伊東 潤 / 城を噛ませた男


146回直木賞は、葉室麟蜩ノ記』。そろそろだろうと思っていました。おめでとう、葉室さん!


……とか言いながら、読むのは落選した伊東潤さんの方という(笑)。ごめんなさい、葉室さん! だって『蜩ノ記』と『城を噛ませた男』、「いかにも」な葉室さんと「おっ!?」と思わせる伊東さん、タイトルからして見事にお二人の作風を表しているんだけど、『蜩ノ記』はもう良いに決まってる、いつもの‘葉室節’のような気がしてしまうのだ。

葉室さんは今回が五回目の候補。順当の受賞だろう。近いうちに伊東潤さんの番も来ると思っている。(賞レースなんて興味ないけど)



【 伊東 潤 / 城を噛ませた男 (277P) / 光文社・2011年10月 (120124-0127) 】



・内容
 全方向土下座外交で生き延びた弱小勢力もついに命運尽きるときが(見えすぎた物見)。 落城必至。強大な水軍に狙われた城に籠もる鯨取りの親方が仕掛けた血煙巻き上がる大反撃とは(鯨のくる城)。 まずは奴に城を取らせる。そして俺は国を取る。奇謀の士が仕組んだ驚愕の策とは(城を噛ませた男)。
戦国時代。賭けるのは、命。信じるのは、己の腕。のるか、そるか、極限状態で「それぞれの戦い」に挑む人間の姿を熱く描いた渾身作。


          


『戦国奇譚 首』 『戦国鬼譚 惨』 で戦国短篇の腕をぞんぶんに見せつけた伊東潤さんの最新短篇集、全五話。今作も小田原征伐関ヶ原までの群雄割拠の時代、熾烈な権力争いの裏でどちらにつくか、お上の顔色をうかがいながら必死に立ち回る小さな国人たちの戦いを描く。
冒頭の〈見えすぎた物見〉は上杉と北条の領地の境目にある下野国・佐野家が両勢力の板挟みに悩みながら家督を存続させていく様を描く。ときに「表裏者」「小心者」と誹られようとも主家と共倒れになるのを避けて細々と首をつなぐ家もあったのだ。
武田は滅亡、謙信死後の上杉は分裂し、織田、豊臣の強大な軍勢が上方から北条の関東を脅かす。そんな動乱の世を、策謀・諜略というほどもない、ただ強者に尾を振る弱腰外交によって乗りきるしかない者もいた。以後も戦国小説にありきたりな「武辺者」のイメージをあざ笑うかのような作品が続く。



第二話〈鯨のくる城〉は伊豆・雲見で漁を糧とする小藩が下田湾を封鎖した圧倒的な豊臣水軍に一泡吹かす、本作品集中、最も痛快なスペクタクルな一篇。一瞬の下剋上に血湧き肉躍る。思わず「いいぞ、伊東潤!」と膝を打ちたくなる快作だった。
天下人の上方ではなく、板東武者に材を採るのは伊東氏の得意とするところだが、本作では伊豆、韮山久能山が舞台の作品もあって、静岡県人としては嬉しかった。
表題作〈城を噛ませた男〉は、秀吉の天下統一で世が平定されてしまえば己れの出頭(出世)するチャンスがなくなってしまうと焦る男と、その野心を手玉に取る策士の物語。一国一城の主になるのを夢見る男の当たり前の野心が、達成寸前に奈落に突き落とされる、その急落の恐ろしさはまったく現代的で、時代小説ばなれしている。この男が真実に気づかされる瞬間の冷や汗の冷たさは、いつか自分も経験したような気がするのだが、気づいたときにはもう遅いのだ。

 鯨たちを左手に見つつ、鯨船は一直線となって下田湾をめざす形になった。
― まさか。
 その考えに行き着いた時、寅松の背筋が凍りついた。


唯一、女性(武家を出家した尼僧)が主人公の第四話〈椿の咲く寺〉は家康により滅亡させられた一族の復讐譚。ちょっとメロドラマっぽくロマンチックな予感も湛えていながら、あにはからんや、どんでん返しであっさり蹴りをつける。命を軽く扱っているわけではないが、冷酷残虐な仕打ちを平然と書いて陰湿な後味を残さない、こういうドライさがこの著者の特長だと思う。
最終話〈江雪左文字〉は北条、秀吉、家康に仕えて戦国時代を生き抜いた岡野江雪が関ヶ原合戦で果たした重要な役割を、彼の若き日々と石田三成との確執を交錯させつつ描いた趣向を凝らした作品。天下分け目の決戦、東西両軍を俯瞰する松尾山に陣取りながら、どちらに与するのか態度のはっきりしない小早川秀秋に業を煮やした彼がとった行動とは…?



五話の主人公たちの行動を(強引に)要約抽出してしまえば、寝返る。裏切る。出した叛旗をひっこめる。しらを切る。知らんぷり。鼻をあかす。欺そうとするヤツを欺す。見抜く。けしかける。……そんな按配になる。つまり、どうしようもなく人間的だ。ここには武士小説に付きものの‘主君への忠誠’とか‘武士の大義’といった美学はこれっぽちも感じられない。(そこが葉室麟さんとの最大のちがいだと思う)
戦国時代とはいえ、武力で生き残ろうとした者たちばかりがいたわけではない。地べたに頭をすりつけて生きるしかない国人の滑稽や哀切も武士の一つの姿としてとらえた異色の作品ばかりが並ぶ。
巨大なものと小さきものの対比で残る印象は、太刀打ちできない強さに対する何ともいえない無力感である。上には上がいる。出る杭は打たれる。強い方が勝つ。現代でもまま感ずる巨大権力機構への遠い距離。決死のパンチが相手には痛くも痒くもない痛切。思いきって殴ってみたはいいが、こちらの手の方が痺れてしまう悲しさ。そうして否応なく一瞬のうちに理解させられる現実。
伊東潤さんは王道を行かない。アウトサイダー目線で戦国時代を物語る。この作風のまま、いつか直木賞を獲ってほしい。