梯久美子 / 昭和二十年夏、女たちの戦争


八月恒例の‘終戦の日の読書’。
梯久美子(かけはし・くみこ)さんの「昭和二十年夏」シリーズを読む。



【 梯 久美子 / 昭和二十年夏、女たちの戦争 (250P) / 角川書店・2010年 7月 (110805−0808) 】


・内容
 わたしが一番きれいだったとき、わたしの国は戦争をしていた― 『昭和二十年夏、僕は兵士だった』の著者が描く、戦時下の女性たちの青春。 元NHKアナウンサーで作家の近藤富枝、生活評論家の吉沢久子、女優の赤木春恵、元国連難民高等弁務官でJICA理事長の緒方貞子、日本初の女性宣伝プロデューサー吉武輝子。戦争の陰でも、女性たちは輝いていた。


          


まずどうしたって、この帯に目がとまる。軍国少女だった茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」。


   わたしが一番きれいだったとき
   だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
   男たちは挙手の礼しか知らなくて
   きれいな眼差だけを残して皆去っていった


   わたしが一番きれいだったとき
   わたしの国は戦争で負けた
   そんな馬鹿なことってあるものか
   ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた


この詩は教科書にも使われているし、戦時を回想する場面で頻繁に用いられる。本書では近藤富枝さんの章に全文掲載されていて、詩と本文がマッチしているという点で茨木詩引用のベスト。こういう使われ方なら茨木さんも喜ばれるのではないかと思う。



本書がとりあげる五人の女性は著名人であり、それぞれすでに自伝・評伝的内容の本が著されてきた人たちである。これまでにもなにがしかの形で自身の戦争体験を語ったり、書いてきた方々である。
それでも著者は、あらためてインタビューを申し込み、会いに行く。これまで明かされなかった秘話を聞きだそうとするのでもないし、ことさら悲劇的な話題を集めたわけでもない。本の体裁だけ見れば類書はいくつもあるし、企画としては二番煎じに見える。でも、そうではない。
男が主導して始められた戦争は、今でも男の言い訳や後悔に満ちた「男の論理」で振り返られることが多い。女性は脇役としてすら登場しない。婦人参政権もなかった時代だが、「銃後」の女たちにも彼女たちの戦争はあり、彼女たちなりの青春があったことを伝える。

 暑い日で、汗がたらたら出てきましてね。陛下の言葉はよく聞き取れなくて、でも負けたという宣言であることは分かりました。なんだかね、私たちが今までしてきたことは何だったんだろう、つらい思いをして懸命に努力したのは何のためだったんだろうと思って、やっぱり涙がでてきました。


満州に渡った演劇少女・赤木春恵さんの話は『昭和二十年夏、僕は兵士だった』の三國連太郎氏の逸話を彷彿とさせる破天荒さである。彼女を除いた四名は、比較的裕福で進歩的な環境で暮らすことが可能だったようだが、だからだろうか、客観的に雄弁に当時の状況を語ってくれている。
慰問袋、建物疎開、竹槍訓練、火叩き、欠食児童、軍国少女。適齢期の男がどんどん兵隊にとられていくから、跡取りを残すためにも若い娘は結婚を急がされた。赤ちゃんを身ごもったのに夫は出征。そして、数週のうちに戦死。どこでどう死んだのかもわからないまま、女は戦争未亡人になる。それとは逆に、男が生還しても女が死んでいたとか、生還したのに自殺してしまった、ということだってよくあったのだという。
非情で残酷で、そして(現在の感覚からいえば)いくぶん馬鹿馬鹿しいとも思わないでいられないこうした事例は枚挙にいとがない。悲惨きわまりないはずなのに、戦時にはありきたりのストーリーでもあって、新聞の片隅にすら報じられることはなかったのである。



その「ズレ」。異常事態が日常的に起こる。平時と非常時が混在したちぐはぐな、滑稽だったり奇っ怪だったりする光景が周辺に増えていく様を、彼女たちの談話から著者はすくい取っていく。それまでの生活が失われ、感覚が鈍磨し欠落していく。それが珍しいことではなくなっていく。おそらく語っている本人も気づいてはいなさそうな恐ろしさを、梯さんは静かに文章にしたためていくのだが、同時に、そんなときでも消えない女性らしい営みも確認する。
軍国主義一辺倒の世の中でも、カトリック系の女学校では自由闊達な校風が守られ、英語の授業も行われていたという。もんぺの下にきれいなブラウスやワンピースを着こんでいた女性もいる。鉄かぶとをかぶったまま夢中になって本を読んでいた人もいる。
戦争という形そのものが悲しいのではない。きらめくはずの個性が戦争の名の下に埋没させられるのが悲しいのである。

 ここに描かれているのは、少女や女性たちの友情と愛情です。私は女同士の嫌な関係を見てきたから、女が女にやさしくあることがどんなに大事なことなのかがよくわかる。そのためには、じぶんがまずのびのびと自由に生きていないと駄目なのね。自分が抑圧されている人は、他人を抑圧するし、攻撃する。
 戦後、たくさんの女性が男社会に認められなくてはと頑張ってきて、私もその一人だけれど、女性同士がお互いに認めあうことが、ほんとうはすごく大切なんです。


男たちの戦争ということを考えると、どうしても、では原発はどうなのだと問いたくなる。安全委員会だか保安院だかに女性委員はいるのか。福島の学校の年間被爆許容値を上げた文科省の決定に女性は関わっているのか。男だけでこそこそやってると失敗するんじゃないか?というのはあの戦争の、けして小さくはない教訓のはずだ。

戦後生まれの梯さんの真摯な仕事ぶりは、昨年『パンとペン』を遺して旅立たれた黒岩比佐子さんを思わせる。何よりも‘ペンの力’を信ずる者として、彼女たちは同志であったはずだ。実際に二人は親交もあったようで、梯さんの昭和史研究には黒岩さんの遺志を継ごうとする思いもあるのではないか。
自分よりは上だが、ほぼ同世代に彼女のような人がいることを誇らしく思うし、尊敬している。今後のさらなるご活躍を期待しています。



 梯久美子 / 昭和二十年夏、僕は兵士だった

 後藤正治 / 清冽 詩人茨木のり子の肖像

 黒岩比佐子 / パンとペン