村岡恵理 / アンのゆりかご


少し前からNHK-BSで映画「赤毛のアン」シリーズが放送されているのは知っていたが一回も見なかった。子供の頃からあれは女の子向けという先入観があったのだ。
本書はその「アン」原作を翻訳・紹介した村岡花子さんの評伝。翻訳文学の先駆者としての堺利彦 『パンとペン』 )、同時代の女流作家・林芙美子 『ナニカアル』 )を思い出しつつ、読んだのだった。



【 村岡恵理 / アンのゆりかご 村岡花子の生涯 (431P) / 新潮文庫・2011年 8月 (111016−1021) 】



・内容
 戦争へと向かう不穏な時世に、翻訳家・村岡花子(1893−1968)は、カナダ人宣教師から友情の証として一冊の本を贈られる。後年『赤毛のアン』のタイトルで世代を超えて愛されることになる名作と花子の運命的な出会いであった。多くの人に明日への希望がわく物語を届けたい―。その想いを胸に、空襲のときは風呂敷に原書と原稿を包んで逃げた。幾多の困難を乗り越え、命がけで訳された『赤毛のアン』。情熱に満ちた生涯を孫娘が描く、心温まる評伝。 2008年マガジンハウス刊の文庫化。


          


著者は村岡花子のお孫さん。「あとがき」にあるように、本書の執筆は著者自身の「ルーツ探求」であり、「最も身近な近代史の追体験」でもあった。明治、大正、昭和を生きた祖母の人生は、ただ一翻訳家の個人史というだけでなく、日本の婦人運動史に寄りそったものでもあるのだった。
婦人参政権、女性解放運動に尽力した市川房枝加藤シヅエ。文壇の宇野千代林芙美子吉屋信子石井桃子(『ノンちゃん雲に乗る』)らとの交流。歌人柳原白蓮との友情。政治も文学も男性主導で軍国主義に傾く一方の日本に健全な家庭小説が乏しいことを、主義・思想の問題ではなく文化の問題として若いときから憂えていた彼女が、いかにして “Anne of Green Gables” にめぐりあい、『赤毛のアン』として出版にこぎつけたか。
三笠書房から初版が刊行されたのは戦後七年を経た昭和27年(1952)、花子59歳のときだった。読み終えてみれば、花子の青春も同世代の女性たちの苦難も、そしてアン・シャーリーの物語そのものも、すべてがそこに集約されていくことになっていたような、目に見えない引力に導かれていたような、そんな気さえしてくるのだった。
 


英語教育など行われていない戦前に花子が英語を習得できたのは、東洋英和女学校に入学したからだった。カナダ人婦人宣教師との親交によって、当時まだ日本に紹介されていない数々の海外文学に触れたのが彼女の原点である。
だからこれは本に栄養をもらって生きる文学少女のお話であり、翻訳業の先駆の物語でもあり、本好きの同類としては面白いに決まっているのである(面白いなんて不遜かもしれないが)。
梯久美子さんの『昭和二十年夏、女たちの戦争』にも太平洋戦争中にもカトリック系の女学校は自由な校風を維持しようとしていたことが書かれていたが、戦後民主主義社会を形成する過程でミッション・スクールの果たした役割というのは意外に大きかったのではないかと思わされる。
キリスト教徒、社会主義者、それに女性。不平等で差別的な扱いを受けていたのはそんなに大昔のことではない。祖母の時代がそうだったということを、あらためて心に刻む。

 編集者の意見は一蹴してしまったのだが、思いがけないみどりの反対で、花子ははっと我に返った。
 この物語を読むのは若い人たちなのだ。若い人の感覚の方が正しいのかもしれない。明日には印刷所に回ってしまうので、花子は慌ててその場でまた社長を呼び出した。
「もしもし、先程は大変失礼を致しました。あのう、実は娘が『赤毛のアン』がいいと言って譲りませんの。若い人の感覚に任せることにしました。やっぱり『赤毛のアン』にします。どうぞよろしく!」


村岡花子は海外文学の翻訳だけをしていたわけではない。「少女画報」や「少女の友」に寄稿し、子供向けのラジオ番組を持ち、夫を支えながら福祉活動や女性解放運動にもたずさわっていた。来日したヘレン・ケラーの通訳も務めたりもしている。いわばもう一つの『パンとペン』と言ってもよさそうなのだが、そうした彼女の活動の根底にずっとあったのが、日常生活に基調をおいた清純で健全な読み物を少年少女に届けたいという想いだった。
市民感覚からかけ離れて野蛮で退廃的、実験的なものが‘文学的’だともてはやされる世の風潮への違和感。男社会が先進的だと押しつけてくる価値観への抵抗感。
そういわれれば、今だって同じようなことを思わずにいられない。親も子供も読める本。家族全員で楽しめる小説やテレビ番組。そんな作品がどれだけあるだろう。ゲームで漫画で、幼いうちから戦闘で優劣をつけることに慣れてしまう今の子供たちの感性は将来どんな形で表れてくるのだろう。



赤毛のアン』を読んだことはなくとも、花子の娘や近所の子供たちへの愛情あふれるまなざしには、きっと誰にとってもなつかしい母親のイメージを思い起こすだろう。
こんな挿話がある。戦時に村岡家で飼っていた子犬が徴用された。花子は犬が突然いなくなった理由を子供にこう話す― 「今日ね、兵隊さんがテルのところにやって来て、日本のために僕たちといっしょに働きませんかって誘ったの。テルは『行ってきます』って」
母親の‘お話’の能力は偉大なのだ。‘お話’をねだれば母は声音を変えたり歌を交えたりして話してくれた。絵本を読み、歌を歌ってくれた。母の声を聞きながら安心して寝入ってしまえることの幸せなどすっかり忘れていたのだが、あれは母親の力なのか、‘お話’の力だろうか。
おそらく著者は、祖母の人生をたどる中で、母への想いも新たにしたことだろう。同じ女性であることでかみしめる尊さが、あらためて母の母を描く文章に還元されているように思う。ここに書かれているのは、きっと祖母の一代記ではないのだ。母から自分にも受け継がれ、次代に継いでいくべきものがこめられている。
アンに自分を重ねた少女が大勢いたように、村岡花子の姿に自分の母を重ねるページが何ページもあった。私的だが普遍的でもあり不変であるべきものがある。村岡花子が生涯かけて届けようとした良書を別の形で実現した、ただ評伝というにかぎらない力作。


本文のあとに丁寧な注釈と年表が付けられていて、最後に文庫版解説があった。書いているのは梨木香歩さんなのだった。