ケイト・サマースケイル / 最初の刑事


いつだって、この本は面白そうだという期待を持って読み始める。自分の予想どおりのこともあるし、はずれることもある。そんな読書生活の中で「これは絶対良い」という確信を抱き、実際にそのとおりにくぎづけになれるスペシャルな作品がときどきある。
これはそういう本で、内容的には暗いのに読むのは愉しくてしかたないという(笑)、どこを切っても英国好きの血が騒ぐ本年ベストの一冊!



【 ケイト・サマースケイル / 最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件 (516P) / 早川書房・2011年 5月 (110821−0830) 】

THE SUSPICIONS OF MR.WITCHER or The Murder at Road Hill House by Kate Summerscale 2008
訳:日暮雅通



・内容
 1860年6月のある朝、のどかな村にたたずむ屋敷の敷地で、当主の3歳の息子が惨殺死体となって発見された。犯人は家族か、使用人か? 世間が注目するなか、捜査の任についたのはジョナサン・ウィッチャー警部。1842年にスコットランド・ヤード刑事課が創設された際に最初に刑事になった八人のうちのひとりで、ずばぬけた技量を持つ敏腕刑事である。
優れた推理力をはたらかせ、事件の謎に迫るウィッチャー。しかし、非協力的な遺族や、プライバシーを重んじる風潮、加熱する報道、さらには刑事への偏見もあいまって、事件は数奇な道すじをたどる― ヴィクトリア朝英国を揺るがし、後に数々の探偵小説のもととなった幼児殺害事件の驚くべき真相とは。当時の特異な世相をも迫真の筆致で描き出す圧巻のノンフィクション。


          


1860年イングランド南西部の田舎町で起きた幼児惨殺事件の顛末を追いながら、創設からの歴史もまだ浅く社会的な認知度も低かった「刑事」の草分け的存在がどんな捜査をし、事件をどう解決に導こうとしていたかを再現していく。
現代人なら誰でも「刑事」といえば必ず一人二人のイメージを思い浮かべることができるだろう。その原初的イメージをかたちづくったのが、この事件を担当したスコットランドヤード初代刑事課に在籍した八名のうちの一人、ジョナサン・ウィッチャー警部だった。
社会の繁栄と同時に多発するようになった凶悪犯罪に対応するために、私服警官として刑事職が導入されたのが1842年のこと。しかし当時の英国民は(おそらく今でも…?)警察権力の拡張を冷ややかに見ていて、必ずしも彼らの捜査に協力的ではなかった。刑事といえども労働者階級であることには変わりはなく、ことに上流階級相手の捜査は難航するというのは、 『ファージング』 のカーマイケル警部の悲哀にもよく描きこまれていたのが記憶に新しいところだ。
ましてや、カメラや録音機器などなく、血液反応やDNA鑑定なんて科学捜査もまだ行われていない時代。遺体は十分な検死解剖もされずに早々と埋葬され、現場は捜査陣とともに押しかけた記者や野次馬住民たちに踏み荒らされている。審理は街のパブで衆人環視の下で行われることもあった。そういう状況で刑事に必要とされたのは「ストーリーを構築する」能力だったのだという。それはきっと作家の仕事にも似ていて、著者のシンパシーが全篇から感じられる。



結末は伏せられたまま時系列に沿って記述されているので、ミステリとしての興味は保ったまま読んでいくことができる。
案の定、捜査は暗礁に乗り上げる。事件のあった屋敷には家族と通いの使用人を合わせれば全部で十八人がいて、それぞれに犯行の可能性はある。しかし、子供を殺す決定的な動機は誰にもない。容疑者は二、三人に絞られるが、供述は二転三転する。精神疾患が疑われる人物が出てくる。物証は乏しく、凶器のナイフは見つからない。女性用ナイトドレスが一着見つからないのだが、それは意図的に隠滅されたのか、たまたま紛失したものなのかは不明だ。
このような進展状況を読んでいると、似たような話をこれまでに何度も見たり読んだりしてきたことに気づく。ここにいる誰かがやったのははっきりしているのに、その誰かがわからない…… 名作推理小説、あるいは「火曜サスペンス劇場」で見たようなじりじりする光景が展開されるのだ。
ロンドンから派遣されてきたエリート刑事と地元州警察の確執。密室殺人。犯行の舞台となった屋敷の複雑な家柄と人間模様。犯行とは無関係の秘密の存在。「本物の動機と偽物の動機」の混在。……この事件以後、英国の探偵/ミステリ/推理小説は隆盛をきわめる。「ロード・ヒル・ハウス殺人事件(=「コンスタンス・ケント事件」)」はそれらの原型でもあったのだ。

 ウィッチャーは犯人が屋敷の内部の者だと確信していたので、容疑者たちは全員いまだに犯罪現場にいるわけだった。この事件は、捜査する者がある人物を探し出すのではなく、人物の隠された真の姿をさぐり出さなければならないという、カントリーハウス・ミステリの原型だ。まさにフーダニット、探偵と殺人犯との知力と度胸の戦い。屋敷にいたのは十二人だった。ひとりは犠牲者だ。裏切り者は誰だろう?


