6枚の壁新聞 / 石巻日日新聞社


【 6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録 (253P) / 角川SSC新書・2011年 7月 (111012−1015) 】



・内容
 2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方を大津波が襲った。宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では、輪転機が一部水没。創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、「電気がなくても、紙とペンはある」と手書きの壁新聞を決意する。家族・親族の安否もわからない中、記者たちは最前線で取材を繰り広げた。避難所などに貼り出された壁新聞は、被災者の貴重な情報源となり、人々を励まし続けた。「伝える使命」とは何か。震災後7日間の記者の姿を追った。


          


三月十一日の午後、石巻は午後から雪になった。砂塵を巻き上げながら家々を呑みこんでくる大津波は鉛色に濁ってカメラのピントがなかなか合わなかったという。地震発生直後から石巻日日新聞の記者たちは社外に飛び出し、それぞれ取材先で津波に遭遇した。
家族の安否はわからないまま、会社も壊れたのではないか、流されてもう残っていないのではないかと不安に駆られながら、彼らは情報収集に奔走した。日が暮れても帰社も帰宅もできない。電灯のないまっ暗がりで、明かりといえば、どこが燃えているのか、何が燃えているのかもわからない火災の赤い炎だけの夜、いつしか雪は止んでいて星がきれいだったことを彼ら全員が記憶していたのだった。



同じ夜、被災地以外のほとんどの日本人はテレビの映像に見入っていたと思う。深夜のライブ中継では、あちこちに火の手が上がっている気仙沼の空撮映像が延々と流されていた。あの報道用ヘリコプターに向かって必死に手を振っていた人が何人いただろう。
本書を読んでつくづく感じたのは、あの日、それから原発事故も加わった以降のほとんどのニュースが、実際に被災者が現地で必要としている情報をどれほど伝えていたのかという疑問だ。ライフラインが寸断されて、何が起こって今どういう状況に自分がいるのか、自分の家が街がどうなっているのか、そのことすら石巻や女川の人たちは知ることができないまま、避難所に身を寄せていた。
首都圏の大メディアがどれだけ「未曾有の大地震」「甚大な被害」と繰り返しても、それは(停電していない地域の)テレビを見ている非・被災者向けの、ただの見出しの連呼でしかなかったのではないか。市民の「知りたい」という欲求に応えるのはジャーナリズムの使命の一つだが、あの日の報道は本当に情報を必要としている人のためのものだっただろうか。

 この時点で決めていたことは、二つあった。一つは、三月の購読料をすべて無償にすること、そしてもう一つが、避難所に被災者がいるかぎり、新聞を無料で配り続けることだった。
 経営としては、多くの購読者が暮らす海岸側の住宅街がすべての地域で被災し、また、主要産業である水産、農業、工業が甚大な被害を受けており、地域に生かされてきた地域新聞社である弊社にとって、この先どのようにして、地域の復興を待ちながら、生き延びていかなければならないのか非常に難しい問題がある。しかし、行けるところまでは行こう、と腹を決めた。 


石巻日日新聞の熊谷記者は、取材中に自身も濁流に巻きこまれ、流れてきた船にしがみついたまま漂流して一夜を過ごし、奇跡的に生還した。その最中に民家の屋根に乗っかったまま押し流されていく家族や車中に閉じこめられた親子の姿を目撃している。
他の記者たちも、冠水した市内を駆け回って記事を集め続けたのだった。新聞なんて発行できる状態ではないのは分かっていても、連絡手段も移動手段もないまま徒歩で手探りの取材を続けていた。
いうまでもなく彼らもまた被災者だったのだが、手作業でも新聞を作って出来るかぎりの情報を伝えようとしたのは、ふだんから地域でその役割を担っているという自負があったからこそ実践できたのだろう。
三十代の男性記者たちを率いる報道部唯一の女性、平井デスクの手記はさすがにベテランらしい。自分たちの、あまり見栄えはよくない手書き新聞の横に貼りだされた河北新報の印刷紙面を見て、ライバルに遅れをとったことへの悔しさをにじませているのだった。



最近のニュースにあった、世田谷で放射線量の高い場所があるとか、運動会で綱引きの綱が切れたとか、そんなのは東京のローカルニュースであって全国ネットで流すべき話題ではない。
しばらく前に朝日・毎日・読売各社から出た震災の写真集がそろってコンビニに並んでいて、よく売れているようだった。自分もどれか買おうと思ったのだが、これだって、ある意味では‘搾取’なのではないかと思うと、ちょっと気分が悪くなって止めたのだった。(書店で河北新報のものを買った)
「ニュース」「報道」の名の下に、広く国民向けの大手メディアは「何を誰にどう伝えるのか」が実は曖昧で、一方的な上意下達式になりがちだ。ニュースバリューの感覚も鈍い。顔が見える読者に向かって、顔が見える地元記者が発信する地域紙の存在は、水道や電気と同様に重要なライフラインの一つなのだ。 “Think Globally, Act Locally” という言葉は環境問題だけに当てはまる言葉ではない。
壁新聞によって一躍全国にその名が知られた石巻日日新聞社だが、現実にはエリアが壊滅状態で多くの購読者を失い、今後の経営は厳しいに違いない。
一冊でも多くこの本が売れますように。この社から震災記録誌が出るならぜひ買いたい。


石巻日日新聞社は来年創刊100年を迎える地域新聞社宮城県石巻市東松島市・女川町をエリアとし、震災前の発行部数は約1万4千部。


共同通信東日本大震災・特集ページ→ 「奮闘する新聞」