奥泉 光 / 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活


五月の刊行直後に買った奥泉氏の新刊をやっと読んだ。


奥泉光 / 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活 (365P) / 文藝春秋・2011年 5月 (110625−0628) 】



・内容
 日本一下流の大学教師、「クワコー」こと桑潟幸一と女子大生探偵たちの活躍を描くユーモア・ミステリー。千葉の「たらちね国際大学」に首尾よく職を得たものの、薄給と田舎暮らしに意気上がらないクワコー。そのうえ顧問をつとめる文芸部の部員たちはコスプレ好きだったり、学校の裏庭でホームレスのような生活をする変わり者ぞろい。だがそんな彼女たちが抜群のチームワークで、クワコーの周囲で発生する怪事件を次々解決していく…


          


奥泉さんの作品にはいつもお笑いの要素がある。いかにも大学の先生が学生相手にウケ狙いでかましそうな、黙殺がふさわしいオヤジギャグ。追いつめられた主人公が内面でのみ暴発させる卑小な誇大妄想。文壇でしか通用しそうもないダジャレ。文学者にあるまじき下ネタ。大爆笑というよりは失笑苦笑のかすり具合も計算づくないやらしさも、もはやこの人の作品の魅力の一部、というか必要悪としてあきらめるしかない。
でも今回の作品は違った。笑いの不発弾は全部爆破処理しましたみたいな勢いなのである。ひと言でいえば「ふざけすぎ」ということなのだが、おかしいものはおかしいのであって、始めから完全に著者のペースに巻きこまれた。
1ページめから‘奥泉節’炸裂。氏お得意の‘セイウチの吠声の如き嗚咽’とか‘野猿の如き叫声’みたいな、格調高いんだか大仰なだけなんだかわからない動物ネタの明喩も健在。何か起きるときに白い光がピカッと瞬くのもいつものパターンなのであった(というか、癖?……笑)。

 「で、その声はどんなふうに聞こえたわけ、クワコ的には?」
 そうだな、クワコー的にはどうだったかな……って、これにはさすがの桑幸も声を失った。
 「ていうか、私たちとしては、クワコー的な感想が聞きたいってことなわけ。一種現場的な。わかるっしょ?」

  
前作『シューマンの指』や『神器』のような文芸大作風の神妙な格式高そうな趣きはみじんもない。
スタイリッシュどころかワーキング・プアに沈む下流教師・桑潟幸一(クワコー)の内面で展開されるスラップスティック調の独白と、箸が転がっても笑うお年頃の、実際にはただ能天気で騒々しいばかりな女子大生グループの傍若無人っぷりとの異種格闘技戦の様相。クワコーは文芸部顧問でありながら、部内の序列では無愛想かつ辛辣なホームレス女子大生・ジンジンの下位にあって、彼女に頭が上がらないのであった。
さすがに著者は現役教授だけあって、当世学生気質や若者のトレンドへの目配りが利いている。文芸部とはいってもラノベやアニメオタの巣窟で、コミケ出展を一番の活動目標としているのだが、彼女らの会話には「森ガール」「腐女子」「東池袋乙女ロード」「BL」「やおい系」などの単語も飛び出してくる。もちろん自分は全部わかったが(←ウソ)。若者同士のえげつない会話も上手く文字起こしされていて、そのテンポの良さにつられてページも進むのだった。



ユーモアミステリと銘打たれてはいても、読んでいる最中は笑いっぱなしでミステリの緊張感などまるでない。だいたい謎解きは全部ジンジンがやってくれちゃうので、読者はクワコーと一緒にほげーっと傍観しているしかないのである。消えた手紙とか消えた森ガールとか、クワコーを悩ませる怪事件の顛末より、ジンジンの存在こそが実は最もミステリアスなのだが…。 どう見てもミステリのプロットよりは主人公と女子大生たちの、それぞれに陳腐な生態模写に力が注がれているので、事件はおまけのようなものに感じられてしまう。
まあ、この作家の場合は何を書いても奥泉光なのであって、オチがしょぼいのも大して気にならない。ミステリだなんて思わないで読んだ方がいいかもしれない。
自分にはミステリよりコスプレ志向の方が強く印象が残ったのだが(実際この作品のコスプレ率は高いのだ)、もしや自分にもその気があるのだろうかと思うと「心が怪しく疼いた」という点でも困った本なのである(笑)。

 ゲッ、誰あれ?もしかしてクワコー?すげえ。完全つきぬけ。思いきっちゃったよね。超絶カミングアウト。キモすぎ。でも、ヤルって感じ。てか、わりとありなんじゃない。うん、むしろありかも。って、けっこうヤバイよね、クワコー。


少子化で全入学時代、あの手この手の生徒争奪戦が激化している大学経営や学内の権力争いなどの内部事情を織りこみながらも、ダメ教授×ダメ学生をダメダメ大学論に展開しないのは奥泉作品らしいところ。執筆にあたっては当然、筒井康隆『文学部 唯野教授』が意識にあっただろうとは思うのだが、その轍は慎重に避けて、ひたすらお笑い路線に走って踏み外さない。
大学制度や文科省批判なんてやろうと思えばいくらでもできるけど、でもこの社会は何にも変わらないよね?子供じみた学生ばっかりだよね?大学はどんどん潰れてくよね?と、けして下流などではないはずの奥泉教授はほくそ笑んでいそうで、この作品そのものが、大学というよりは日本社会全体に対するアイロニカルなプラクティカルジョークのように思えたのだった。……なんていうと大きくまとめすぎだろうか? 学生の質の低下は大学環境の変化もあるだろう。でも、根本には‘何でもオープン’な日本全体の弛緩しきった空気があって、それは原発事故で危機感ゼロの楽観を放言する大学教授が多数いたことからもうかがえる。公共意識は薄れ私的空間となりはてた批評性の乏しい舞台として自分の職場=大学を選んだのも、作家の感性なのかとも思う。


自分が見させていただいているブログの中に、ある英文学教授のものがあるのだが、その方は連日の講義とゼミの間にいくつもの打ち合わせや面談、委員会出席をこなしておられて、本当に多忙そうである。クワコーと比べるなんて失礼なことかもしれないが、大学教授というのは実は講義以外の仕事が多いもので、もちろん奥泉教授だってそんなことは重々承知のうえで思いきりデフォルメしたキャラクターを創り出したのだろう。学務の間にこんな内輪ネタの小説を書いてるのって反則ではないかとチラリと思わないでもないが(笑)、こんな快作を読ませてくれるのだから近畿大学にも感謝しなければなるまい。
ソフトカバーの装丁も本書の気楽さに合っていて良い。こういう作品を出したからには、次はまた驚愕の大作を準備しているのではないかと推察する。