宮下奈都 / 誰かが足りない

なぜシロクマは南極にいないのか』という本を買いに書店に行った。
入り口近くにある文芸の新刊棚をのぞくと、おっ、中村文則さんの新しいのがある。その横に、おおっ、宮下さんの新刊もあるじゃないか! 入店三分後にはその二冊を手に店を出てきたという…。
何を買いに行ったか忘れていたのはいつものごとしである。



【 宮下奈都 / 誰かが足りない (174P) / 双葉社・2011年10月 (111027−1029) 】



・内容
 評判のレストラン『ハライ』にたまたま同じ時刻に居合わせた客たちの、それぞれの物語。認知症の症状が出始めた老婦人、ビデオを撮っていないと部屋の外に出られない青年、人の失敗の匂いを感じてしまう女性など、その悩みと前に進もうとする気持ちとを、丹念にすくいとっていく。


          


「予約1」から「予約6」と題された六話からなる連作短篇集。まとめて読むのはもったいない。だけど次のも早く読みたい。だけど、深い余韻にどっぷり浸ってもいたい。逸る気持ちを抑えて、一日二篇ずつ、三日かけて読むことにした。
なるべくゆっくり、一字一字をしっかり追うよう心がけて読んでいく。そうすると、発声こそしていないものの、いつしか自分が音読のリズムで読んでいることに気がついた。登場人物の心の揺れが、本当に上手く書かれているのだが(いつものことだけど)、彼ら彼女らの話す声が耳元に聞こえるようで、これは実際に声に出して読んでみたらもっと良いかもしれない、なんて思った。



六人の主人公と、「足りない誰か」の物語。それは言えなかったひと言や、伝えられなかった気持ちの物語であり、もう一つの『遠くの声に耳を澄まして』でもあるのだった。
老若男女のバラエティに富んで、ちょっと意表をついた設定の主人公もいる。小さかったはずの傷が、この頃しきりに胸につかえている。そんな彼らが言えなかった「ありがとう」を言うために、それぞれに駅前の古い小さなレストラン「ハライ」めざして走り出す。誰かと共有して生きる今という時間の貴さが、ぞんぶんに伝わってくる作品集になっている。

 ヨッちゃん。昔も、こんなことがあったね。あーあーあー。なんとか思い出さないようにするけど、無理だった。あーあーあー、あーあーあー。記憶の蓋は開いてしまった。


だんだん疎遠になっていった近所の幼なじみと久しぶりに再会するだけの話に、長年月かけてぶ厚くまとったはずの心の鎧に簡単にひびが入ってしまった。特に泣かせる話でもなさそうなのに、じんわりと水が漏れる。ボルトはがっちり締めてあったのに。閉ざし、遠ざけようとして身構えた堅いガードを常温で溶かしてしまう‘宮下マジック’に、またもやられた。(認めたくはないが、自分の経年劣化も一因にある…)
このご婦人はあの…だろうか?とか、この眠たがりの劇団員の娘はもしかして…?とか、登場人物にこれまでの宮下作品のキャラクターを重ねて想像するのも楽しかった。

 ああ、完全に妄想野郎だ。俺は本来の料理の腕を発揮できなくて、その不満もまとめて彼女への妄想に重ねている。俺がつくる。彼女が食べる。笑って食べる。手を合わせる。俺はそれですっかり満足する。彼女が手を振って帰っていく。
 「ねえ、オムレツ焦げてるんじゃない?」


「予約2」の主人公は認知症の老女だ。息子の家族とのかみ合わない会話と絶妙な間を通して、おぼろげな記憶の中に秘めていた「ハライ」の思い出が呼びさまされる。彼女は本当にそれを忘れていたのか。本能か、あるいはプライドのようなものが、そうさせていたのではないか。団欒の風景に老女の悲哀が滲み出す傑作だった。
この前読んだ『アンのゆりかご』に引用されていた村岡花子の一文を思い出す ―「作中に生活そのものの鼓動と脈拍を感じ得るところの、有機的な文学を、私は求める」(家庭文学を提唱する機関誌『家庭』の創刊号に寄せた文から)
家庭文学の定義はさておいて、宮下さんのどの作品にも「生活の鼓動と脈拍」は息づいている。それは当たり前すぎて、逆に文章に表すのはなかなか難しいのかもしれない。だから他の小説家は突飛な浮世離れした創作ばかりするのかもしれない。



現在の自分だって、これまでにずいぶんいろんなものをなくし、別れたり、捨てたり壊したり忘れたりしてきた。ここからまた五年、十年が過ぎたときに、今のこの、すり切れてよれよれの自分を懐かしく思うことなんてあるのだろうか。時を重ねるということは、大事なものを失うことに気づかなくなっていくことかもしれない。
ただ、宮下奈都という作家の本が好きだったことは、いつまでも忘れないでいるだろう。

今年。たくさんの本がなくなった。『スコーレNo.4』や『よろこびの歌』を失くしてがっかりしている人もいるかもしれない。でも、今、この『誰かが足りない』がある。一字一字がやさしくて、おいしい。『誰かが足りない』が「ハライ」なのである。
東北のことが書かれているわけではない。作家が今できる精一杯の仕事をしただけの本にすぎない。そういう意味でも、本年ベストの一冊。もう何冊か買っておいて、今年のクリスマスプレゼントにしようと思っている。