バーネット / 秘密の花園


『忘れられた花園』の前に読んでおくことにした『秘密の花園』。
『小公子』も『小公女』も読んだことがない。いまさら『秘密の花園』なんて、という気持ちがどこかにあった。児童書というわりには厚いし。タイトルが‘花園つながり’というだけで読み始めたのだが、そもそも『忘れられた花園』と関連があるのだろうか? 何かかんちがいしているような気もするのだが。 要するに積極的な動機ではないので始めは全然気が乗らなかった。ところがメアリがイギリスに戻ってからは……!



【 フランシス・ホジソン・バーネット / 秘密の花園 (507P) / 光文社古典新訳文庫・2007年 (120303−0308) 】

THE SECRET GARDEN by F.H.Burnet 1909
訳:土屋京子



・内容
 インドで両親を亡くしたメアリは、英国ヨークシャーの大きな屋敷に住む叔父に引きとられ、そこで病弱な従兄弟のコリン、動物と話ができるディコンに出会う。3人は長いあいだ誰も足を踏み入れたことのなかった「秘密の庭」を見つけ、その再生に熱中していくのだった。


          


見事にハマった。こんな可愛い気のないチビ娘の話につきあいきれるかと思っていたのに、いつのまにかメアリの変身ぶりに巻きこまれていた。ふだん本を読んでいるときの自分は無表情だと思うが、これを読んでる間はずっとニヤニヤしていたように思う。おかげで今週は帰宅するのが毎晩楽しみなぐらいだった。
広大なお屋敷に住んでいるのに楽しくない。家族も友だちもいない。話し相手は女中のマーサだけ。なんにもないはずのところに、子どもらが感化しあっていろいろなことが起こっていく。意固地で偏屈だった子どもが、ふつうに子どもらしくなっていくだけの話なのだが、それを目を細めて見守っていたのは、メアリとコリンのではなく、読んでいるこちらの「つむじ曲がり」も癒されていくのを感じたからだろうか。

 「何かほしいものはあるかね?」とつぜん思いついたように、クレイヴン氏が尋ねた。「おもちゃとか、本とか、人形とか、ほしいものはあるかね?」
 「もし、できれば……」メアリは震える声で言った。「地面を少しいただきたいのです」


子どもの溌剌として健やかな姿は、それを見る側も幸せにする。それは自分の幼少期を思い出させもする。楽しいことがあった日、全速力で走って家に帰った。何がそんなに楽しく嬉しかったのかは忘れてしまっても、夕暮れに息せき切って駆けたあの感覚は忘れない。心が弾めば自然と体も軽く浮き立つようになる。気持ちと肉体表現が直結している生理的な自然。そういうことからずいぶん遠ざかってしまった。
朝が来るのが待ちどおしい。窓を開けて澄みきった青空を見つけたときの喜び。風が運んでくる春の匂い。緑に芽吹く草花の勢い。そんな一つ一つを大発見のようにはしゃぐメアリとコリンが羨ましいのだが、その鋭敏さは特異なものではない。彼らの庭の手入れへの熱中ぶりも、野生児ディコンが鳥や動物とすぐに友だちになってしまうのも、ちっとも大仰でなくフィクショナブルでもないのだった。



自分は彼らより彼らの親に近い年齢なので、この子どもたちの純真なパワーに感心してばかりもいられない。
登場するのはわずかだがこの作品で唯一、実態のある母親像として描かれているマーサとディコンの母、サワビー夫人という女性の存在が興味深い。
小さな家で十二人の子を育てているという彼女の大らかで含蓄のある言葉が要所要所にはさまれて物語をあるべき道へと誘導する。「子どもには子どもが必要」「どんな薬より笑うのが良い」「ふりをするのは子どもの何よりの楽しみ」……
貧しい生活資金からメアリに縄跳びを与え、パンとミルクを差し入れし(久しぶりに牛乳をごくごく飲みたくなったものだ!)、クレイヴン氏に帰館をうながす手紙を書いた。この物語で彼女のはたした役割は大きい。

 「わたし、男の子ってよくわからないんだけど……」メアリは、少しずつ話しだした。「あなたは、もし秘密の話を聞いたら、その秘密をちゃんと守れる? これはね、すごくだいじな秘密なの。もしだれかに見つかったりしたら、どうすればいいのか、わたし、わからない。きっと死んじゃうと思う!」メアリは最後のひとことに激しい気持ちをこめて言った。


とにかく名場面が目白押しの楽しい読み物だったのは嬉しい誤算。
自分のいちばんのお気に入りは、夜半にヒステリーをおこして泣きわめいているコリンの部屋にメアリが乗りこんで一喝する場面。わがままな暴君に暴君を対峙させるこの場面、著者はメアリも直情的に行動したにすぎないと諧謔的に書く。子ども相手に語り聞かせようとする児童書らしからぬ筆致が自分をニヤニヤさせたのである。
小説的には細部に気になる点がないわけではない。英文学の一つのキーワード「ヒース」は頻出するのに、メアリは屋敷の敷地外までは踏み出さない。そのあたりのことは梨木香歩さんの『秘密の花園ノート』に書かれているだろうか。
翻訳は土屋京子さん(ハ・ジン『待ち暮らし』の訳者だった)。インドでは仏頂面で貧相な少女だったメアリが、ヒースの風に吹かれるごとに生気を取り戻し、たくましくなっていくにつれて訳文も目に見えて軽やかになっていく。ざっと見ただけだが、新潮文庫の旧版(昭和29年刊)はさすがに古くて、ここまでの清新な「春っぽさ」は再現されていないようだった。

この一週間、この本そのものが自分にとっての「秘密の花園」のようなものだった。これが『忘れられた花園』にどうつながっているかなんて、もうどうでもいい。