ジェラルディン・ブルックス / 古書の来歴


90年代前半、若かった自分にはユーゴで起きていることがさっぱりわからなかった。結婚式の参列が銃撃される。蜂の巣にされた車が転がっている。病院すら廃墟と化し、オリンピックスタジアムは白い墓標が埋め尽くす墓地に変わっていた。スナイパー通り。サラエボ空爆。同じ頃、湾岸戦争アメリカがしきりに吹聴していた‘ピンポイント’とは真逆の‘無差別’の容赦ない殺伐だけがイメージにある。


          

1994年に来日した“ピクシー”ストイコビッチがゴール後にシャツをめくり上げてアピールしたメッセージは鮮烈に記憶している。“NATO,STOP STRIKE”。彼はセルビア人だった。セルビア人がボスニアを爆撃し、介入したNATO軍がセルビア側を爆撃していたのではなかったか。イビチャ・オシムの「引き裂かれたイレブン」。オシムサラエボ生まれのボスニア人。ボバンはクロアチア人。サビチェビッチモンテネグロ人。“東欧のブラジル”と謳われ魅惑のハーモニーを奏でたチームは解体された。

自分が旧ユーゴのことを知ったのはわりと最近、サッカーを通じてである。


昨年の刊行時にすぐ「ほしいものリスト」に入れたこの作品に、やっとたどり着いた。



【 ジェラルディン・ブルックス / 古書の来歴 (508P) / 武田ランダムハウスジャパン・2010年 1月 (111108−1113) 】

PEOPLE OF THE BOOK by Geraldine Brooks 2008
訳:森嶋マリ



・内容
 100年ものあいだ行方が知れなかった稀覯本サラエボ・ハガダー」が発見された― 連絡を受けた古書鑑定家のハンナは、すぐさまサラエボに向かった。ハガダーは、ユダヤ教の「過越しの祭り」で使われるヘブライ語で祈りや詩篇が書かれた書である。今回発見されたのは500年前、中世スペインで作られたとされる実在する最古のハガダー。1894年に存在を確認されたのを最後に紛争で行方知れずになっていたものだった。鑑定を行ったハンナは、羊皮紙のあいだに蝶の羽の欠片が挟まっていることに気づく。それを皮切りに、ハガダーは封印していた歴史をひも解きはじめ……。
異端審問、焚書、迫害、紛争― 運命に翻弄されながらも激動の歴史を生き抜いた1冊の美しい稀覯本と、それに関わった人々を描いた歴史ミステリ。


          


ファージングⅢ バッキンガムの光芒』でエルヴィラを匿ったのはユダヤ人の一族だった。過越祭の夜のユダヤの風習に途惑いながらも彼女は暖かくもてなされ、自分のユダヤ人への偏見をあらためたのだった。
本書の主人公・ハンナは古書鑑定と修復に才を発揮する学芸員だが、もう一つの主人公と呼べる存在が、彼女に託された古書「サラエボ・ハガダー」。ハガダーとは、ユダヤ人が過越祭の晩餐の儀式で出エジプト記を語り伝える際に必ず使う書物とのこと。エルヴィラを迎えた一家がヘブライ語で語り合っていたのがこのハガダーだったのだろう。
今年読んだ海外小説には妙にユダヤ人絡みのものが多いのだが、この作品もまた、一冊の古書を通じてユダヤ人の半世紀にわたる流転を描いたものだった。

 当然のことながら、書物は材料だけでできているわけではない。人の心と手による芸術品でもある。金箔師、石をすりつぶして顔料を作る者、能書家、製本師― そういった人々を感じるときほどの幸せはない。静まりかえった部屋にいると、ときに彼らが語りかけてくる。意図を打ち明け、それが私の仕事の手助けになる。


