ケイト・モートン / 忘れられた花園


今回の「秘密の&忘れられた花園」作戦は成功したのか?



【 ケイト・モートン / 忘れられた花園 (上349P、下348P) / 東京創元社・2011年 2月 (120313−0318) 】

THE FORGOTTEN GARDEN by Kate Morton 2008
訳:青木純子



・内容
 1913年オーストラリアの港にたったひとり取り残されていた少女。名前もわからない少女をある夫婦がネルと名付けて育て上げる。そして2005年、祖母ネルを看取った孫娘カサンドラは、祖母が英国、コーンウォールにコテージを遺してくれたという思いも寄らぬ事実を知らされる。なぜそのコテージはカサンドラに遺されたのか? ネルとはいったい誰だったのか? 茨の迷路の先に封印された花園のあるコテージに隠された秘密とは?


          


大成功だった。
親を亡くしテムズ川沿いの屑物屋で働かされていた少女イライザはイングランド最南西部コーンウォール半島にある豪邸にひきとられる。その屋敷の女中が気さくでマーサみたいな人だった。しかも名前は「メアリ」だし。…というあたりから匂いはしていたのだが、当主の指示で閉ざされたままの庭があり、物知りの無骨な庭師がいて、過保護に育てられて病弱な従妹ローズが出てきて、と笑っちゃうほどに「まんま」な展開が待っていた。イライザにメアリが、ローズにコリンがそっくりダブる。下巻に入ると臆面もなく何度も「秘密の花園」という単語は登場し、あげくには、なな、なんと、バーネット夫人その人まで登場しちゃうのだ!
迷路庭園の奥にある塀に囲まれたイライザだけの庭。ひ弱なローズを連れ出して一緒に植えたリンゴの木。このコーンウォールのブラックハースト荘が「秘密の花園The Secret Garden」のモデルになったという‘バック・トゥ・ザ・フューチャー的’設定だったのである。

 「実は最近、あれを読み直したんだ。子どものころ夢中で読んでそれきりだったけど、たまたま地元の慈善バザーの店で、そいつを見つけてね。あの本には人を惹きつけてやまない何かがあるんだよね、目に見える以上の何かがさ」 クリスがブーツでしきりに地面をこする。「ちょっと呆れちゃうよね、いい大人が童話を読むなんて」


とはいえ、ヴィクトリア朝英国屋敷を舞台に何もかも正反対の二人の少女が「庭とお伽噺」をきっかけに親交を深めるのは、この大長篇のほんの一部のエピソードにすぎない。姉妹のように仲良く育ったローズとイライザはともに美しく成長するのだが、やがて二人の友情は引き裂かれる。二人のあいだに何があったのか? その封印された過去がネルとカサンドラを呼び寄せる。
オーストラリアに暮らす現代女性カサンドラが祖母ネルの意外な出自を知り、ネルの足跡をたどって英国に渡り、彼女の母親と叔母の間に隠された秘密の存在を探り当てる。イングランドから地球の反対側のオーストラリアへと、四世代の娘たちの百年にわたる長い長い旅路が物語られる。
イングランド貴族のお嬢様だったはずのネルがどうしてオーストラリアに一人で流れ着いたのか。彼女は本当は誰の子なのか。数奇な運命の謎が少しずつほどけていく。



