乾石智子 / 夜の写本師


【 乾石智子 / 夜の写本師 (315P) / 東京創元社・2011年 4月 (110718−0722) 】



・内容
 右手に月石、左手に黒曜石、口のなかに真珠。三つの石をもって生まれてきたカリュドウ。だが、育ての親エイリャが殺されるのを目の当たりにしたことで、彼の運命は一変する。女を殺しては魔法の力を奪う呪われた大魔道師アンジスト。月の巫女、闇の魔女、海の娘、アンジストに殺された三人の魔女の運命が、数千年の時をへてカリュドウの運命とまじわる。エイリャの仇をうつべく、カリュドウは魔法とは異なった奇妙な力をあやつる“夜の写本師”としての修業をつむが…。


          


出生の秘密。本人のあずかり知らぬ不思議な力。愛する者の死。悲嘆。強大な敵。めざめ。成長と修練の日々。因縁。そして実現する宿敵との対決。水と月と闇の力を駆使した壮絶な戦いが始まる…… シンプルな、王道ファンタジー
それはもう、ほとんど様式美といってもいいくらいにわかりやすく、大筋の想像がついてしまう。それゆえ、ファンタジーなのに自分の想像力がさほど刺激されないのが不安になるほどで、そりゃあどちらかといえば自分はリアリストだよ。現実の風の冷たさが身に沁みて痛いばかりの年頃ですよ(真夏なんだけど…)、とぶつぶつ言い訳しながらページを繰るはめになった。そして、自分の‘ファンタジー脳’が着実に退化しているのを実感。もうこういう小説は卒業かも。ファンタジー適性試験に落第した気分を味わって、読んでいてもなんとなく俯きがちになるのだった。



著者はこれがデビュー作ということで、文章がアマチュアっぽいというか、あまり上等とはいえないところがある。特に前半はメリハリのない淡泊な描写が続いて、ただ状況説明的なそっけない文の羅列に見えた。会話場面はぎくしゃくして不自然だし、心理描写はあっさりとしたもので、復讐を誓う主人公カリュドウの執念がちっとも胸に迫ってこない。
魔法書の中に入りこんだカリュドウが、前世の自分の死を追体験して大魔導師との千年の時を越える確執が明らかになっていく構成も、何の前触れもなくいきなり数百年前に飛ぶので、無関係の別の物語が始まったのかと途惑った。で、途中で、これは何の話だったけ?と思いだす始末。
ところが……、魔術対決の場面だけはやけに力がこもった筆致で映像的な迫力がある。始めの方の淡泊な調子とは180度違って、「えぇっ?」「おぉっ!」と手に汗にぎる展開に引きこまれた。大魔導師がなかなかくたばらないので、まだか?これでもか!と戦いは続くのだが、さっきまで自分の脳みその劣化具合を嘆いていたことなどすっかり忘れてページにくぎづけにされたのだった。

 馬鹿な。
 本は魔道師の力になるが、魔道師なしに発動する魔法を本自体がもつなどということはありえない。井戸の水は人が汲みあげなければ役に立たぬ。薪は、火にくべる手があってこそ、薪としての役割を全うする。本はギデスディンの魔道師の手にかかって、はじめて魔法を発する。ただ読んだだけで呪いがかかるというのであれば、魔道師などいらぬではないか。


読者にそういう混乱をもたらすのが著者の意図だったとは思えないのだが、ある意味で本書の主人公はカリュドウや他人の生を貪る呪われた大魔導師アンジストではなく、‘魔法そのもの’なのだった。
魅力の乏しい人物描写に比べ、作中の魔法の扱いは細やかで魅力的だ。社会的に魔力の存在が認知されていて、病気の治療や諍いの調停や失踪人の探索に用いられている世界。ただ、一部の私欲につかれた者たちが魔力を悪用し、権力の座を占めている。
魔導師長アンジストは他人の力を吸い取って自分のものにしてしまう魔力によって、あらゆる種類の魔術を身につけている。それに対してカリュドウは、魔法ではなく‘書’を使って対抗するというのがこの作品のミソ。本に呪文を塗りこんでおいて、読んだ者の目を焼いてしまったり、敵の魔力を無力化してしまうのだ。そういう能力を習得するために彼が選んだ道が「写本師」だった。
まだ印刷技術などない時代、書は職人の手によって一文字ずつ書き写されて生命をつないだ。表紙と頁の素材、インクの調合具合、飾り文字の意匠に凝った古書の複製は気の遠くなるような作業であり、仕上がったそれは一種の工芸品のようだったという。そんな作業の果てに生み出される書にはきっと、神秘的な力も宿る。
もしカリュドウが魔力でアンジストに挑んだのなら堂々めぐりだったはずだ。丹念で精巧な人間技の極致を、人を呪おうとする魔術への唯一の対抗手段としたカリュドウの、そして著者の判断は正しい。



始めは不満も多かったのに後半はほぼ一気読み。読み終えてみれば、自分の脳が退化しているのではなく、ただエンジンのかかりが悪かっただけではないかと思ってみたり。 いや、そういう不調はやっぱりボケの予兆なのだとか、ホグワーツを卒業してかれこれ二十年にもなるのだから仕方がないとか、そういう余計な心配をさせないですっきり読める作品にしてほしいものだ(笑)
大人を童心に返してくれるのはファンタジーの力である。その力を感じなくなったら、寂しいだろう。そして、自分もこういう魔法が使えたらいいなぁと思わせるのが良質なファンタジーの一条件だとしたら、この作品にはたしかにそれがある。自分の人生が自動筆記されている魔法書が世界のどこかにあるなんて、ロマンがあっていいじゃないか。カリュドウが憎しみから呪術の道に入って、最後までその闇から抜け出せないところにはいささか疑問はあるけれど。
作品全体の出来としては辛口な評価にならざるをえないけれど、魔法の魅力としての「魔力」は書かれている。上手くまとめればもっと良い作品になったはずなのに、すごくもったいない気がする。