K.J.ファウラー / ジェイン・オースティンの読書会


J.オースティンのネタで引っぱる。本当は映画化されたこの作品も「読んでから見る」企画していたのだが、めんどくさいのでやめた。



【 カレン・ジョイ・ファウラー / ジェイン・オースティンの読書会 (353P) / 白水社・2006年 (110618−0623) 】

The Jane Austen Book Club by Karen Joy Fowler 2004
訳:矢倉尚子



・内容
 カリフォルニアに住む五人の女性と一人の男性が集まって、ジェイン・オースティンの六つの小説を読む会を開いた。三月の『エマ』から始めて八月の『説得』まで交代で誰かの家で催される。読書会に集う男女が織りなす、悲喜こもごもの人間模様…。手法は新鮮、語り口はひょうきん。精緻な観察と皮肉に満ちた、全米ベストセラーの傑作長編。


          


まずこれは、いかにも現代的なアメリカの小説だったという印象。カリフォルニア、ハリウッド、ラスベガス、ビバリーヒルズ、「セックス・アンド・ザ・シティ」。スカイダイビングとロッククライミングヒッチハイク、テレビショッピング。猟犬の何とかドッグのブリーダー。チーズとアーモンドクレセント・クラッカーに軽アルコール飲料
お喋りなアメリカ人女性が集えばそうならざるをえないのかもしれないが、人名地名以外のカタカナがやたらに多いのが目障りに感じるのは、自分が読んだ『高慢と偏見』の訳が古臭いというだけではないだろう。物質文明の中のジェーン・オースティン。そこに十九世紀英国的なるものを期待したのは見当はずれだった。



読書会のメンバーは年齢層も職種もバラバラ。唯一の男性会員グリッグ(実はSFファン)を除く女性陣は筋金入りのオースティン愛好家である。毎月一冊、オースティンの本をテーマに持ち回りのホストの家で語り合うという趣向の会が催される。
読書会に向けて彼女らは本を再読し、ホスト役はつまみや飲み物の準備をしつつ、話題にするトピックを考える。オースティン全六作品とメンバー六人の半年間がシンクロしていく……という文学的にそそられる構成ではなくて、それぞれの生い立ちから、離婚の危機や親子関係のもつれがある現在の暮らしぶりまでを語っていくのがメイン。オースティンはこの会の「共通のネタ」以上のものに感じられなかったのが残念。(オースティンに精通している人ならもっと楽しめるのかもしれないが)
これが英国の作品なら、もっと身近に日常生活にオースティンが取りこまれて、作品のエッセンスが散りばめられた、ある意味でパスティーシュ風な味付けのものになるのではないかと思うのだが。

 この読書会のメンバーを選ぶことになったとき、ジョスリンはもう一度グリッグにメールを書いた。「あなたが大の読書家だったのを思いだしました。ジェイン・オースティンの全作品を読むつもりだけど、興味はおあり?」


200年前の英国の田舎生活と現代アメリカの豊かであけすけな文化のギャップに途惑ったまま読了。
彼女たちはオースティンを読みながらも人気テレビシリーズやハリウッド映画だって見ているし、現在の生活上の悩みにオースティンは関係ない。それぞれにオースティン観があって、脇役の誰がこう言っているとか、あの場面での本心はこうだったのにちがいない、などと語ることが出来るのに、彼女たちの個性と十八、九世紀のイギリス人のライフスタイルとは何の接点もない。
「読書会」の楽しみというのはわかる。自分以外の読者の意見に触れることができるのは有意義だろう。でも、この作品ではオースティンについての意見に会員それぞれの性格は反映されているけれども、それは彼女らの実生活にまで影響を及ぼすほどのものではないのが、自分としてはもの足りなかった。
ジェイン・オースティンの読書会」なら、登場人物の扮装で(女性は十九世紀風のドレスで、男は貴族風のいでたちで)参加するようにすればいい。それで役になりきって各パートを朗読するのだ。自分ならウィカムのように赤いジャケットとぴちぴちタイツにブーツの国民軍のコスチュームで出席するんだが(←それじゃコスプレパーティ)。 その方が絶対楽しい!そういうものではないのだろうか?(←そういう場ではありません)。



少し前に『高慢と偏見』を読んだとき、ネットを見ていて、海外にはジェーン・オースティン・マニアのサークルが多数存在しているのを知った。まあ、そのファンサイトの充実ぶりといったら……(!) 自分にはちょっとわからないのだが、そこではミスター・ダーシーは全女子憧れのヒーローというのが統一見解らしく、彼の似顔絵や小説の一場面の直筆イラストが多数掲載されていたりするのが特徴的だ。(『高慢と偏見』Pride & Prejudiceは「P&P」、『マンスフィールド・パーク』は「MP」と略称される) そういう人たちからすれば、ジェーン・オースティンがつまみにすぎないこの「読書会」は大したものではないと感じるのではないか。
これならば、ちゃちゃっとビデオで見た方が楽だったかもしれない、なんて思ったりして。『高慢と偏見』と『高慢と偏見とゾンビ』は棚に並べておくことはできるけども、これはそうしなくてもいい。(少し前にもどこかで書いた気がするのだが…)ジェーン・オースティンに関する本ならば、ジェーン・オースティンを読もうという気にさせてくれなきゃ困るのである。自分にとっては感覚のズレが最後まで修整できない、そんな本だった。