ハンナは「サラエボ・ハガダー」に付着していた昆虫の羽根、液体染み、金具痕、塩などを採集する。それらを科学的に分析することで、その本が置かれた時代や環境を特定できる可能性があるのだ。
羊皮紙から羊の産地がわかる。絵に使われている顔料からその材料や採取地を調べられる。しかし、素材から判明した時代も場所もばらばらだった…
鑑定士は美術史、宗教史や民俗学、地史など広大な分野に精通していなければならない。友人や専門家の協力を仰ぎながら研究を進める、いかにもドライな現代女性という感じのハンナのパートと、付着物を鍵として明かされる過去のパートが交互に綴られていく。本の傷みの一つ一つは、それぞれの時代の苦難を懸命に生きた人々の刻印でもあるのだった。そして最後にハンナもこの書物の運命に重大な関わりを持った一人となって小説は閉じられる。



異端審問、焚書、迫害、排斥、追放。虐殺。分断と離散。五百年の間に残された痕跡は、ユダヤの流浪の歴史を物語るものだった。最初の持ち主の元を放れたハガダーが、ときにキリスト教徒、ときにはイスラム教徒の手に渡りながら(イスラム法典と並べておくことで隠されたりもする)たどった数奇な、そして壮絶な運命。それはこの書に関わった人々の運命を代弁していて、特に(ストーリーとしては後半に配置されている)これを作った能書家、製本師、絵師たちのそれぞれの物語には胸をしめつけられた。
ハガダーそれ自体は特別に珍しい書物ではない。だが、この「サラエボ・ハガダー」が消滅を免れてきたのはユダヤ教徒の抵抗だけによるのではないことを考えると、この書物は人類を試す生命力を宿しているのかとも思えてくる。信教を越えてそれに応えることができるかどうかを本が問うていたかのようなのだ。

 セリフは厳しい顔で上司を見つめた。「私にほかにどんな選択肢がありますか?私は学芸員です。あの本は五百年ものあいださまざまな危機をかいくぐってきた。それなのに、私がその本を任された時代に燃えてなくなる?そんなことを私が許すと思っているなら、ヨシップ、あなたは私を見くびっている」


十五世紀のレコンキスタから二十世紀のホロコースト、そしてボスニア紛争までを見つめてきたハガダーが1994年のサラエボの絶望的状況下で見つかった実話は現代の奇跡だが、その背後には、強奪され焼き捨てられた何万もの書物がある。踏みつけられ破られ、炎に投げ入れられた無数の本があり、それと同じ数だけの人間の根深い憎悪と悲運がある。繰り返される悲劇の渦にかき消えた、無名の人々の小さな奇跡の連続。彼らの魂のリレーを甦らせたのが「サラエボ・ハガダー」であり、『PEOPLE OF THE BOOK』(本書原題)なのだ。
宗教対立や民族感情に疎い日本人的感覚を全面に出して言ってしまえば、本を捨てるか捨てないか、というだけの話である。一冊焼くか焼かないかの話である。だけど、「この一冊は」の、絶対の物語なのである。
(これを完全なるフィクションとして読める日本人の無知は、たぶん、幸せということなんだろう)  

ただユダヤ人が迫害の歴史を生きてきたと述べるだけなら、年表をなぞるだけでいい。異なる民族、異なる宗教が憎みあい殺しあう最中に、隣人を庇い、匿い、救った事実だって、絶対にあったのだと信じたい。そう信じさせてくれる文学の役割は捨てたもんじゃないと思わされる、読書家冥利につきるブラボーな一冊。



「本そのものにも物語がある」とは『ビブリア古書堂』の栞子さんの言葉だが、スケールの違いが凄すぎて「‘古書’つながりで読んだ」なんて言えなくなってしまった。関連はむしろ『夜の写本師』の方が深いか。これをSF化すると『華氏451度』になる。そういえば、『異星人の郷』も中世の古文書解読の物語だった。好きになれなかった作品だけど、これを先に読んでいたらもっと興味深く読めたかもしれない…… と、いろいろな本への連想も浮かぶ読書になった。