イアン・マクドナルド / サイバラバード・デイズ

イアン・マクドナルド / サイバラバード・デイズ / 早川書房 (462P) ・ 2012年 4月(120612−0617)】


Cyberabad Days by IAN McDONALD 2009
訳:下楠昌哉中村仁美



・内容
〈ディック賞特別賞受賞〉ロボット戦士にあこがれる少年の冒険譚「サンジーヴとロボット戦士」、ヒューゴー賞受賞作「ジンの花嫁」など、猥雑で生命力あふれる近未来のインドを描く連作中短篇7篇を収録。


          


〈小さき女神〉― ネパールの首都カトマンズに今も伝わる少女信仰‘クマリ’をモチーフにした作品、これが良かった。 32点もの資格審査と適性試験を通過して選ばれた幼女が‘生き神’と崇められて宮殿に暮らす。貧しいカースト出身者であるのは、赤い蛇に姿を変えたかつての王女の生まれ変わりの言い伝えがあるからだ。王宮以外の地面に触れてはならず、出血すると神性が失われたとされ退位する慣わしだという。
5歳でクマリになった女性が一人称で語る神秘的な事実にもとづく前半と、王宮を去ってインドで一般人として生きていく後半。現在も続くヒンズーの因習そのものがこのうえもなく興味深いのに、そこに近未来の通信AIやサル型から戦隊アニメ型まで各種ロボットが登場してくるのだから面白くないわけがない。ベールに包まれた空間の、他者にとっては‘異世界’に、さらに異形が上塗りされる。‘元女神’として生きるのはどんなものか。おそらく生きにくいであろう「その後」に作家の手腕が試されるところだが、彼女を故郷に帰還させることでうまくまとめる。
タイトルの「小さき女神」とは、少女神のことではなく、帰郷した彼女が決めた生きる道のことである。

  ・カトマンズの谷で少女の生き神「クマリ」の後継者探し始まる
  ・ネパール、3歳の少女が生き神「ロイヤルクマリ」に

 「しーっ。しゃべらないで。今度はわたしがあなたに物語をする番です。わたしの物語、ジョドラ家の物語を」
 そうしてわたしは語り始めました。古い昔のイスラム教徒のおとぎ話のように、百一夜をかけて。


古くから小王国のごとき権勢を誇る二つの名家が対立し、戦争状態になる。壊滅したジョドラ家で唯一生き残った娘が相手方に王妃として迎えられる。彼女は生前の父親から「お前は武器なのだ」と言い聞かされていたが、まったく自覚はない。身体をスキャンしてみても肉体に改変がほどこされた形跡はない。仇敵に心を閉ざしていた彼女は両家の将来を考えて結婚を受け入れる(この過程の「千夜一夜」みたいなところが良い!) しかし、彼女の生身はまぎれもない武器なのであった…… 個人感情など斟酌されない貴族間の根深く血なまぐさい怨嗟が書かれた〈暗殺者〉は、こんな文学作品があったなと思わせる悲劇だった。
全篇、今世紀中頃のインドが舞台。気候変動で雨季が減り水資源をめぐる権力争いが激化している。水資源とは、すなわちガンジス川の支配権であり、分裂・独立戦争の気運も高まっている。また、生まれてくる子の性を選べるようになった結果、男性が圧倒的多数になってしまった社会構造の激変も背景として描かれる。
貧しさと豊かさが共存するインド。手袋型端末や脳埋め込み型のチップといった先進の電子情報機器に加え、ヌートと呼ばれる中性人、二倍の寿命を持つ(ゆえに肉体の成長速度は遅い)超階級ブラーミンなどの新種の人類も現れ、それにレベル3の高等AIも絡んで人種と宗教、階級の混乱に拍車をかける。古代と未来の文明が奇妙に複合したエキゾチックムードたっぷりの作品集になっている。



個人的に残念だったのは、二名による翻訳のために文体の統一性がないこと。訳者によって読み味がまったく違って感じられた。いちばん楽しみにしていたヒューゴー賞受賞作〈ジンと花嫁〉は、どうも訳文が自分にはフィットしなくて、実態のない高等AIと人間女性が恋に落ちる魅力的なストーリーなのに最後まで集中して読むことができなかった。
〈暗殺者〉や〈小さき女神〉には何もストレスを感じなかったのに、〈ジンと花嫁〉はぎくしゃくしてリズムに乗れない。両者の大きな違いはカタカナの扱い(固有名詞の直訳)にあったと思う。原文はどうだか知らないが、英国作家なのにアメリカンな印象を自分は持った。その翻訳センスは良し悪しではなく個性なのかもしれないが、本書中のこの訳者による他の作品も自分には感情移入しづらかった。  
オムニバスではなく、同一作家がある世界観のもとで書いた連作集なのだから、本来ならば一人の訳者が手がけるべきだろう。

 「そうするしかないようになっていたのです。あなたはそのようにデザインされたのですから」
 “けして忘れるな” 父はそう言ったものです。ここ、この薄暗いひんやりとした列柱の間で。 “お前は武器なのだ” わたしの想像を絶するほど深い、微妙な意味合いで、ダヒンの医療機器ですら届かない身体の奥深くから。DNAのレベルから、わたしは武器だったのです。


何かを削って新しいものが入れ替わるのではなく、古いものと新しいものが混在するごった煮ワールド。進化の過程で必ず経験するはずの過渡期の混沌。新技術が普及したからといって、世界がきれいに一新されるわけではないのだ。たとえ気楽に月旅行に出かけられる時代になっても、近くの温泉の方が良いという人だっている。いきなり飛躍した新世界、別世界を展開するSFが多い中で、本書は今日と「地続き」の魅力に満ちていた。どんな万能ツールだって文明の一部にすぎない。常に過渡期のようで新旧も清濁も併せ呑むインドをその象徴的舞台に選んだのは作家の勝利といえそうだ。
もちろんこれはインド人作家が自らの国について書いた本ではない。無国籍化、多国籍化して無尽蔵に膨張しつづけるインド幻想が根本にあるのかもしれない。でも、多種多様な世界はこのように喧々諤々の日常をやり過ごしながら、ゆるやかに変わっていくのだろう。本書が良かったのは、サイバーワールドを描きながら、同時に環境変化と文明の進化の渦中で戸惑い、慣れようとし、やがて馴染んでいく人々の意識変化に目を向けるのを忘れていないからだ。


この本とは関係ないが、今度このインド映画を見に行く→ 映画『ロボット』公式HP