上田早夕里 / リリエンタールの末裔


【 上田早夕里 / リリエンタールの末裔 (328P) / ハヤカワ文庫JA・2011年12月 (111230-120102) 】



・内容
 彼は空への憧れを決して忘れなかった― 長篇『華竜の宮』の世界の片隅で夢を叶えようとした少年の信念と勇気を描く表題作ほか、人の心の動きを装置で可視化する「マグネフィオ」、海洋無人探査機にまつわる逸話を語る「ナイト・ブルーの記録」、18世紀ロンドンにて航海用時計(マリン・クロノメーター)の開発に挑むジョン・ハリソンの周囲に起きた不思議を描く書き下ろし中篇「幻のクロノメーター」など、人間と技術の関係を問い直す傑作SF四篇。


          


『華竜の宮』日本SF大賞受賞にタイミングを合わせるかのように、上田早夕里さんの短篇集が出た。
圧倒的な海洋SF巨篇『華竜の宮』の時代。世界の片隅で大空を飛ぶことに憧れる少年を主人公とする表題作は、がっちり構築された設定の中に無垢な少年を放り出してその成長を見つめたストレートなリリカルな一篇。小川一水さんの『妙なる技の乙女たち』『煙突の上にハイヒール』を連想した。
海面上昇にともなう環境変動に適応するために航空・宇宙技術は凍結されている数世紀後。大規模な海上都市が建設されて個人用飛行ビークルなんてものもありそうな未来なのに、彼はハンググライダーを手に入れて飛ぶのを夢見ている、というあたりはデジタル一色、科学万能主義にはならない上田SFの特色の一つ。荒々しい原始と無機的な未来が入り混じった世界観はあいかわらず魅力的だ。
この世界の人類は陸上民と海上民とに別れた進化をしているのだが、この少年は背中に鳥の足のような「鉤腕」が生えた高地の少数民族として登場する。魚舟は海上民の進化の一形態だったが、陸上民にも新種のヒトがいたのである。壮大な『華竜の宮』の生命のドラマはまだ閉じていないのだ。

 ……私たちは感動するというよりも、自分と霧嶋さんの間に、もはや、埋めることのできない深い溝が生まれていることを知りました。
 一個の生物として― 私たちと霧嶋さんは、もう違う種類の生き物なのではないか。


最後の「幻のクロノメーター」は、実在の時計職人ジョン・ハリソンの実話を下敷きに産業革命勃興期の英国が飛躍的な発展を遂げた秘密を明かすという、新機軸を見せた中篇。航海用時計の開発秘話をSF仕立てにしてある面白い試み。
パティシエ物の作品も書いている著者だからか、イギリスのウナギ料理というかデザートというか、「ウナギゼリー」(!)も出てくる。ヴィクトリア朝ロンドンが舞台の小説にはときどきウナギが出てきて不思議だったんだけど、昔はテムズ川でウナギが獲れ、イーストエンドではウナギのブツ切りが入ったシチューやらパイやらが人気メニューだった時期もあったとか。
そんな小技を効かせつつ、史実にフィクションを絡めてストーリーは進行し、やがてキャプテン・クックによりハリソンの時計が認められることになるのだが、それを受けた最後の数ページがふるっている。本作は書き下ろしだが、ここで語られている十九世紀の人間と技術の関わりは、現代の原発事故を踏まえたうえで書かれたものだという気がしてならない。(深読みかもしれないが)



上記二作はグライダーとクロノグラフの製作工程を丹念に織りこんだ異色の作品だったが、真ん中の二篇「マグネフィオ」「ナイト・ブルーの記録」は上田さんらしくぞくぞく来る刺激的な近未来作品だった。平然とものすごいことが書いてあるので、正月ボケのぼおっとした頭で字面だけを追っていると気づかなかったのだが、ちょっと神経を尖らせてストーリーに入っていくと背筋がぞわぞわしてきて、『魚舟・獣舟』の興奮が甦ってきたのだった。ことに「ナイト・ブルー」はタイトルページにでっかい花丸を画きたくなるような、“傑作”の印をバン!と押したくなるような鮮やかな冴えとキレ。正常な神経でこんなの書けるものだろうかと凡脳は疑うしかないのだが、「これぞ上田早夕里!」と快哉を叫びたい出来だった。
SFの多くは科学や環境が変化しても登場人物は現代人とさほど変わらぬままだったりするのだが、彼女は人間の変異も想像している。身体や脳の機能拡張によって人体に改変が加えられたときに、人間の生理は以前のままでいられるのだろうか。そして「それでも《自然な人間》といえるのか」と問う。外観は同じなのに感覚器官がまったくちがう人間が現れたときに、彼はわれわれと同じ種なのか、と。
『魚舟・獣舟』以来、『華竜の宮』にもこのテーマは通底しているけれど、彼女のスゴさはそれを否定的に、おざなりの文明批判に終わらせないところにある。それを別の形で具現したのがこの二作だった。

 私は、本当は教えてあげたかった。誰と一緒に暮らすにせよ、人間というのは、別に同じ感覚など持たなくて構わないのだと。ただ共に暮らし、何となく大雑把に、同じ方向を見ていればそれでいいのだと。
 でも、言えませんでした。


思えば地球上に人類が出現して以来、ヒトは国によって地域によって、話す言葉も肌の色も別れて進化してきたのだ。そういう変化がこれからの人類にも起こるかもしれない。彼女の世界観を突きつめて考えていくと、そこまでさかのぼることもできる。案外、ルーツには『進化論』があるのかもしれないが、そこに最先端の脳神経系技術をミックスして人類の新種を創造する。生物としてのヒト、倫理上のあるべきヒト、それに人工のヒト。同じだろうか? その想像の深さはジャンルを越えて文学の域にあると思う。
一ファンとして上田さんがこれから書くだろうSFを勝手に推測。他人の感覚や記憶を疑似体験でき、脳データを売買できる世界を描くのではないか。これはもう「ナイト・ブルー」にもちらりと書かれているのだが…… たとえば現在、視覚の3Dが普及し始めているけど、触覚が3D化したらどうなるだろう。人の感触をエンタテイメントとして楽しむことができるようになると、人間の欲望はどういう方向に走るだろう。悪い方に考えたくはないが、だいたい想像はつこう。
でも、ふと思う。「本」はそういうツールでもあるではないか。本こそは。著者の鋭敏な想像力を、読むことで追体験する。その愉しみはこの一冊でも充分に満たされた。「ナイト・ブルー」の最後に記された感動的な数行に上田さんのやりたいことは全部集約されているかと思うのだが、それに乗っかるならば、読む者もまた‘物語の一部’になることは可能なのだから。
そう信じさせる魔力こそは魅力。上田早夕里さんはきっとまたスゴイ作品を出すにちがいない。そう確信した2012年オープニングの一冊。