三代の女性の物語がランダムに配置され、各時代が入りくんだ構成。簡単に言ってしまえば親子のルーツ探しを三倍に拡大したということだが、事はそんなに単純であるはずがない。数十年ものあいだ放置されたままの断崖に立つコテージと荒れ放題だった庭を再生させようと手を入れながら、スクラップ帖と初版のお伽噺集、わずかな生き証人を頼りに真相を探るネルとカサンドラ
平行して語られる三つの時代の話(どこをとっても面白い!)が絡まり融けあううちに、いつしか冨と家柄に縛られない一人の女性像が見えてくる仕掛けになっているのが本書の魔術的魅力だ。イライザが書いたお伽噺がストーリーにシンクロする様も見事にはまっていた!
これはローズとイライザ、ネル、そしてカサンドラの物語ではあるのだが、彼女たちの運命をお膳立てしたのは、ブラックハースト荘夫人アデリーン・マウントラチェットの悪意(階級的コンプレックス)なのであって、すべてを差配した陰険な彼女が影の主役でもある。
一方、中産階級の拡大と貴族の権勢が衰えた時代背景があったとしても、屋敷の当主ライナスやローズの旦那ナサニエルら、男たちの影があまりに薄いのは非英国的という気がしないでもない。ほとんど核心に近いイライザとナサニエルの関係も「?」と思わないでもない。そのあたりからこれも‘英国人が書かない英国小説’の印象は強いのだが、それでも、そんなことは些細なことにすぎないと感じさせるほどに物語は豊饒で、読んでいるうちにお腹いっぱいになってきて、もう真実はどうでも良いとさえ思わせるのだった。

 「これはわたしたちふたりが最初に植える木よ」イライザが声をはりあげた。「これから植樹祭をするの。だから今日だけはどうしても来てもらいたかったの。この木は、わたしたちがこの先どうなろうと、この場所でどんどん生長を続け、いつまでもわたしたちふたりのことを憶えていてくれるはずよ。ローズとイライザのことをね」


実際のところ、真実などどうでもよかったのではないか?
ストーリーの根幹には自分の本当の先祖は誰かという謎解きがあるのだけれど、自分の祖母が誰で曾祖母は誰なのかと、その謎が代々受け継がれ引き継がれるリレーの物語でもあるのだ。謎の答よりもむしろ、解明の過程で同じ血を引く者のみが一点に導かれていく様が、先祖の由来をたどることが自分の本当の居場所=ホームを見つける旅であったことが、胸を打つのではないか。
無念であったとしても、いつか必ず子孫がこの場所を突き止めるだろうと信じて‘彼女’は眠りについたにちがいない。答は得られずとも彼女の娘も曾孫もそこを立ち去りがたく思っていたし、土の匂いと温もりから確かに何かを感じていた。そして百年近い時を経て、カサンドラはたどり着いたのである。
運命に翻弄されながらも自分の意志に忠実に自由に生きようとする者の物語と、まとめてしまえばありきたりだが、そういう話にはいつだって勇気づけられるし、けして飽きることはない。(考えてみれば「嵐が丘」も「ジェイン・エア」も「高慢と偏見」も、みんなそういう話だったではないか!) そういう英文学の古典的フォーマットに則りながら、幾重にも重層的に物語を織り上げて現代的な娯楽小説に仕立ててある。遅ればせながら、本当に読んで良かった!



ローズが妊娠できなかった理由が、ちょっと思いがけないもので驚かされた。昨年の原発事故以後、一般的な放射線被爆限度をX線の照射量を例えとして語られることがあったけれど、ここには当時発明されたばかりのレントゲン装置によってローズが過剰な放射線を投射されていたという悲劇が匂わされているのだった……



ニューヨークに向かう豪華客船からイライザに宛てて書き送ったローズの手紙の中に出てくる「ルール・ブリタニア」。
英国の夏の終わりの風物詩「BBC PROMS ラストナイト」毎回演奏される大定番、ハイライト曲の一つ。NHK-BS中継をかれこれ十五年以上も見続けているけれど、自分にとって90年代のアンドリュー・デイヴィス指揮のプロムスは格別に思い出深い。


     


     “ブリタニアは天命を受け 青い海原から生まれた
        比類なき美しさをたたえたこの島には 正義を貫く勇敢な精神が息づいている
      守護天使は言う
        ブリタニアよ、大海原を支配せよ 決して奴隷の身となるな”


「ルール・ブリタニア」は第二か第三の英国国歌ともいうべき愛国歌。イングランド代表の試合でも大合唱されるが、今年のロンドン五輪でも耳にすることがあるだろう。

歌わないと罰せられる、あるいは罰せられるから歌う、そんなのは歌ではない。強制する側の貧しい精神がその歌を貶めているのである。