川瀬七緒 / よろずのことに気をつけよ


時速十五キロ、のろのろ台風の週末。おかげで(ほぼ)一気読み。

一気読みできたのだから面白かったはず。読んでいる間は没入できた。でも読後感は…???な作品。
たぶん自分は辛口な読み手なのだと思う。『最初の刑事』の後というタイミングも悪かったかもしれない。それなりに楽しんで読んだにもかかわらず、難癖の多い感想になってしまう。



川瀬七緒 / よろずのことに気をつけよ (348P) / 講談社・2011年 8月 (110903−0905) 】



・内容
 被害者は呪い殺されたのか―? 謎が謎を呼ぶ、呪術ミステリーの快作。
変死体のそばで見つかった「呪術符」を手がかりに、呪術の研究を専門にする文化人類学者・仲澤大輔が殺人事件の真相に迫る!〈第57回江戸川乱歩賞受賞作〉


          


ちょっとオカルトなイメージがあって読むのをためらっていたのだが(怖いのは苦手)、雨戸を閉め切った家で集中して読めて良かったかも。
『夜の写本師』が呪いをかけた書物を使った西洋魔術もののファンタジーだったのに対し、こちらは日本古来の民俗学的な呪術をテーマにした正統ミステリの仕上がり。作風はまったく違えど、ともに「呪い」をテーマにした新人作家のデビュー作。導入〜序盤のところどころで拙さが目立って先行きが心配されたのも『写本師』と同様だった。
育ての親である祖父を惨殺された女子大生・真由が文化人類学者の大学講師・仲澤の協力を得て真相を追う、というストーリー。冒頭でこの主人公二人が顔を合わせる場面の描写が…… ショートカットの髪型の真由は「シャルロット・ゲンズブールみたいにボーイッシュ」な感じで、仲澤先生は「ヴィンテージのジーンズに古着のTシャツ」って、いつの時代?とツッコミたくなる。端役ならまだしも、これから300ページ以上もつきあう主人公たちの最初のイメージを、こんな安直に書かないでもらいたいと読者としては思わずにいられなかった。



ことに著者は女性なのに、同性の人物描写がよろしくないのはどうしたことか? 真由は美大生ということなのに、それが説明されるのはもう中盤になってからの一場面だけで、後にも先にも彼女が学生である必然性はない。奥泉光クワコーの『スタイリッシュな生活』で、いかに簡潔適確に学生群像を描いていたかが思い出されて、ジャンルを問わず、人物がしっかり書けているかどうかが安心して読めることにつながるのだと思う。まずそのあたりがベテランと新人さんの違うところで、変なところで「奥泉光おそるべし…」と思ってしまったのだった。
真由は学生で仲澤は大学教員という設定ながら、彼らの日常生活はほとんど触れていない。猟奇的な殺人事件に対し、当然警察が捜査に動いている。その経過は無視されていて、被害者の近親とはいえ素人が(それもあかの他人同士のコンビが)学業なり仕事なりをほっぽりだして探偵の真似事に没頭するというのは日本ミステリの定型として目新しくもないけれど、でもリアリティという点ではどうなのか。



……というような違和感・不自然さに前半はひっかかりつつも、後半は結末に向かって一気に読ませる筆力があったのも事実。
『夜の写本師』でもそうだったが、基本的な小説作法の欠陥が目につきながら、ある部分になるとペンが滑らかになる。前半はぎくしゃくしていたのに、後半に進むにつれて文章が自然になっていく。本作では主人公の素顔の描写は不十分なのに、伝承呪術の説明部分とクライマックスへの緊迫感の昂ぶりは新人らしからぬ冴えを感じた。
まずテーマありき、ということなのだろうか。そのテーマに直接関わる部分は、おそらく周到に準備もしているのだろう、異様な迫力の筆致で読ませる。実際ある部分ではぞわぞわと鳥肌が立って、まるで「小型の宮部みゆき」みたいだと感じる瞬間すらあったのだ。一篇の中に、著者自身が未消化と思われる所と良く咀嚼した所が混在していて、そのギャップの大きさが気になるのはつくづく残念。
(そういう点では朝吹真理子の安定感、完成度の高さというのは、最近読んだ新人作家の中では図抜けていると感じる)



ストーリーはなかなかにショッキングなクライマックスが用意されていて、息をつかせない。
それでも…、と本を閉じるとエクスキューズをつけたくなる。事件の鍵となる地点に二人がやっとたどり着く。そこで(お約束どおりに)犯人の手に落ちる。ご丁寧にも追跡者の前で犯人自らが真相を雄弁に語ってくれて、それまでの謎が一気氷解する、というのも浪花節的というか、よくある芝居めいたパターン。
こんなことを書くと自分がいかにひねくれているかがわかってしまうのだが、絶体絶命の危機に陥る二人に「さっさと落ちちゃえ」と思ってしまう。呪術の神秘性や怨念の恐ろしさは十分に伝わってくるのに、とうとう主人公への共感は少しも持てなかった。挙げ句に予定調和的な収束が図られるのには反感すら覚えたのだった。
「呪い」に関してはよく調べてある。ただ、それが過剰に複雑さを招いて、がんじがらめになってしまったのではないか。もっと整理できたのではないか。そう考えると、効果の薄い、不要に思える小エピソードがいくつもあったとも思う。つい何でも加えたくなるけれど、本当は「引き算」が大事なのだよ、小説でも人生でもね。(←なぜか、しみじみと…)
かなり自分は意地の悪い読み方をしているとは思う。これをそのまま受けとめたら怖くて眠れなくなるかもしれないので、防衛本能が働いているのかもしれない。ちょっとやそっとのことでビビるわけにはいかない年齢でもある。これをすぅっと読んで、素直に怖さを感じる人もいるだろう。そういう人はきっと若いのだ。そういう若さが羨ましい、今日この頃。