柴崎友香 / わたしがいなかった街で


文藝春秋増刊号「3.11から一年 100人の作家の言葉」と新潮4月号「震災はあなたの〈何〉を変えましたか?震災後、あなたは〈何〉を読みましたか?」を両方買ってみた。

          


新潮の巻頭に掲載されている柴崎友香『わたしがいなかった街で』がとても良かった。



柴崎友香 / わたしがいなかった街で / 新潮2012年4月号 (120331−0402) 】



・内容
 遠い街で戦火に消えゆく命を思いながら、「わたし」は今ここにある生を、歩み続ける。著者最大のテーマに迫る飛躍作。350枚一挙掲載。


          


東京の商社系子会社で契約社員として働く「砂羽」は三十代半ばの女性。離婚して世田谷の新築マンションに引っ越してきたばかりの彼女には他人に言えない妙な趣味がある。世界で起こっている紛争や戦争のドキュメント映像ばかり見ている。歴史好きでも軍事オタクというのでもなく、ただぼんやりと画面に映る戦場の光景に見入っている。六十五年前の東京・大阪の大空襲と広島の原爆投下を、無関係なはずの自分の「今」と結びつけて考えてしまう。
人づきあいが下手な彼女は、他人にどう思われているか気にしすぎてかえって「ちょっと変」な言動をとってしまうのを自覚している。このまま再婚はしないだろうし母親になることもないと思っている。社交的ではない彼女の日常に戦地の非日常がまぎれこむ。

 「そうかな、そんなに変なこと言ってないと思うけど」
 「わたし以外には言われないの? 意味わからない、って」
 「他の人にはあんまり話さない」
 「使い分けてるんだ。なんにしても、砂羽は脳内会議が長すぎるんだって。脳内で、ああでもないこうでもないって、だめなおじさんみたいなやつが居並んで会議ばっかやってる」


この砂羽が オオカミ的にという意味ではなく 趣味的になんだか自分と似ている気がして仕方がなかった。ユーゴ内戦の話題からストイコビッチNATO空爆への抗議やオシムのイレブンにつながっていく会話の流れや (『古書の来歴』 )、ヴォネガットの『スローターハウス5』を読んで短絡的にドレスデンに行ってみたいというあたり、「お前は俺か?」。現実は次々にスライドしていてここにこうしているのとは別の自分が生きている異空間があると、わかってもらえっこないと思いつつ懸命に説明しようとするのにも親近感が湧く。
そんな砂羽を「おまえさんヒマなんだろう」とか「話相手がいないからだろ」と友人の父親(この作品の中で「現実」を象徴する存在)がズバズバ指摘するのにいちいち腹が立ったのは、自分の図星を指されて胸中穏やかでいられなかったから、…なんだろうか?
その叔父さんに自分が悲惨な映像ばかり見ている理由を伝えようとして‘脳内会議’を始める砂羽がもどかしく、そのうちますます妙なことを口走ってしまう彼女がちょっと切ない。



しかし、テレビに映る戦場や廃墟や折り重なった屍体の山や倒壊するツインタワーをわれわれはどのように見ているか。あれは現実といえるのだろうか。現実のコピー? ボスニアベトナムも中東も、明るい部屋でくつろいで見ている者にとっては等距離で、数あるテレビ番組の中の一コンテンツにすぎない。過去の事実もフィクションのように見えてしまうこともある。
現在は過去から連続した時間軸にあって世界は地続きのはずなのに、あちこちでぷつりぷつりと途切れていて、唐突に現在の自分が、波風のない自分の日常が存在していると砂羽は感じているのだが、それを上手く言葉にできないでいる。彼女がこれまでに経験した歴史的な大事件、昭和天皇の死や阪神大震災も「あのときの自分は」という形でしか思い出せない。
この世界は本当はすごく曖昧であやふやな記憶の上に成り立っているのではないか。生の確信を持てないから強烈な体験を羨望するのか、だとしたら砂羽のような小さな人にしか見えない世界があるのか。それとも、わざわざ口に出して説明しないだけで、本当は誰もが同じように感じているのか。

 どんな大きな事件も悲惨な戦争も、最初の衝撃は薄れ、慣れて、忘れられていく。また事件や戦争が起こったら、忘れていたことを忘れて、こんなことは経験したことがない衝撃だ、世界は変わってしまったと騒ぐけど、いつのまにか戻っている。戻ったみたいに、なっている。


この作品の砂羽が生きているのは2010年の日本である。その次の年のことには触れていないのだが、暗喩が散りばめられているような気がする。著者がそう意図したのかどうかわからないけれど、昨年のあの震災について「語らないで語ろう」としているようにも読めるし、(そうだとしたら)そのセンスを好ましく感じたのは、これが掲載された「新潮」にも「文春増刊号」にも過剰に“震災と自分”を語ろうとするたくさんの(被災者ではない)作家の言葉が並んでいたせいだろうか。
関西弁のゆるい会話が効いているせいもあって、作品全体はけして暗い雰囲気ではない。実態のないもやもやした世界に「語れない」砂羽は生きている。彼女は一言もそうは言わないけれど、たぶん、寂しい。しかし、寂しさだって、生の証だ。


最後の方は、もう一人の登場人物に焦点が行ってしまって、ちょっとブレた感じ。改訂されて単行本化されるのなら楽しみに待ちたい。3.11後に書かれる小説として、最も素直な作品の一つになると思う。