瀬戸内晴美 / 美は乱調にあり


久しぶりに古本屋めぐり。特にお目当てはなくて、つまりヒマつぶしだったのだが、瀬戸内晴美さんの本を数点買ってきた。

今年に入って始まった中日(東京)新聞夕刊に連載の瀬戸内寂聴「この道」。もう百回を越えているが、少し前から大正時代の平塚らいてふらの「青鞜」と大杉栄の「フリーラヴ」についての回が続いていて、つい先日はまさにこの『美は乱調にあり』にも言及していた。
狙ったわけでもないのに、このタイミング! 偶然ながらシンクロニシティを感じてしまう。


          



瀬戸内晴美 / 美は乱調にあり (285P) / 文藝春秋・1965年 (120319−0322) 】



・内容
 大正12年関東大震災の混乱に乗じ陸軍憲兵隊によって28歳の若さで大杉栄とともに虐殺された「青鞜」最後の編集者・伊藤野枝の、恋と革命に生きた生涯を描く伝記小説の傑作、昭和の大ベストセラー。


          


昭和40年(1965年)に文藝春秋に連載、刊行された作品。
権力に殺された女の‘評伝小説’ということで思想絡みの堅苦しいものを想像していたのだが、良い意味で期待を裏切られた。ほとんど伊藤野枝をモデルにした恋愛小説といってもいい。(けして下品ではないんだけど)読んでいるこちらが赤面してしまいそうなきわどく大胆な女性心理描写に、ああ、瀬戸内(寂聴ではなく)晴美さんてこういう作家だったなと思い出した。なるほどかつてのベストセラーというのが頷ける内容なのだった。

 《よし私は半途にして斃るとも、よし、私は破船の水夫として海底に沈むとも、なお麻痺せる双手を挙げて「女性よ進め、進め」と最後の息は叫ぶであろう。(略)》
 らいてうの発刊の辞の中のこんな言葉や晶子の詩を声をあげて読むうち、野枝の真黒な双眸から大粒の涙があふれ出てきた。
 


これはあくまで小説、フィクションである。読みながら、けっこう脚色してあるのではないかと感じていたのだが、考えてみればそれは当然のことで、自伝も含めて多くの著作、生前の関係者の供述や回顧、死後の研究も多く残されている大杉栄にくらべれば、伊藤野枝に関しての資料はごく少ないだろう。28歳で国家に命を絶たれたその名は、一般的には青鞜と大杉虐殺事件、無政府主義者というほんの一つまみのキーワードに付随する名詞でしかない。
瀬戸内女史がこの作品を書いた1960年代の時点で、すでに大杉と野枝の死から四十年以上の時が過ぎていた。田舎出身の粗野で負けん気の強い熱情家、恋のライバルには一歩も引かない女として描かれる本作の伊藤野枝像には小説的な強引さを感じないでもない。だが、たださえ少ない二次資料からほんのり浮かび上がる影像に色をつけ肉づけし表情と情熱を与えたらこうなったという、いわば‘瀬戸内晴美版・伊藤野枝’だからこそ、多くの読者を得ることができたというのも事実なのだろう。



伊藤野枝が女学校卒業後、同居し二人の子までもうけた辻潤との恋愛に醒め、次第に大杉栄へと惹かれていく心模様が実に生々しく描かれている。あくなき向上心を以て、ときに向こう見ずなやり方で世間知らずの不敵さで道を切り開こうとする彼女のバイタリティの豊かさも伝わってくる。
その一方、貧しく無学な彼女の社会思想は演説も論文も稚拙なものであったとして、著者は彼女の具体的な主張をほとんどとりあげていない。平塚らいてうや大杉との出会いは偶然に左右されたもので、‘同志的連帯’によるものではないと冷ややかだ。
書かれているのは‘女としての伊藤野枝’だけで、そこが「小説っぽい」のだった。大杉栄に関しても自由恋愛の実践ばかりが書強調されていて、思想家としての活動、運動面には焦点が当てられていない。大衆向け、ストーリー的にはそれで良かったのかもしれない。(実際、読み物としては面白いのだから)
大杉の四角関係がこじれた「日陰茶屋事件」でこの作品は唐突に終わってしまう。つまり、大杉と野枝の最期までは描かれていないのだが、実はこれには続きがあるのだった。

野枝は自分の全身が爆竹のような音をたてはじけ飛ぶような感じに襲われた。目の前が真っ暗になり次には無数の花火が火をふくのを見た。男の腕は強く、唇は冷たく、舌は熱かった。


昨年の震災以来、折に触れて寂聴さんの「生きるということは、いくつもある自分の可能性の中から一つを選んで、思う存分、それをやり抜くこと」というメッセージを耳にする機会が増えた。
本書149Pにもそんな文があるのだが、それは死を厭わず突き進んだ大杉栄と野枝の短くも熱い生涯をたどるうちに導きだしたのかもしれない。あるいは四十代にしてすでにそんな信念を胸に秘めていた女史がこの作品で伊藤野枝に託そうとしたのか。
続けて、『諧調は偽りなり』を読んでいる。