森 奈津子 / 西城秀樹のおかげです


森奈津子 / 西城秀樹のおかげです (349P) / ハヤカワ文庫JA・2004年 (110225−0228) 】



・内容
 「ありがとう、秀樹!わたくしとお姉様は、あなたのことを決して忘れませんわ」―謎のウイルスにより人類が死滅した世界で、ひとりの百合少女の野望を謳いあげる表題作、前代未聞のファーストコンタクト「地球娘による地球外クッキング」、1979年を舞台にした不条理青春グラフィティ「エロチカ79」ほか、悩める人類に大いなる福音を授ける、愛と笑いとエロスの全8篇。日本SF大賞ノミネートの代表作、待望の文庫化。


          


ハヤカワ文庫の棚を眺めていていると、必ずこのタイトルの背表紙で一瞬目が止まって、泳ぐ。SFなのに秀樹って??? 好奇心にかられてちらりと中をのぞいてみれば登場人物は‘百合’とか‘ビアン’とか称される方々のようで、「禁断」とか「男子禁制」といった単語が脳裏をよぎって、すぐ棚に戻す。でも、これのどこがSF?秀樹?
そういえばだいぶ前に『SFが読みたい!』で見たことがあったな…とバックナンバーを調べたら、あった。2001年版の「ベストSF2000国内篇」9位だ。それで読んでみることにしたのであって、べつに劣情をかきたてられたわけではない。
クルマ通勤の自分がこんなこと言うのもおかしいのだが、これは通勤電車内で読まない方が良い、笑えるエロ本だった。罰当たりで破廉恥で能天気な八話の短篇集。

 「まあ、次のサンプルも見たまえ。南国風の女、洋風の男ときて、今度は和風の女だ」
  ほう。それは興味深い。
 「今度のはすごいぞ。気に入ったら男とも女とも関係を持つ奴だ。一九六六年十一月二十三日、東京に生まれる森奈津子という作家だ」


表題作〈西城秀樹のおかげです〉は、細菌によって人類が死滅した世界に生き残った二人の男女の話。アメリカ映画なら必ずマッチョな完全無欠のヒーローと絶世の美女が、日本の小説ではどういうわけか異能の少年少女が奇蹟的にめぐり逢って、生存と人類復活をかけて何かと戦いながら廃墟でいちゃいちゃするところだが、この作品ではそうはならない。自分が生き残った、というよりは、他人がみんな死んでしまった世界を歓迎する不埒な「百合少女の野望」が描かれているのだ。
なぜ、よりによってこんな(出来そこないの)二人だけが日本の地に生き残ってしまったのかという謎は強引に西城秀樹(のあの曲)に結びつけて解決してしまう。アダムとイブになるべき二人が絶望的な組み合わせなので、人類の一縷の望みも存亡をかけた悲壮な戦いもたくましい生存本能も一行だって書かれず、個人主義の自由をここぞとばかり謳歌する。
空想にしろ妄想にしろ、常識を越えた発想がSFの原動力だとしたら、それを思いっきり非常識で不謹慎の域まで引っぱって成立させてしまったような、そんな短篇ばかりが並べられている。



SF的設定はほんの数行で説明してしまって、あとは欲望に忠実な同性愛の女の子の滑稽な痴話がくり広げられる(…と真面目に書くのが馬鹿馬鹿しいほど)。〈悶絶!バナナワニ園〉、〈テーブル物語〉、〈エロチカ79〉など、タイトルも秀逸(笑)。
庭に墜落した絵に描いたようなアダムスキー型UFOの宇宙人を食べてしまおうとする〈地球外クッキング〉も、天国への階段で来世を選べる〈天国初ゴミ箱行き〉も、SFなんだから何でもアリだと開き直りつつ、従来SFの典型パターンを嘲笑しているかのようでもある。しかし、官能小説的にはド定番な場面がくり返されて、人前で読むのは遠慮したい描写ばかりだ。
真剣に考えてみれば、マイノリティにとってディストピアユートピアなのかもしれないとか、抑圧された性志向の解放とか思うのだが、たぶんそんなのは余計な考えで、ただ笑えば良かったのだ。

 「あきれた。いい歳して、まだ空飛ぶ円盤とか宇宙人とかが出てくる本を愛読していらっしゃったのね、あんたってば」
  露骨にSFをけなされて、里沙はカッと頭に血が昇るのを感じた。
  だいたい、『夏への扉』は、雑誌等で「海外SFベスト10」といった類の企画をすれば必ず上位に食い込むタイム・トラベル物の大傑作なのである。


世界観ががっちり構築された最近の本格SF作品と比べてしまうと、十年ぐらい前に書かれたものでもあって、さすがに少々レトロな感じはする。科学者や歴史家なんて登場しないで、出てくるのは秀樹や金八先生やスケバンだったりする。ここに書かれているのは、まったく利己的な個人的願望ばかりで、大仰に人類の行く末を憂えることもなく、現代人のストレスとも無縁なのは、むしろ清々しいくらいだ。
逆に言えば、どれだけハイテク機器が進化しようとも人間の欲望そのものはそんなに変わることはないし、いつだってその実現のためには時に珍妙なほど涙ぐましい努力をするということなのかもしれないなんて思ったのは、大学入試の解答をネット投稿で求めた予備校生が話題になっているからだろうか。たとえば近未来SFのお約束ツール‘電子デバイス’が普及する時代にはペーパーテストなんてなくなっているのだろうと思ったり……。
そういえば、昔はこういう‘お手軽な’SF小説がもっとあったような気もする。自分の身の回りにも「こうだったらいいな、ああなったらいいな」という空想を楽しむ余地があった気がする。
「秀樹のおかげ」で地球上に残るのがあんな二人組だったら神への(秀樹への?)冒涜かとも思うのだが、べつにそれでもいい。SFはそんなに高尚なものばかりじゃなくてもいいのだ。