ノーマン・メイラー / なぜわれわれは戦争をしているのか


ノーマン・メイラー / なぜわれわれは戦争をしているのか (131P) / 岩波書店・2003年 (110502−0504) 】

WHY ARE WE AT WAR? by Norman Mailer 2003
訳:田代泰子


・内容
 アメリカはなぜアフガニスタンを破壊し、イラクを侵略したのか? なぜ新たな標的を探しつづけるのか? そして、なぜブッシュは支持され続けるのか? 9月11日の事件がアメリカ国民にもたらした底深い「狂気」を抉り、ブッシュ政権の歪んだ論理と心理を容赦なく暴く,ピューリッツァー賞作家による憤怒のエッセイ。


          


パキスタンビンラディンを殺害したとするアメリカの電撃発表には驚かされたが、「容疑者」段階で非武装の者を殺すことを躊躇わないアメリカ的なやり方に不信と違和感も感じずにいられなかった。9.11のあと、大義を盾にアフガニスタンイラクに乗りこんだのとまったく同じ理屈で今回の作戦も実行されたわけだ。
一国の最高指導者が(重大事件の首謀者と目されているとはいえ)自国民ではない一個人の殺害を指示する。民間居住区にある標的とする屋敷を深夜、特殊部隊がヘリコプターで急襲する。ぞっとするやり方だ。ブッシュ時代ならまだしも、オバマがそうしたのだから失望を禁じえない。ノーベル平和賞受賞者オバマの保守化も進行しているということか。彼には来年の大統領選に向けて支持率を回復する目論見もあるのかもしれないが、「オバマ語録」も地に落ちたものだと言わざるをえない。
アメリカはこれで何かを終わらせたつもりなのかもしれないが、今回の作戦は時計の針を十年前に戻してしまった可能性だって否定できないのではないだろうか。

 そこで9.11事件に遭ったアメリカは、最初の反応として、ビンラディンアルカイダの打倒計画を立てた。しかしアフガニスタンで主役の捕獲作戦に失敗して、おまけに、そいつが生きているのか死んでいるのかも結論がだせないことが明らかになると、ゲームを変えざるをえなくなった。そこで我がホワイトハウスは、ほんとうの豆は別の莢に入っている、と言い始めた。アルカイダなんかではない。イラクだ。


状況は別々だが、洋の東西でともに悲壮感を漂わせたリーダーが「愛国心」に訴えようとしているように見えるのは偶然だろうか。本書でノーマン・メイラーは「愛国心は、ならず者の最後の逃げ道」だと斬り捨てる。
2001年9月11日を境にアメリカはどう変わったか。ほとんど初めてアメリカ人が直面したアイデンティティの危機 ―なぜわれわれはこれほどまでに憎まれているのか?という当惑― は、やがて単純な愛国心の熱狂の渦にかき消されていった。九十年代の好景気時にはまだあった拝金主義への宗教心からのやましさや後ろめたさは見る影もなかった。
第二次大戦(太平洋戦争に従軍、終戦後は日本に駐留)、ベトナム戦争を見てきた老メイラーが自身の対談と講演原稿をもとにアメリカの変容を鋭く指摘した本書は、はからずもビンラディンを葬って「正義の勝利」を叫ぶ現状にもそっくり当てはめることができるものだった。



作家・ジャーナリストである彼のペンはおざなりのブッシュ政権批判にとどまらず、進行する価値の崩壊と無分別な「アメリカ」そのものの宗教化を看破して、デモクラシーと「自由」の行方を危惧する。
テロとの戦いは「テクノロジーの進歩が人類の病を解決すると信じる者と、人類の目的は技術力を手に入れることではなく、魂を磨くことにあると信じる者の戦い」だとし、現在戦っている戦争はこれまでのように解決の道がある戦争ではないと断言している。
テロリズムはなくならない。テロ行為に走る人物は必ず残るのだから、テロの根絶など不可能だ。すでに2003年の時点でこのように述べているのは慧眼としか言いようがない。彼は大胆にも、9.11の犠牲者の数はアメリカの年間交通事故死者数よりずっと少ないことを挙げて、(イスラエル人がそうであるように)アメリカ人はテロの不安にもっと慣れるべきなのだとまで説く。安全保障のためなら自由が制限されてもかまわないという世論の高まりに右傾化の危険を感じての提言だった。

 わたしたちは、アメリカを愛せ!という宗教的熱情のなかで生きるように求められている。アメリカが宗教にとって変わったんだ、だから愛するんだ! しかし、自分の国を無批判に愛するということは、批判的な識別力を失うということだ。そして、デモクラシーは批判的な識別力に拠って立つものなんだ。


人間の自然な政体はファシズムなのであって、一方、デモクラシーは意志的な不断の努力によって維持されるものだ。デモクラシーを守ることができるのは、つまるところそれまでに築いてきたデモクラシーの伝統だけなのであって、歴史も伝統も浅いアメリカ人にはそんな感覚はまだ育ってないのだと言う。
民主主義を振りかざしていながら、実は急激に全体主義的傾向が高まる兆候がアメリカにはあることを、自分もこれまでずっと感じてきた。他国に民主化を要求しながら、実は当のアメリカにたいした民主主義思想は根づいてないのだというメイラーの発言には目から鱗が落ちる思いで感動したのだった。もちろん、彼は心からアメリカを愛しているからこそ、そんな逆説を口にしないでいられなかったのだ。
民主主義は尊く、繊細で脆い。それを軽んじるとファシズムが台頭する隙を生む。主義とか体制の問題なのではない。粗野になる一方のアメリカにあって、半世紀にわたって彼が表現者としてこうした一貫した観察眼を持ち続けたことは、実は大変なことだったのではないか。そして、この賢者の洞察は、アメリカの子分であり縮小版でもある日本にもそのまま適用できるように感じるのだ。


2007年、84歳でノーマン・メイラーはその人生に幕を閉じた。優れた文明批評家でもあった彼なら「テロとの戦い」の今日の顛末をなんて書いただろう。
映画『かけがえのない日々』でモハメド・アリのファイトを身振りをまじえて解説していたエネルギッシュな語り口が思い浮かぶ。