T.スカルパ / スターバト・マーテル


これを読んだのはBS「週刊ブックレビュー」で美人フルート奏者・山形由美さんが紹介していたから、ではない。



ティツィアーノ・スカルパ / スターバト・マーテル (182P) / 河出書房新社・2011年 9月 (120229−0302) 】

STABAT MATER by Tiziano SCARPA 2008
訳:中山エツコ



・内容
 18世紀ヴェネツィアを舞台に孤児を預かる養育院に赴任したヴィヴァルディとそこで暮らす天才少女との葛藤を描き、『四季』誕生の謎にも迫る話題作。イタリア最高の文学賞ストレーガ賞受賞。


          


これは、……。『ピエタ』の後で読んだのが正解だったかハズレだったか、頭を抱えてしまった。かといって、先にこちらを読んでいたなら全然ついていけなかったかもしれない。
孤児院で生活する思春期の少女チェチリアが自分を捨てた母親に宛てて書く日記のような手紙。物語の体裁ではない。呪詛と憎悪に取り憑かれたような暗い散文詩調の独白が続く。不眠症で情緒不安定気味な彼女の、ほとんど実態のない悪夢と妄想。
蛇みたいな髪?なんだそれ? こんなのが最後まで続くわけないだろう、どこかで音楽の力とかヴァイオリンの美しい調べによって主人公は再生するのだろうと想像して読んでいったのに、そのまま最後まで行ってしまうのだった。



産まれてすぐに施設に預けられた子どもは「親」というものを知らずに(教えられずに)育つが、どうしたってやがて世間の一般家庭と自分の境遇のちがいに気づく。多くの子どもが「パパ」「ママ」という単語を初めて覚えるのに、こういう子どもたちはたぶんそうではない。姓のない名しか持たない彼らに家族愛の概念は持てないはずなのに、いつしか自分にも父と母がいたのだと感づき、自分が引き離された存在であることを知る。そういう孤独の実感は自分には想像つかないのだが、「捨てられた」という事実よりも、むしろその事実を知り、理解できなくとも受け入れるしかない現実をより残酷に感じてしまう。
チェチリアの母親に対する憎悪はもちろん思慕の裏返しである。エミーリアの若い頃を彼女に重ねて読んでみたりもしたのだが、『ピエタ』が「どうして?」を埋め合わせていこうとする小説だとしたら、これは「どうして?」と問い続けることで自らをますます傷つけていく傷ましい作品だった。

曲の終わり近くで、わたしは調子はずれの音を出しました。わざとやったのです。褒められるのも、選ばれるのも嫌だったから。わたしは目立たない背景に残っていたい。こうして、もともとよろついていたフレージングの途中で、あまりわざとらしくならないように少し抑えながらも、わたしは軽く音をはずしたのです。


ピエタ』を読んでいなければ理解できなかった部分も多い。
養育院の壁の穴(赤ちゃんポストのような…)に子どもを置いていくとき、将来引き取りに来る意志のある母親は証拠となる物も一緒に残していく。二つに割ったコインの片方とか、特徴ある絵を破ったものとか。性急にも読んでいる側はそんなものを親子の証として果たされる劇的再会を夢想してしまうのだが、それがあるかないかだけでも子どもの絶望はまた一段ちがうのだ。「運河に捨てられるよりはまし」というセリフが『ピエタ』には何度も登場したが、絶望にも格差らしきものがあるのが何とも切なく痛ましい。自分を産んだ親の、唯一にして重要な手がかり。小さな紙切れの色から、ぼろぼろに擦り切れた布きれの模様から、母のメッセージを読み取ろうとする切実さ。チェチリアにそんな母親の形見は残されているか、というのはこの作品の数少ない鍵の一つだった。
また、音楽だけではなくさまざまな職業技術を学んだピエタの少女たちには結婚する機会がないわけではない、というこの施設のあり方も、主人公と教師ヴィヴァルディの関係に大きく関わってくるのだった。



チェチリアにヴァイオリン奏者としての自我が芽ばえてくる後半も、前半ほどではないものの重苦しいムードは変わらない。ヴィヴァルディが彼女の心境に大きな変化をもたらすのでもなく、音楽的なイメージも稀薄だ。
ピエタ慈善院」をテーマにした二冊を読んだわけだが、‘赤毛の司祭’アントニオ・ヴィヴァルディの描かれ方はまったく対照的だった。地元ヴェネツィア出身作家によって書かれた『スターバト・マーテル』のヴィヴァルディの方が好意的に描かれていないのが不思議というか面白いと思うのだが、そこはイタリア的と言えるかもしれない。 
高名な作曲家が神父として音楽教師として、書いたばかりの新曲を孤児たちに教えて発表していたというのは、今から考えるとすごいことである。イタリアが歌とヴァイオリンの国であるとしても、寄附によって運営される孤児院の子どもにそれだけの教育をするというのは日本ではちょっと考えられない。キリスト教西洋音楽の伝統の深さをあらためて知らされるのだが、そのあたりの時代背景は本篇後の著者自身の解説と訳者後書きに詳しい。



フルートを吹いている山形由美さんも美しいが、本について語る山形さんも良い。そういう意味でも(どんな意味だ?)「週刊ブックレビュー」の存続を希望する。