S.オブライエン / フクロウからのプロポーズ


【 ステイシー・オブライエン / フクロウからのプロポーズ (368P) / 日経ナショナルジオグラフィック社・2011年2月 (120117-120122) 】



・内容
 1985年のヴァレンタイン・デー。フクロウ研究室で助手をつとめていたステイシーは、翼を傷めたメンフクロウのひなと出会う。一目惚れしてしまったステイシーはそのひなを引き取り、「ウェズリー」と名づけ、自分の部屋で一緒に暮らしはじめた― 人と動物の交流、鳥の秘められた知能、そして命をかけて愛し、つくしぬく〈フクロウの流儀〉について、鋭い洞察と深い愛情をこめて語られる、一羽のメンフクロウの生涯。


          


本を読みながら、自分がどうしてこれを読むことにしたのか不思議に思うことがある。この本がそうだ。これは 『ある小さなスズメの記録』 のフクロウ版だな、アメリカ版だな、と読む前に思っていて、実際そのとおりなのだった。知られざる動物の知性と生態。人間環境で育った野生動物が引きおこす(主に人間側の)珍騒動。意思疎通できるようになり、情愛が深まって、互いがかけがえのない存在になっていく。そういう流れも予定調和的に思えるほど期待を裏切らない。
有名童話を持ち出すまでもなく、似たような話は他にもたくさん知っていて、それでもまたこういう本を読んでしまうのはなぜだろう。頭の片隅でそんなことを考えつつ斜にかまえて読んでいたのに、最後には自分の鋼鉄のはずのハートがあっけなく濡れ雑巾みたいになっちゃうのだから困ったものである。
表面的には「ありそうな話」。だけど一般的なペット談とは似て非なる話なのだった。

 「よく聞き取れなくて……でも、たしか……ネズミっておっしゃったような……」
 「そ、そうです」 声がうわずった。
 「あ、やっぱり……。でね、ネズミを解凍?……解凍でいいのかしら?」
 わたしはうなずいた。“フクロウの秘密”も、もはやこれまで。


著者は猛禽類の初心者ではなく、カリフォルニア工科大学(たしか昨年の「世界大学ランキング」一位)の生物研究室の助手として働いていた女性。羽に傷を負って放鳥できなくなってしまったフクロウの雛を彼女が引き取ることになる。
知らなかったのだが、フクロウはネズミしか食べない。ネズミ以外食べない。水すら飲まない。一日に数匹のネズミを丸飲みにして食べて、それが全栄養素になるのだそうだ。だからペットショップで鳥の餌を買ってきてくれてやるというわけにはいかない。ただひたすらネズミを与えるしかないのである。ステイシーは夜行性のフクロウに19年間ネズミを与え続けた。その事実だけでもこの話の骨格を語るのに十分だろう。
また、このメンフクロウという種には繊細というか神経質というのか気むずかしい一面があって、精神的なショックを感じて動揺すると、がっくり落ちこんで、そのまま死んでしまったりするらしい。家の中で飛ぶ練習を始めたウェズリーが無様な格好で落ちるのをみてステイシーは爆笑してしまう。すると彼はステイシーに背を向け壁を凝視したまま動かなくなってしまう。なだめてもあやしても彼は頑として応えない。
ステイシーはそういうメンフクロウの習性を承知していたから巧く対処できたのだが、何の知識も持たない一般人がフクロウを飼おうとしても、じきに死なせてしまうだろう。



メンフクロウは一度番うと生涯添い遂げる。連れあいが亡くなれば、残された方は木の幹を見つめたまま死んでいくこともあるという― メンフクロウには《彼らの流儀》がある。たとえ何年も人と暮らしていてもそれは絶対に変わらない。一対一でふれ合い、信頼関係を築くには、その流儀を尊重せねばならない。しつけようとか訓練しようとして一度でも声を荒げたりすれば、もう二度とそのフクロウはなつかない。
途方もない忍耐を要する鳥との共同生活を選んだステイシーだが、年頃の若い女性だから、フクロウを取るか結婚を取るか、そんな選択に迷うときが幾度か訪れる。しかし彼女は常にウェズリーへの無償の愛を選んだのだった。
ここにはメンフクロウの生涯が書かれているのだけれど、読んでいるわれわれは、そうまでしてフクロウに尽くす彼女の物語を併せ読むことになる。ペットにふりまわされる珍談にせずに、あくまでウェズリーという高貴なメンフクロウの思い出を記そうとする著者の無作為の態度が好ましく、良かった。
彼女は専門的な知識もあり、幸いにして野生動物との共存に理解ある友人知人にも恵まれていたのだが、研究者としてではなく、飼い主としてでもなく、始めは母親として、ウェズリーが成長した後には伴侶として、人生を共にしたパートナーとしての立場からの記録になっていた。

 涙がひとつぶ、ウェズリーの背中の羽にぽとりと落ちた。「ウェズ、わたしだいじょうぶだから」 涙声でわたしは言った。「動物のことわからない人と、しあわせになんかなれないもの」


現実的な騒動が多少の誇張もまじえて語られるのだが、いくつかの美しい場面が心に残った。
ある夜、ステイシーの部屋の窓辺に一羽のメスのフクロウが飛来する。そのメスは窓の外からしきりにウェズレーに鳴きかける。ステイシーはどうすることもできずにベッドの中でじっと成り行きを見守るしかないのだった。
また、深夜に野生のメンフクロウの巣に冷凍ネズミを投げ与える場面、彼女の祖母も昔フクロウを飼っていた事実を知る場面も印象深い。ステイシーとウェズリーの結びつきが、野生と人間社会の境目で超自然としか言いようのない現象を呼びおこすかのようなのだ。
ほとんどの人はこういう物語を嫌いではないだろう。それは、もはや人と人では成立しないものを知らされるからかもしれない。人間同士ではなかなか難しいものが野鳥とならかなえられるかもしれない。そういうほのかな期待が持てるから、自分はこういう本が好きなのかもしれない。
信頼を深め理解しあおうとするとき、種の垣根を越えようとするとき、たとえその相手が犬でも猫でもメンフクロウでも、同じだ。もちろんオオカミだって。人とアンドロイドの物語を読むときも、期待するのは同じことだ。これは一種のファンタジーなのである。


まっ白いハート型の顔と黄金色の翼を持つ美しいメンフクロウ……実物を見てみたいなと思ったら、近くに見られるところがあるではないか→ 掛川花鳥園
メンフクロウの「ケンちゃん」と記念写真が撮れるとか、ふくろうグッズとか充実しているみたい。これは行くしかないっ!