ジャイルズ・ブランドレス / オスカー・ワイルドとキャンドルライト殺人事件


【 ジャイルズ・ブランドレス / オスカー・ワイルドとキャンドルライト殺人事件 (408P) / 国書刊行会・2010年 6月 (110401−0407) 】

OSCHR WILDE and the Candlelight Murders by Gyles Brandreth 2007
訳:河内恵子



・内容
 1889年、ロンドンのとある建物の一室で美少年の惨殺死体が発見される。第一発見者は「時代の寵児オスカー・ワイルド。少年と知り合いだったワイルドは友人コナン・ドイルの協力を得て、ロバート・シェラードとともに真相究明に乗り出す。するとワイルドの周辺には怪しげな人影が出没し始め、やがて奇妙なクラブの存在が浮かび上がる……絢爛と暗黒が渦巻く世紀末ロンドンを舞台に繰り広げられる、英国発の大ベストセラー・ミステリ、ついに日本上陸!


          


十九世紀末、ヴィクトリア朝ロンドン。 『時の地図』 ではH.G.ウェルズが自慢のタイムマシンを駆って(?)切り裂きジャックの凶行を阻止せんと奔走するのだったが、本作では同時代のアイルランド人作家、オスカー・ワイルドが友人アーサー・コナン・ドイルを引っぱり出して(!)殺人事件の謎を追う… と聞くと、シャーロック・ホームズを味方にしちゃうなんて反則だろ?と思ってしまうのだが、ドイルの出番はそれほど多くはなかった。
ワイルドとドイルは実際に面識はあったそうだが、交遊関係というところまではいかなかったらしい。この作品の時代設定は1890年、オスカー・ワイルドはすでに英国社交界においてカリスマ的存在だったのに対し、ドイルはまだ田舎の診療医をしながら創作活動をしていて、ようやくホームズ物の第一作『緋色の研究』を発表したばかり。その処女作はほとんど話題にならなかったという。
そんなまだ無名のドイルをワイルドはいち早く評価していて、その作品の主人公にすっかり魅了されていた。知り合いの少年が死んでいるのを見つけた彼は、ホームズ気取りで捜査を始める。その名探偵ぶりが実に愉快な楽しい作品だった。

 すると、突然手を叩いて、彼は言った。「我々の手許には新しい冒険という刺激がある。ロバート、倦怠は敵だ。冒険こそ答だよ。ビリー・ウッドを殺害した犯人を見つけよう。コナン・ドイルの友人が助けてくれなくとも、コナン・ドイルの創り出した人物が助けてくれる。シャーロック・ホームズの仮面をかぶるオスカー・ワイルドはどうかね?仮面は顔よりも多くを語る……」


オスカー・ワイルドの作品を直接読んだことはない。けれど、英国小説を読む者にとって彼の名前はおなじみのはずだ。記憶に新しいところでは、ウィリアム・トレヴァーの作品中に何度か出てきたし(アイルランドの作家だから当然か)、『ファージング』にも出てきた。英国演劇界が舞台の『暗殺のハムレットファージングⅡ)』では主人公の女優ヴァイオラ・ラークと俳優仲間がかつて「真面目が肝心」で共演したことを語り合う場面があった。

 「愛は自分自身を欺くことから始まり、愛するものを欺いて終る。それがロマンスというものだ」

こんな必殺の金言警句がたくさんあるから、オスカー・ワイルドの言葉はシェイクスピアと肩を並べるほど引用率が高いのだろう。
本作でのワイルドの発言も、いちいちウィットがきいた格言めいたものばかり。中には彼が実際に遺した言葉も含まれているのではないだろうか。詳しい人なら彼の台詞が彼の著作からの引用であることを見つける楽しみもあるだろう。
しかも本作のワイルドはシャーロック・ホームズに感化されていて、ワトソン君に語りかける、あのホームズの説明調の口ぶりを真似ているらしいのが、また楽しい(もちろんこれは翻訳者のセンスによる)。
そういう面も含めて、どこまでが事実でどこからが虚構なのか、そんなことは些細なことのように感じられてきて、ちょっとわくわくしながら読んだのだった。これはやはり歴史上の人物像を再生したのか新たに創造したのか、どちらにしても、著者のアイディアの勝利といえるだろう。



切り裂きジャックの被害者は娼婦ばかりだったが、本作で殺されるのは十代の美少年だ。オスカー・ワイルドが男色家だったのは有名なので、彼が捜査しているとはいっても、それはカモフラージュなのではないかと思わされる。途中まで、実は最も疑わしいのが彼だと絶妙に匂わせる。知的だが利己的でエキセントリックな天才の言動には常軌を逸した部分も多くて、凡人には正体不明なところがあるのだ。
その神秘的な天才性は彼の秘密の性向によるもので、国教会の力も大きく、慎ましく勤勉であることが最上の美徳とされていた十九世紀の強大な大英帝国では、同性愛は人の道を外れた穢らわしい罪なのだった。そんな時代に欲望、というよりは美意識を封じこめて生きねばならなかった哀しみが、オスカーの機知の背後にかすかに漂っているような気がした。
(そういえば「ファージング体制」も同性愛を禁止していて、それゆえカーマイケルの苦悩も増しているのだった)

 「ワイルドさん!」ギルモア警部がオスカーの話がこれ以上脱線するのを遮った。「私たちは劇場にいるのではないのです。殺人事件の捜査をしているのです。もう十分に時間を差し上げたと思いますが」
 オスカーは怒ったふりをしてコナン・ドイルの方を見た。「アーサー、教えてくれ。シャーロック・ホームズはこのような扱いにも耐えねばならないのかね?」


本作ではワイルドがシャーロック・ホームズに憧れるという設定になっているのだが、実際はコナン・ドイルがワイルドの人間性に興味を持ち、『四つの署名』以後、ホームズ像を変えていったのだった。作中にその件りの会話場面があるのだが、シャーロック・ホームズがコカインを常用する頽廃的な人物に変わっていったのは、実はオスカー・ワイルドの影響だったということだ。

テニス、ゴルフ、サッカー(フットボール)。いうまでもなく、母国はみなイギリスである。(リヴァプールFCの創設は1892年、アーセナル1886年…!) そして、SFもミステリもまたしかり。大胆にもその始祖というべき作家を登場させながら、世紀を越えて新たな作家像をつくりだす。それだって、やっぱり伝統と敬愛のなせる業なのだ。
あの伝説のオスカー・ワイルドがコートをひるがえして颯爽とロンドンはベーカー街を大股で闊歩している。これは後にスキャンダルによって逮捕・投獄され、すべての名誉を失った彼に代わって汚名挽回を果たした作品で、それのみならず新たに英雄的な、生き生きとした天才作家像を付与したものでもあった。
さりげなくドイルや同時代の詩人イエィツのワイルド評が語られていたり、ワイルドとエミール・ゾラやモーパッサンとの交流も記されているあたり、抜け目がない。ヴィクトリア朝のこの時代というのは本当に魅力的だ。