上田早夕里 / ブラック・アゲート

【 上田早夕里 / ブラック・アゲート / 光文社 (347P)・2012年 2月(120430−0503)】



・内容
 人体に寄生し、羽化する際に人の命を奪う新種のアゲート蜂が日本各地で猛威を振るう。瀬戸内海の小島でもアゲート蜂が発見され、病院で働く高寺は愛娘の体にこの寄生蜂の幼虫が棲息していることを知る。幼虫を確実に殺す薬はない。未認可の新薬を扱う本土の病院があることを知った高寺は娘を連れて島を出ようとするが、目の前に大きな壁が立ちはだかる…。親子の運命はいかに―  日本SF大賞受賞作家による近未来バイオ・サスペンス!


          


生物種の進化・変異をもとにした上田さんお得意のバイオホラー物なのだが、これまでの作品とは趣が異なる。人間の皮膚下に産卵する新種のハチが世界中で増殖している。卵は人体内で幼虫になり蛹になり、やがて羽化すると皮膚を食い破って出てくる。人は衰弱したり狂ったりした末に、確実に死んでしまう。
これまでの上田作品では、新しい生物種の環境適応力や特化した生命力の驚異がメインテーマになっていたが、今作では害虫の猛威に晒される人間側の社会システムの方に焦点を当てている。
時代設定も現代。今、こういう事態が起こったらこの世の中はどうなるだろう。そういう現実的な物語だった。

 「そうですよね。高寺さん― 私はね、都会の人にもう少し普段から生き物を観察する習慣があったら、今回のような事態は起きなかったんじゃないかと思うんですよ」
 「確かに……」
 「都会に見慣れない蜂がいる― そのことにみんなもっと早く気づけば、こんなふうにはならなかった。アゲート蜂は貧困層や独居生活者から大量発生しました。私たちは見るべきものを見ず、聞くべき声を聞こうとしなかった。その結果がこの災厄なら、もう逃げられませんよ」


読んでいると、まるっきりのフィクションではなく最近も耳にした事象がストーリーの背景として次々と現れる。独居老人の孤独死、独身・単身生活者世帯の増加、貧困と社会保障の問題、新薬が承認されるまでの過程、過疎地の医師・医療施設不足。アゲート蜂は都市の単身生活者と弱者の間に深く静かに広まっていて、政府自治体が実態を把握したときにはすでに手遅れになっている。パニックを抑えようと情報操作をし、その場しのぎに患者を隔離措置するのだが、とてもではないが対応が間に合わない。このままでは日本は崩壊する……
「日本が壊滅するとしたらアゲート蜂によるのではなく、むしろ社会システムの機能麻痺によるのではないか」 なかなか怖ろしいことが書いてあるのだが、たぶんこの指摘が遠からず的を射ていると思われるのは、「税と社会保障の一体改革」にせよ「原発再稼働」にせよ、現在の政府が経済原理に則した対症療法しか打ち出せないでいるからだ。



瀬戸内海の小島から親子が未認可の新薬治療の可能性にかけて本土に渡ろうとする。感染者の移動を監視・阻止する任務の警察組織が現れ、親子の逃亡劇は高圧的な彼らへの市民の反抗という構図で展開する。正義を建前に独善的なプチ権力と化したその暴力組織は、まるで宮部みゆきクロスファイア』の〈ガーディアン〉みたいなのだった。
蜂被害を拡散させないためというよりも、秘密裏に処理することでパニックを押さえこもうする。有効な手段を講じる前にまず批判を回避しようとして、批判を封じることそのものが目的化してしまう。その間にも事態は悪化の一途をたどる。このあたりは昨年の原発事故や最近の北朝鮮ロケット発射への国の対応ぶりがそのまま重なって見えた。

 危機が訪れたときに身を縮め、嵐が過ぎ去るのをただやり過ごすだけというのは日本人の習い性だが、それでは済まない事態が次々と起きている。積極的に止める手段を探さなくては― 完全には止められなくても、せめて足踏みさせ、弱い立場にいる者を踏みにじらせない方法を見つけなくては ―いま自分たちが追われているように、どこかで誰かが追い立てられ、殺され続けることになる。


上田早夕里さんのことなので、蜂が進化するのなら人間の側もそれに対応して進化して、下半身が縞模様になって蜂の子を産むようになるとか、体内で蜂蜜を分泌するようになるとか蜂の一刺しができるようになるとか、ついそういう(アホな)想像をしてしまったのだが、これはとても現実的な社会派作品になっていて意外だった。
フィクション作家の作品に対して必要以上に現実とのリンクを読み取ろうとするのは失礼な読み方かもしれない。しかし、「アゲート蜂」という単語を「放射能」に置きかえても成立しそうな内容なのである。俊英SFライターでも現実の官僚機構に対する疑問や鬱憤を書かずにいられない。特に昨年の原発事故以降は。地質学の研究が下地にあった『華竜の宮』を書いた上田さんなら、なおさら自然なことであろう。うがった見方だろうか?
あらためていうまでもなく、上田さんは科学者ではないけれどSF作家として、人間は地球上の生物の一種にすぎないととらえている人である。ところが、昨年あの大災禍を経験したにもかかわらず日本政府官僚はあいかわらず危機感が薄く、目先の経済の、産業界の奴隷のままである。そのジレンマがこの作品を書かせたのではないか。
これは『華竜の宮』や『リリエンタールの末裔』収録作のように構想にたっぷり時間をかけて練りに練った作品ではない。書き下ろしの、勢いにまかせたと見られる部分もある。SF作家が自分の本領とは違う作品を書く時代は幸なのか不幸なのか。