平山夢明 / 或るろくでなしの死

平山夢明 / 或るろくでなしの死 / 角川書店 (274P) ・ 2011年12月(120824−0828)】



・内容
 その一線を、超えるべし。狂気の淵にたたずみ惑う人間たちの“その瞬間”。震えながら、戦きながら、そうとは知らずに……七人の人間たちが迎えた、決定的な“死の瞬間”。異能・平山夢明が魅せる狂気の淵に、決して飲み込まれるな! 驚愕の傑作短編集。


          


『独白するユニバーサル横メルカトル』以来、久々に読む平山夢明の最新短篇集。「或るはぐれ者の死」、「或る嫌われ者の死」、「或るごくつぶしの死」…とタイトルをそろえた全七話とも〈死〉にまつわる作品集だ。この作家のことだから、どうせ‘ろくでもない’死に方をする連中の話なのだろうと思っていたら、その通りだった(笑)
うすっぺらい奴らの、虫ケラみたいにうすっぺらい最期。物語の比重は最後に「どうやってこいつが死ぬのか」にかかっているから、読む側も(どうせ死ぬ)登場人物に感情移入する必要はない。〈死〉がテーマでありながら身構えなくていい。そういう意味ではとても楽チンな読書だった。



誰にも看取られることも悔やまれることもなく野垂れ死に、なぶり殺しにされ、あるいは自ら殺されたがる七つの肉塊。グロテスクなはずなのに無機的で湿度を感じさせない文体。吐瀉物、排泄物、体液にまみれた凄惨な、人間なのに動物的な現場を、どこかコミカルな人体実験みたいに書いてあって(意外にも)生理的な嫌悪感はあまり感じなかった。
末期の生への執着や未練よりも、苦痛と恐怖を快楽に変換してしまう倒錯にこそ人間性が表れるだなんて思わないし、そんな深読みをする気にもならなかったが、死を(生命を)軽く扱っているなんてくそ真面目な批判も野暮。不謹慎かもしれないが、ここにあるのは「エンターテイメントとしての死」なのだ。

 「あんた、ハムスター買いなさいよ」 そいつはふくれっ面をした。 「あたしに」
 俺はそいつの顔を暫く眺めた。
 「いや、どうしたんだろう。耳がおかしくなったのかな。見ず知らずの餓鬼に何か言いつけられているような気がする」
 「耳はまともよ。早くなさいな」


つまらなくはないけど、べつに読まなくても良かったかなとも思い始めた中盤、五話めの表題作「或るろくでなしの死」だけは少し毛色が違っていて、まっすぐのめりこんだ。
殺し屋とミステリアスな少女の組み合わせ。冷血無情な殺し屋稼業の男が少女に尻尾をつかまれて、翻弄され(ハムスターを買わされる)、引きずり回されたり冷や汗をかかされたり、そのうちその少女を始末するよう指令を受ける、という筋書きはどこか他にもあったような気もするのだが、こういうミスマッチは楽しいに決まっているのである。この作品は本書で唯一、主人公の行く末が気になって一気読みの後、二度読みした作品だったが、それはつまり、この二人には死んでほしくないと思わせるキャラクターだったのである。
ただし、本篇の最後は本書中でも最もグロい展開になるのだったが。



全七本のうち四話は携帯読書サイトに初出とのことでなるほど軽めで、えげつなくて不快な‘平山節’全開とまではいってない感じ。(「或るろくでなしの死」と「或る英雄の死」の二作が書き下ろし) 無常死に至るストーリーよりも、言葉遊び的な面も含めて思いつくままの勢いで書き散らかした印象だった。
若いときにはこういう作品にいちいち衝撃を受けたものだが、今ではちっとも怖くない。「殺す」「殺される」そんな修羅場なんかじゃなくても、人の死には本当にいろんな死に様があるのを経験上知ってきたからか。著者は現実の方が怖いことが多いのを十分承知の上で、あえて‘読み物としての死’を並べているように思う。今際の恐怖や狂気をげらげら笑いながら書いているみたいなわりきった潔さがあった。それでいてただのスプラッターホラーに終わるのを良しとはしていないような……
「可哀想でなければダメだもん」― ハムスターを殺す孤独な少女は殺し屋にそう言った。小説のセオリー的には、死ぬ前に可哀想と思わせなければならないのだが、そうではない作品をあえて著者は書いた。表題作がなければ最後まで読まなかったかもしれない一冊だが、平山夢明の逆襲には期待している。