小倉美惠子 / オオカミの護符


書店でふと目にして‘オオカミつながり’というだけで手にした本。ご先祖様の呼び声が聞こえたよ。薄々の予感はあったんだけど、新年早々、大当たりの気分である。
なぜニホンオオカミがいなくなったのかまでは言及してないので☆一個マイナスです(←ウソ)。



【 小倉美惠子 / オオカミの護符 (206P) / 新潮社・2011年12月 (120103-120106) 】



・内容
 五十世帯の農村から七千世帯が住む東京のベッドタウンへと変貌を遂げた川崎市宮前区土橋。長年農業を営んできた著者の実家の古い土蔵で、護符の「オイヌさま」がなにやら語りかけてきた。護符への素朴な興味は、謎解きの旅となり、いつしかそれは関東甲信の山々へ─。都会に今もひっそりと息づく、山岳信仰の神秘の世界に触れる一冊。


          


ある日、実家の土蔵に貼ってある犬の絵がついた護符に目が留まった。子供の頃からずっと見慣れてきたはずのものなのに、それが意味するものを知らなかった著者はビデオで撮った。護符の由来を家族に聞き、今も続く地元の伝統行事を記録することにした。撮影取材の旅は導かれるかのように奥多摩秩父の山々へと広がり、それはやがて『オオカミの護符 〜里びとと山びとのあわいに〜』(2008年)という一本のドキュメンタリー映画になった。
その書籍版。映画は見てないけれど、興味の赴くままに山々を訪ね歩く著者の素直な語り口が心地よい本になっていた。



おそらく山岳信仰の「講」という組織や先祖伝来の祭祀、神仏習合と分離の歴史については、これまでに多くの記録、専門書が書かれているはずだ。しかし著者は自分の足で現地に行き、現存の風習と神事に触れ、自らの手で記録することを選んだ。映像に収め、さらにこうして文章にもした。したためられているのは、あくまで都会に住む現代人の彼女が「何を感じたか」である。
ここには学術的な項目も歴史見解もない。メッセージやスローガンもない。動機が次の動機を呼んで、終着の定まらない旅は続く。迷宮を迷走しているだけなのかもしれない。しかし、やがてあちらで聞いた話、こちらで目にした光景、断片的だったエピソードが一つにつながっていく。偶然は必然になり、労働ではない仕事が生まれてくる。一筋の道が見えてくる驚きと喜び。その過程が実に清々しく書かれていて良かった。

 五月十五日。神官が厳かに「オーー」と発声する警蹕とともに「大口真神社」の扉が開かれる。警蹕とは声を発することによって神が通る道を清め、邪気を祓うものとされている。その獣の雄叫びのような声は、まるでオオカミの遠吠えのようにも聞こえた。
 開かれた扉の奥から木造のご神体が現れた。「これはオオカミだ!」と、心の中で叫んだ。


鹿の肩胛骨を灼いて作況を占う「太占(ふとまに)」や「お炊き上げ」、キツネ憑きのお祓いといった、縄文の古来からお百姓の間で受け継がれてきた祭祀や儀式を知るうちに、著者はとうとう「御産立(おぼだて)」という伝承に行き当たる。‘心直ぐなる者’のみが耳にすることができた声とは……(!)
山間の集落の戸数がほぼ変わらずに維持されてきたのは、その土地の水と作物の採れ高が―自然の恵みの総量が―決まっていたからだという。助け合い、コミュニケーションがとれる範囲で構成されていた。人が多すぎても少なすぎても争いのもとになるということか。
自然との調和、自給自足のバランスは先人たちの知恵で文字どおり「自然に」保たれてきた。幾世紀、何代にも渡って続いてきたそんな風習は明治維新でも昭和の戦争でも変わらなかった。なのに、このわずか数十年のうちに激変してしまった。あっけなく結界は破られ、葬り去られようとしている。



生まれ育った自分の土地で先祖がどんな生活をしていたのかという発端と、あられもなく変わりはてた現在を対比して、著者はことさらに怒りを表明したり無力感を嘆いたりはしない。自らを「旧い暮らしの価値を身に宿す最後の世代」だと言い、何が変わったのかすらわからなくなってしまう前に「微かな印を刻んでおきたい」と願うだけである。
昨今流行りのエコロジー思想とも距離を置く。「環境破壊」「自然保護」という単語すら使わず、読者に解釈や態度表明を強いない。
自分などは、さんざん雑木山(「べーら山」)を痛めつけておきながら今さら「里山再生」だなんておかしいではないか?と、つい怒りが先走るのだが、それだって「木を見て森を見ず」なのかもしれない。昔と今の‘橋渡し役’を自認する著者は聞き手として、真摯に慎重に貴重な証言に耳を傾け記録に徹する。
どこにたどり着くのか、何に導かれているのか、手探りで始まった旅は、古老たちとの出会いと清浄たる山々での体験を通して、著者の体内に潜んでいた懐かしい感覚を呼び覚ます。‘心直ぐなる者’にしか聞こえない声は、彼女にも聞こえたはずだ。そしてそのルーツは、彼女だけのものではなかった。
かつては法令、制度、政策、神事に先んじて、まず人と自然風土の関わりが尊重された。自然は保護するものではなく畏怖すべきもの。護符の大口真神がそう語っているように見えてきた。


オオカミ本認定。
ニホンオオカミ明治38年(1905年)に絶滅したとされるが、それ以後も連綿とオオカミ信仰は続いてきた。自分がいま生きている場所にも、かつてオオカミがいたことを考えたい。
「オオカミを放て!」