)と愛する事物(賭博、スピード、芝居、サントロペ、愛読書)について繊細な感性で綴る最高の思い出」。
この中の‘スピード’が自分が探していた文章だった。再読すると、これは、ギンズバーグの『吠える』みたいなのだった。ほとんど‘ビート詩’だ。「ブリーカー・ストリートを風に吹かれて飛んでいく古新聞みたいな感じ」、だった。
彼女が登場したのはエルビスとジェームス・ディーンの時代(‘Too Fast to Live,Too Young to Die’)。ビート・ジェネレーション作家の一員として、秘かにフランソワーズ・サガンを加えておくことにした。

 いますぐ言ってしまおう、ポール・モランと同様、プルーストやデューマと同じように言おう、スピードの快楽は怪しげな快楽ではなく、散漫な、恥ずべき快楽でもない。それは明確な、歓喜にみちた、ほとんど澄明な快楽なのだ、超スピードでゆくことは。自動車とそれが走る道路の安全性を超え、路面へのタイヤの安定した付着を超え、そしてことによったら自分自身の反射神経をさえ超える、超スピードで走らせることは。
 また、次のことも言っておこう、問題は決して自分自身との賭けといったものではないこと、また自分の能力への馬鹿げた挑戦とか、自分対自分の試合でもなく、また何かしら個人的なハンディキャップの克服といったものでもない、それはむしろ運そのものと自分とのあいだの喜ばしいギャンブルの一種なのだ。


久しぶりにクルマを走らせてみたくなった。句点を多用して文節を連ねた、艶めかしい官能的な文体。愛しい人たち、好きなことを書くときのサガンはめくるめく陶酔の囚人だ。憔悴したビリー・ホリデーと盲目になった晩年のサルトルとの交友録は親愛と哀惜の情に満ちて、気高き彼らの魂を讃える一級の弔辞でもあった。(サガンサルトルは同じ六月二十一日生まれ。もう一人、同じ誕生日の人物として‘将軍’ミシェル・プラティニサルトルに紹介しているのもサッカー好きとしては嬉しかった)。



この二冊、サガン自身の裸の言葉の数々を読んで(一言で言ってしまえば、かっこいい!)、正直で思慮深く明晰なゆえに挑発的なのだと、保守的な人々にはアンファン・テリブルに映ったのだと思った。
何で読んだかは忘れたが、「サガンは『悲しみよ こんにちは』で作家になったのではなく、『悲しみよ こんにちは』がサガンを作家にしたのだ」という文がある。それは真実を言い当てているように聞こえるけれど、事実ではない。すでに思春期にカミュサルトルに傾倒していた文学少女が‘文学の娘’としていずれ成熟した作家へと変貌するのは必然であったように思える。
16歳の夏、バカンスに訪れた南仏の浜辺で彼女はランボーイリュミナシオン』を読んで電撃を受けた。

文学こそすべてなのだ、最も偉大な、最も非道な、運命的なもの。そしてそうと知った以上、他になすべきことはなかった。文学と、その奴隷であると同時にわれわれの主人でもある言葉とつかみ合いをすること以外は。彼女(文学)と一緒に走り、彼女の方へ自分を高めなければならない、どのような高さまでであってもいいから。


やはり『私自身のための優しい回想』に収められている‘愛読書’にも刺激的な名文がたくさんあった。
この二冊とも現在絶版のようだが、他人が書いたいかなる評伝よりも真のサガン像を知ることができる貴重な本だと思う。『きことわ』とは関係なく、読んで良かった。