高木仁三郎セレクション

高木仁三郎セレクション (中里英章、佐高信 編) / 岩波現代文庫 (377P) ・ 2012年 7月(120819−0823)】



・内容
 生涯をかけて原発問題に取り組み、最期は原子力時代の末期症状による大事故の危険と、放射性廃棄物がたれ流しになっていく恐れを危惧しつつ2000年にガンで逝去した市民科学者・高木仁三郎。3・11を経てその生き方と思想と業績にますます注目が集まっている。厖大な著作のなかから若い人に読み継がれてほしい二十二篇を精選した文庫オリジナル編集版。


          


昨年来、原発事故を予見、警告していたとして再び注目されるようになった故・高木仁三郎氏。あらためて読んでみると、氏が主に指摘していたのは技術的なことよりも原子力産業の構造的欠陥であって、原子力に関わる人と組織の閉鎖体質が大事故を招くのではないかという危惧であった。
たとえば阪神大震災の後も「原発施設は壊れない」と電力各社は主張して地震対策を見直すことはなかった、浜岡原発の防災要項にはそもそも地震津波の想定すらされていなかった、という件りは、(東日本大震災を経験した今からすると)信じられない思いがするのだが、反面の事実として、社会もそれを深く追及しなかったのである。
『東京プリズン』を読んだあとだけに、なおさら戦後の日本人気質、一部の特定企業や財閥のみならず、日本全体が原発を組み込んだ‘親方日の丸’の中央集権型システム下にあったように思えてならない。

 私が現代科学技術の暴力性といったことを強調するのは、そのためです。戦争のために発達してきたのではないような科学技術のあり方、月並みな言葉で言えば、平和性や持続可能性といったことを価値基準にした科学技術のあり方、方向が必要なのではないかと思うのです。


原発というのは結局スリーマイル島チェルノブイリや福島級の大事故がなければ、ほとんど黙認されてきたのである。
ようやく現在「脱原発」の主張がメインストリームになりつつあるが、では福島のあの事故がなくてもわれわれは「脱」に舵を切ろうとしただろうか? 現実に大事故が起きて多くの被害者を生んだそれまで、われわれの大多数は日常の電源を疑うことなどなくぼんやりと生きていたのではないか?
(いつのまにか原発が五十四基もつくられていたという無知のフリは「天皇の戦争責任」をうやむやにした社会では起こりうることだったように思う)
今になって「高木さんの主張にもっと耳を傾けるべきだった」とはいったい誰に向かって言うのだろう。国や電力会社はもちろんその対象だが、「耳を傾けなかった」のはわれわれの多くだって同罪なのだ。かつて高木さんを左翼の変人呼ばわりしていたのは誰か。彼を見殺しにしたのは原発推進派だけではないのである。
(敗戦前と後。福島以前と以後。この変わり身の早さだって日本人の特質だ)



高木仁三郎さんは多筆な人で、多くの著書があり、また雑誌、専門誌等への寄稿も多かった。本書には比較的わかりやすい文章が収められている。事故の検証と原発の危険性を訴えるものに混じえて彼が科学者を志した理由や、研究職を辞して原子力資料情報室を設立した経緯、市民科学者として彼がやろうとしていたことなど、個人史的内容も含む。
これらの文章は政府や原子力産業を相手にしていたのではなく、一般市民に向けて書かれたものだった。彼は専門家同士の間でだけ通じる言葉ではなく、一般人にもわかりやすい言葉で語ることに心を砕いた文筆家でもあったのだが、彼が‘市民科学者’として活動したのは「市民と科学への不安を共有する」ためだった。その思いにどれだけ自分は応えただろうと自戒すると忸怩たる思いがする。
科学者、技術者、専門家と市民。その境界線は言葉の壁でもあって、こちらの無関心が向こう側に不透明なムラ社会を形成させてしまった。在野の科学者として両者の橋渡しをしようとしていたのが晩年の彼だ。

原子力に対する意見の分かれは、つまるところ、安全や環境、さらに将来の社会のあり方をめぐっての考え方、価値観の違いにあるのであり、“科学”と“非科学”の分岐ではない。科学論争も含めて、多様な価値観に基づく多様な意見が自由に交換され、その中から柔軟な選択が行われていってこそ、文化が育まれていくであろう。


本書を読んであらためて気づかされるのは、彼がただ反原発だけを主張していたのではないということ。環境問題にも造詣が深く、原発を見るのと同じ目で自然の変化も見ていた。どんどん細分化してある分野だけに特化していく近代科学の風潮に対して、科学全般のあり方を見つめなおし、大きく速く強いのを良しとする核・軍事技術的な発想からの転換を呼びかけた。
そのうえで脱原発の志向は真のエコロジー思想でもあらねばならないことを訴える。放射能という「毒」、生物界にはもともと存在しない「毒」を扱う原子力発電がいかに不自然なエネルギーであるか。自分たちの世代どころか何万年にも渡って厳重な管理を要する核廃棄物を出し続ける発電形態に依存することへの、生き物としての本能的な怒り。ならば、そんなエネルギーを不要とする循環型社会の形成に向かわなければならない。
人口は減少傾向にあるのに、どうして消費電力は増える一方なのか。問われているのは自分たちの生活態度であり、政治の問題であるのと同時に文化と文明の問題でもある。「脱原発」と言うのなら、電力以外のエネルギーについても同じように考えられなければならないだろう。
高木さんがアカデミズムを離れて野に下ったのは、憧れていた宮沢賢治が教職を辞して羅須地人協会を設立したのに倣ったらしいのは頬笑ましくもこの人らしいと思わせられて、ちょっと嬉しかった。志半ばで斃れた彼の尽力が無駄ではなかったと、いつかそう言える日が来るといい。