鎌田 慧 / 大杉栄 自由への疾走

          



【 鎌田 慧 / 大杉榮 自由への疾走 (496P) / 岩波書店・1997年 (120326−0330) 】



・内容
 「思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。」アナキストとして自由奔放に生き、日本軍国主義に虐殺された男、大杉栄。思想家として、行動する社会主義者として、日本近代に多大な影響を与えた大杉栄の鮮烈な生涯を、丹念な取材と新たな資料を駆使してダイナミックに描く。


          


主義主張はともかく、大杉栄が破天荒な人物だったのは間違いない。社会主義者としてではなく、当時の日本人として、人間として型破りなユニークな存在だった。だからこそ、主張は違えども周囲の人たちを引きつけ、巻きこみ、また頼りにもされた。
おそらく当時の特高警察や憲兵隊にとっては厄介な存在だったことだろう。演説会で(文字どおり)一言発しただけで即解散を命じ、書くものは内容を問わずことごとく発禁にした。二十四時間張り込みを続け、印刷所にまで圧力をかけていたというのだから仕事熱心というべきかヒマというか、そもそも「労働者の団結を誘導」するのを危険思想というのだから、どちらが危険思想の持ち主ぞやと笑ってしまう。でも、そういう時代だったのだ。

 「美はただ乱調にある。諧調は偽りである。真はただ乱調にある。」
 「いまや生の拡充はただ反逆によってのみ達せられる。新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである。」
 これらのアピールは、『近代思想』に発表された論文のエッセンスである。それまでも、そのあとも、社会主義の論文にはみうけられない、鮮烈な呼びかけである。


それでも大杉は書くことを止めなかった。革命家は著述家でなければならないのである。発刊できないとはわかっていても書き続けたからこそ、時代が変わった数十年後にもこうして評伝が書かれるわけで、取り締まりの厳しさに音を上げ筆を折っていたなら大杉栄大杉栄として歴史に名を残せなかっただろう。
36歳で彼は自叙伝を書いた(「改造」に連載)。三十代で自伝とはいかにも性急に過ぎると思うのだが、二年後に彼は「縊り殺される」ことになるのだから、何か予感があったのだろう。一日に三十枚の猛烈な勢いで書き上げたとされるが、その予見性も革命家の一条件だとするなら、悲しい皮肉としか言いようがない。
新しいものは常に脅威をもって迎えられる。それが真実をついた正義なら、既得権を維持したい保守層の警戒と抵抗はますます激しくなるのは、形は違えど今の時代でも見られることだ。大杉はある手紙に、表現の自由が認められないのならアメリカの属国にでもなった方がマシだ、というようなことを書いている。ある意味ではそのとおりになったのだ。現在の自由は日本人が勝ち取ったものではなく、アメリカの占領政策の賜物なのだから。



「生の拡充は反逆にしかない」― 今でこそ反抗の美学みたいなものは珍しくないが(たいがいは痛いカン違いだが)、当時の社会では驚愕ものだっただろう。抑圧に対する、差別に対する、特権階級の冨の独占に対する抗議ではなく、大杉は「反逆のための反逆」にロマンめいた陶酔を感じていたのかもしれない。そこが他の「主義者」たちの悲痛な態度と大きく違っていたのではないか。だからこそ逮捕、拘禁、投獄を懼れなかったし、いつか幸徳秋水らのように自分も死ぬと覚悟していたのではないか。そんな文学的解釈は過ぎるだろうか。帝国主義化していく日本の軍人官僚らも、一方の社会主義者も、目は同じように血走らせてぶつかっていたのに、彼だけはいつも笑みを湛えてその両者を見ているようなイメージが残る。
はっきりと書いておきたいのは、彼は活動家を名乗ってはいたけれども、一度も銃や爆弾を持ったことはない。社会秩序を紊乱するほどの現実的な影響力などなかったし、テロを計画したことも一度もない。誰一人殺していない。ただ煽動的な文章を書くことができる剽悍な文士だった。
彼の、ただ書くという行為にビビって過剰反応する官憲の方が異常だったのである。彼を殺すというのなら腕を折るだけで済んだはずだが、実際になぶり殺しにしてしまったのだから程度が知れようというものだ。

 「警官横暴!」「弾圧やめろ!」という声が主催者や聴衆の中からわき起こって、あたりには険悪な空気がみなぎっていた。
 すると大杉は、臨監をぐっと睨みすえて指さし、「おい、車を呼べ、車を。キサマらが俺に来いと言わなくても、俺の方から警視総監に言論弾圧の抗議をしに行ってやるんだ。さア、早く車を呼ばんか。そうしないと俺はここを動かんぞ!」
 そう言ってどっかり坐りこむと、おちつきはらって煙草を吹かしはじめた。


鎌田慧さんの本を読むのはずいぶん久しぶりだった。『自動車絶望工場』を皮切りに、自らの体験取材をもとにしたルポを発表し続けたかつての彼は、必ず抑圧されたマイノリティの側から反権力・反大企業を唱える「左寄り」のライターと目されていたと思う。福島第一原発事故をきっかけに(手のひらを返したように)彼の過去の原発批判が今ごろ注目されているのは、高木仁三郎さんと同じである。正しいことを言い続けていたのは誰かということである。
自分の足で取材して現代社会の闇を糾弾するルポライターだった彼が、このような評伝を書くようになっていたとはちょっと意外だったのだが、鎌田さんらしい権力の横暴への憤りは健在だった。
これがあったから 黒岩比佐子『パンとペン』 もあったのかもしれない。
関東大震災発生直後、虐殺されたのは大杉と野枝だけではない。そのことも記憶しておきたい。


瀬戸内晴美『諧調は偽りなり』と鎌田慧『自由への疾走』。小説と評伝(ノンフィクション)に描かれた大杉栄だが、両者はとてもよく似ていたと思う。
もう一つ、瀬戸内晴美鎌田慧のセットで読んでみたい本がある。