中村文則 / 王国


中村文則 / 王国 (177P) / 河出書房新社・2011年10月 (111024−1026) 】



・内容
 要人の弱みを人工的に作る女、ユリカ。ある日、彼女は出会ってしまった、最悪の男に。絶対悪VS美しき犯罪者! 大江賞受賞作のベストセラー『掏摸(スリ)』を超える話題作がついに刊行!


          


出たばかりの中村文則さんの新刊はちょうど二年前の 『掏摸(スリ)』 の女性版。裏社会の仕事に関わる孤独な女が、そうとは知らず敵対組織との抗争に巻きこまれ、追いつめられていく。
たしかにこの主人公の「わたし」は、自分の指先の感覚だけを頼りに生きる『掏摸』の主人公とよく似ている。都会の片隅にひっそりと暮らす、どこにも属さない若者が反社会勢力と接点を持つ構造も同じ。淡々として暗く、それでいて几帳面な緊密な文体もそのままだった。
悪と仮面のルール』がちょっと無理して作りすぎた感触があったので、「あの中村文則」が戻ってきた期待を持って読み始めた。



今作は主人公の女の一人称で語られる。これが正しかったどうか、大いに疑問を感じるところ。
彼女は政財官界の要人や著名人のスキャンダルを捏造するために一流ホテルに派遣されるコールガールといった役どころ。自分は娼婦ではないと嘯きつつ、女の魅力を最大限利用して標的の男を籠絡し、また、ピンチを切り抜けていく。
スリリングで妖しい夜の世界にうごめく、人生に醒めた美しい女。孤独な儚い心情が細やかに描写されているように見えるけれど、彼女の目線は実は男の(中村文則の)欲望に歪んだ目線である。女性であることを強調しようとするあまり、主人公の独白には著者の自意識が強く表れてしまっているのが、『掏摸』と似て非なるポイントとして目につく。
『掏摸』のスリ師には書き手の干渉さえ拒むかのような、痛いほどに頑なな孤絶の意志があった。それゆえに断固とした強烈なオーラがあったのだが、この『王国』の女はどこまでも著者の妄想の枠から生き生きとはみ出してくることがない。彼女は斜に構えたまま、絶対に正面を向こうとしない。

人がわたしに何を求めようと、人生がわたしに何を要求し、つかまえようとしようと、わたしはそれをすり抜け、嘲っていく。わたしはその渦のような場所に居続ける。求められる熱を感じながら、それを裏切り、さらなる熱を感じながら、わたしは高みにいく。誰からも羨望されない、それはわたしだけの暗い高みだ。その瞬間、わたしは最もわたしらしくなることができる。あらゆるものから自由になることができたような、そんな感覚を覚える。


異性をしっかり書けているかの疑問は彼女に関わる男性たちへの不信にもつながる。
設定といってしまえばそれまでだが、リッチな男は皆こういう遊びをするものだ、いい女なら何としてでもモノにしようとするはずだという、いささか古くさい陳腐な男のステータス信奉が根にあるのではないかと勘ぐってしまう。
この女は特殊な世界に足を踏み入れた特殊な女だ。自分では娼婦だとは認めないけれど、あなたは娼婦以外の何物でもないのですよという世間の忠告はどこにも書かれない。彼女の仕事は職業というよりは突破口のない自閉空間のゲームのようなものに映る。
無慈悲で不条理な無数の死がほのめかされていながら、いざこの女が拳銃を突きつけ、突きつけられるクライマックスは、「撃つ、もう撃つ」と繰り返しながら絶対に引き金を引かない安っぽいテレビドラマみたいだった。最も緊迫する場面が最も弛緩しているのである。語られるべきは、書き換えられた「美しく死んだ娼婦の物語」の真実ではなかったのか。



これは『掏摸』の兄妹編であり、これだけでも楽しめるように書いたと中村さんは語っている。でも自分には、『掏摸』があったからこそこの作品があるのであって、単独でこれだけ読んだなら、これほど楽しく読めたか自信がない。『掏摸』と比較していろいろ言いたいことが浮かんできて困っているのも、楽しく読んだことの証拠なのだ。
擁護施設で育って立派に成人して生きている人もいる。(過剰反応かもしれないが)ジェンダーの感覚の鈍さも気になった。闇組織の強大な力だって権力なのに違いなく、その美化に力を注ぐのはエンタメ的手法としては有効かもしれないが、そっちでいいのか。
今作への不満や批判は中村文則さんへの期待の裏返しなのである。青臭くて書生風なところも彼の魅力の一部だとは思っているけれど、女性を主人公に据えるのなら、まず女性の共感を勝ち得てほしい。そして、文学志向であるのなら、性別も世代も越える、有無をいわせぬ作品を届けてほしいと思う。