河北新報のいちばん長い日

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 (272P) / 文藝春秋・2011年10月 (111210−1214) 】



・内容
 肉親を喪いながらも取材を続けた総局長、殉職した販売店主、倒壊した組版システム、被災者から浴びた罵声、避難所から出勤する記者。それでも新聞をつくり続けた。2011年度新聞協会賞受賞。被災者に寄り添った社員たちの全記録。


            
        

石巻日日新聞の『6枚の壁新聞』 を読んだときに河北新報のことも知っていたので、つとめて冷静に読んだ。
三月十一日、東北のブロック紙河北新報社も被災した。組版システムにダメージがあり、創業以来の紙齢が尽きるところだったが、新潟日報の協力をあおいでなんとかその日の号外と翌朝刊発行にこぎつけた。
社員、販売員の安否すら確認できないパニック状況で新聞制作に奔走した長い一日と、それ以後のライフラインが断たれた中での取り組みを通じて、報道メディアの、ことに地域紙の役割を問い直すドキュメント。



危険を顧みず、ただ情報を伝えようとの一心で取材に出て行った記者を、ことさらに「ジャーナリスト魂」などと持ち上げようとは思わない。記者とはそういうものであるらしいのだ。
空撮のためにヘリで飛ぶ。学校らしき建物の屋上にSOSの文字が見えてくる。その傍らに必死にこちらに向かって手を振り叫ぶ人の姿がある。しかし報道用ヘリにできることはない。記者とはそういうものでもあるらしい。
凄惨な現場を目の当たりにした記者たちは自分の職業意識と一個の人間感情の相克に迷い、悩む。それには答などないのだろう。ただ、そういう葛藤と戦いながら書かれた記事は読者の心に必ず届く。「こんなことをしていていいのか」その自問の経験、ジレンマこそは記者の証でもあるのだろう。



電気がとだえテレビ、ラジオ、インターネットも通じていない避難所で切望されたのは「生活情報」だったという。自分の住んでいた地域はどうなったのか。親が、兄弟が暮らす町は。病院は、学校は、役場はどうなっているのか。ここの他にどこが避難所になっているか。
13日以降、在京メディアのメイン報道は福島原発事故にシフトが切り替わった。うがった見方をすれば、官房長官原子力(非)保安院だか(不)安全委員会だかの会見に詰めていればニュースになったのだ。
紙面は限られている。自分たち地元メディアに求められているものは何か。「死者」ではなく「犠牲者」。「死体」ではなく「遺体」。記事中に使う単語一つにも被災感情は配慮された。津波に襲われる寸前の光景を撮ったスクープ写真は掲載しなかった。河北社は「被災者に寄りそう報道」へと舵を切ったのだった。



センセーショナリズムにはもう辟易としている。新聞社だけが特別だったのではない。あらゆる現場で、わけもわからず書類を、製品を、施設を土地を守ろうとした人がいたはずだ。ぎりぎりの状況で人間にできることなんてたかが知れてると、醒めた目で読んでいく。
本書は河北新報社が全社員に行ったアンケートを下敷きにして書かれた。自己検証、自浄作用は上の組織に行くほど働かなくなると思われるが、新聞社員の紙面に載らない意見や感想がこうして一般にも知らされるというのは、地方紙ならではの試みでもあり、有意義なことだと思う。
その中の、ある社員の意見に「発信力」という言葉が出てくる。被災者も支援者も発信力のある人中心の記事になりやすいことを懸念する提言だった。最近のテレビニュースでも復興を扱う内容が増えてきたけれど、カメラの前に立つのはメッセージを発するパワーのある人だ。そうではない人もいる、とこの社員は訴える。考えてみればそれは民主主義の精神そのものであり、日ごろ当たり前に報道を受け取っている側にも必要な感覚だと思う。
歴史は言葉で残るのだから、今、語れることは語らねばならない。この本はその貴重な記録の一冊だと思う。しかしまた、報道がすべてではないことも、この本は教えてくれる。
きっと言葉だって楽な方へ逃げようとする。わかりやすい大きな声が大見出しとなって歴史に残っていく。新聞に載らない、電波に乗らない「声なき声」があることを、心の片隅に留めおきたい。




……以上は表向きの、知ったかぶりで書いた「感想」。まったくの私見も記しておく。
正直に書けば、よくわからないのである。自分は被災者ではない。自分の会社では紙をはじめとする資材調達に支障があったが、生活上の大きな影響があったわけではない。ただ社会現象化した空気に震災と原発事故を感じて同調しているだけだ。
自分はアンチ会社人間で、企業戦士なんかにゃなれない性質である。明日、東海地震がくれば、仕事なんかほっぽりだしてまっ先に逃げると心に決めている。なので、あんな大震災下で従業員が離脱せずに維持されるシステムをよくできているものだと感心したものの、自分にはピンとこなかったのが正直なところで、少し不気味にすら感じたのも本音である。(ついでに書けば、これが文春から出ていることも…、よくできているではないか?)
たぶん河北新報の方々は「会社のため」だけに動いたわけではない。労働意識ではなく、ほとんど本能とか衝動なのだと思う。頭の中は真っ白、目の前はまっ暗、それでも身体はシステムから逸脱しない。では、何のために…? 手渡された刷り上がったばかりの新聞をむさぼるように読んだ人がそれを感じればいい。部外者が勝手な想像であれこれ言うのは慎みたい。だから「そういうものなんだろう」と思うだけにする。