マイクル・フリン / 異星人の郷


SFが読みたい!2011年版』、ベストSF国内篇は『華竜の宮』が第一位(おめでとう!)。
海外篇では『時の地図』が三位にランクイン(個人的にはSFではないと思っているけど)。二位が英独の歴史改変物『ファージング』三部作、そして一位が中世を舞台にしたこの『異星人の郷』ということで、歴史ミステリ風の作品が上位を占めていた。

よーし、じゃあその第一位を!と張り切って読みだしたのだが……



【 マイクル・フリン / 異星人の郷 (上349P・下366P) / 創元SF文庫・2010年10月 (110228−0307) 】
EIFELHEIM by Michael Flynn 2006
訳:嶋田洋一



・内容
 十四世紀のある夏の夜、ドイツの小村を異変が襲った。突如として小屋が吹き飛び火事が起きた。探索に出た神父たちは森で異形の者たちと出会う。灰色の肌、鼻も耳もない顔、バッタを思わせる細長い体。かれらは悪魔か? だが怪我を負い、壊れた乗り物を修理するこの“クリンク人”たちと村人の間に、翻訳器を介した交流が生まれる。中世に人知れず果たされたファースト・コンタクト。『SFが読みたい!2011年版』ベストSF2010海外篇第1位。


          


まだこれから面白くなるんだろうと思いながら、とうとう最後まで来てしまった…。
中世ドイツ、スイス国境に近い山間に存在したはずの‘上ホッホバルト’という村が消えた。その地名は地図上にも文献にも残されていない。歴史から消滅してしまったその村に起こったことを主軸に、歴史学者がその謎を追う現在のパートが同時進行するという構成。ホッホバルトの司教・ディートリヒを主人公に、荘園制度と宗教改革以前のキリスト教信仰を柱とする当時の領主・領民の暮らしぶりが綿密詳細に描かれ、それに「異邦人」の来訪とペストの恐怖が加わる。
自分が中世史に疎いのは読んでいてまざまざと痛感させられたのだが、もう下巻まで読み進めたところでやっと重大なことに気づいた。この時代、十四世紀にはまだ天動説が信じられていて、宇宙という概念は(そしておそらく、宇宙という言葉も)なかったのだ!だから当然、この時代の人々には宇宙人/異星人(エイリアン)なんてものは空想上にも存在せず、夢想だにしないのであって、‘神の似姿’たる自分たちと異なる外見の外国語(らしきもの)を話す者たちは未知の国からの旅人か、あるいは悪魔であるとしか考えられなかったのだ。



それで少しはもやもやした回りくどい感じは薄れたのだが、それでも、と自分の鈍感ぶりを棚に上げて思ってしまう。言いがかりめいてしまうけれど、現代人に向けた小説なのだから、そういう肝心なことは前半のうちにはっきりした形で処理しておくべきではないのか。夜更けに雷鳴がして村はずれの森の木々がなぎ倒されていて、その中心に当時の文明では想像もつかない異様な物体があった。全身灰色の巨大なバッタのような生き物が現れた。そんな超自然現象というのでは説明のつかないような天変地異を、いくら自然哲学の影響下にあったキリスト教社会だったからといって、神父と領主はじめホッホバルトの住民がさしてパニックに陥ることなく淡々と受け入れているらしいのには違和感があった。
その異邦人=クリンク人たちとはまず神父が彼らの翻訳機を通じて徐々にコミュニケーションを取るようになっていく。クリンク人はけして悪意を持ってやって来たのではなく、「船」の故障でその森に座礁したのだった。傷ついていたり、慣れない環境下で消耗していく彼らを介抱する村人も出てくるのだが、一方では彼らを「悪魔」呼ばわりして忌避する者もいて、平穏だった村に亀裂が生じる。
折しもペストの猛威が伝えられ、病毒をまき散らす犯人としてユダヤ人が各地で迫害されている状勢で、その史実に漂着した異星人がリンクされていく様子は巧妙だ。不安に怯える村人とクリンク人の間に立ってディートリヒは聖職者たらんと奔走する。



読みづらかった理由の一つには登場人物の多さがある。巻頭に一覧は附されているのだが、この名前は誰だったか、何度もそれを確かめながら読むことになった。
いらいらさせられたのがクリンク人の名前で、彼ら一人一人に人間の名前(ドイツ名)が付けられているのだが、それとともにクリンク人の間での呼び名もあって、混乱する。
クリンク人との会話に用いられる道具は「頭帯」と記されていたかと思うと次の文では「ミクロフィネー」と記されていたりする。また、彼らの武器の鉄砲のような物は「鉄瓶」という単語が当てられている。この時代にヘッドフォンや鉄砲はなかったとしても、イメージに該当する上手い固有名詞ではない。これは翻訳の問題にもなるのだが、原文では所々にドイツ語やラテン語が使われているようでもあるし忠実に訳してはあるのかもしれないが、すんなり頭に入ってこない部分もけっこうあった。著者の側か翻訳者の方か、実はこの世界観の細部までクリーンになっていないのではないかという疑問をわずかでも持ってしまうと、スムーズに読めなくなる。いや、自分の脳みその問題か。



神父の影響を受けて何人かのクリンク人は洗礼を受け、次第にキリスト教的な考え方をするようになっていく後半は面白い。いよいよペストが村に迫り住人に死者が出始め、衰弱したクリンク人の死者も増えていく中で、彼らはクリンク人流の献身的態度を見せる。そこが本作のハイライトだったのかなと思う……
しかし、最終章の現代パートで、歴史学者のパートナーの物理学者が自分の理論とクリンク人の空間移動法に偶然の一致を発見するオチは、結局書きたかったのはそれなのかと思ったりもして、いささか興ざめだった。

われわれ現代人だって実は宇宙人のことなんて何にも知らないのだが、それでもその存在の可能性に想像を向けることはできる。地球外生命体なんて考えもしない時代に宇宙からの来訪者があったとしたら、どのように歴史に記録されていただろう。宇宙人はこれからの未来にやって来るのではなく、すでに過去に来ていたのかもしれない… この着眼点自体はとても興味深く、まさにSF的発想だと思う。そのために、それこそ歴史学者がやるような調査をしながら中世に架空の舞台を設定したのだろう。
だけど、異星人との壁というより、中世の壁の方がよっぽど厚かったという印象が強い。中世史+ハードSF風味ということで、自分には向いていなかったということなのだろう。


(ベストSFなのに自分は楽しく読めなかったのがなんだかやたらと悔しい。こうなったら『ファージング』も読んでやるぅ!と思ってみたりするのだが…… やめとけ、という声も聞こえている)