全英的な注目を集めたこの事件の推移を縦軸に、ヴィクトリア朝中期の文化・社会風俗が横軸として織りこまれていて、それがまた面白い。
ウィッチャーはじめ草創期の刑事たちと親交があったディケンズと、この事件に大いに関心を寄せて数年後に名作『月長石』を発表するウィルキー・コリンズの推理が引かれ、彼らの作品への影響も解説されている。
作家や知識人のコメント、創刊ラッシュだった新聞・大衆各紙誌の論調(タイムズ、デイリー・テレグラフ、ニューズ・オブ・ザ・ワールド等々がこの時代すでに刊行されていたのだ!)と並んで、新聞社や警察当局に続々届いた‘素人探偵’の投書も多く紹介されている。
ある者は事件当夜に見た自分の夢を書いてよこし、ある者は犯人の知り合いに聞いた話だとして密告し、とうとうあれは自分がやったと出頭する者まで現れる。死者の網膜には末期の映像が残っているから、被害者の目を調べれば犯人の姿が写っているはずだとの意見は全英に配信されたという。プライバシーを曝く「刑事」という新しい存在には拒否反応を示しながらも、英国民の間には‘探偵熱’が浸透していったのだった。(これも現代英国のゴシップ好きな部分と無関係ではなさそう)
当時の警官は(メトロポリタン・ポリス創設者の名にちなんで)‘ボビー’、‘ピーラー’、あるいは‘コッパー’‘クラッシャー’などと呼ばれた。身分を隠して市民の、階級と階級のはざまにまぎれこむ刑事は、ロンドン下層社会で‘ジャックス(やつら)’と呼ばれていた。

 死刑判決が言い渡されるとすぐ、ロード・ヒルの事件に関する“ブロードサイド・バラッド”がいくつも作られた。これは犯罪についての説明を定型的な詩にして一枚の紙に印刷したもので、安い値段で素早く大量に作られ、街頭行商人たちが歌いながら販売するものだ。しかし文字が読める人の数が増えていくにつれ、このバラッドの役割は、事件をより詳しく、それも安価に報道する新聞に大きく取って代わられていた。ブロードサイド・バラッドのほとんどは、告白と後悔というかたちの一人称で書かれていた。


事件はある人物の逮捕で幕引きされるのだが、余波は十年以上後まで続いた。その後日談がまた読みごたえがある。そして著者は、犯人の供述では不可解なまま残されていた謎にかなり突っこんだ見解を示している。それはウィッチャーが否定できない可能性と考えていながら、当時彼の胸のうちだけに閉じこめていたものと近いものだった。
当たり前だが、どんな事件にも単純に白黒の判別がつかない広大なグレーゾーンがあって、そこには犯罪とは無関係な情報の方がはるかに多い。事件解明のためにはそれらも‘覗く’権利が刑事にはあるのかという批判にウィッチャーはさらされ、彼もその点でずいぶん苦労したようである。
だが、結局は現場の物証と当事者の供述だけでは、彼が想像していた真実には永遠にたどりつけなかっただろうとも思わされる。ダーウィン種の起源』は事件の前年に発表されたのだったが、「進化論」をめぐる論争の最中にこのような事件が起き、刑事という存在が初めてクローズアップされたという点でも、近代性を象徴する事件/現象であったようだ。
もちろん本読みとしては、面白い推理/ミステリ小説とはどういうものなのかを再確認できる書でもあった。個人的なその一要素を書けば、「刑事も失態を演ずる」ということである。
今や携帯メールなんかが有力証拠になってしまうのだから、往年の刑事・探偵の腕の見せ所は減る一方だろう。(いろいろな意味で)現代というのは想像力を育みもしないし必要ともしない、即物的なつまらない時代である。

全二十章。第一章「きっとあれにちがいない」に始まり、「神はこれをさぐり出さずにおかれるでしょうか」「おまえのことはお見通しだ」「星に流し目をくれる」「ご婦人がた!黙っていなさい!」等々、意味深な各章のタイトルも良い。