安田 寛 / バイエルの謎

【 安田寛 / バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本 / 音楽之友社 (280P) ・ 2012年 5月(120830−0904)】



・内容
 「バイエル」は、日本のピアノ文化にもっとも影響を与えた教則本。なぜバイエルだったのか? バイエルとは何者か? 本当に実在したのか? 100年以上も「バイエル」を弾き続けてきた日本人と日本の音楽史にとって、画期的な発見。19世紀の「謎の音楽家」バイエルを追って、著者は、アメリカ、ウィーン、ドイツを旅した。バイエルを日本に輸入した人、チェルニー&バイエル同一人物説からバイエル偽名説、初版の存在や、ついに見つけた戸籍簿まで、謎解きはスリリングに展開する。読み応えあるノンフィクション。


          


ピアノを習ったことのない自分でも「バイエル」の中のいくつかは知っている。通学路にある音楽教室や近所の家の窓から聞こえてきた定番の練習曲。これがバイエルか、あれもバイエルだったのか、という具合に。
日本のピアノ文化の礎となった有名な教則本なのに(それこそピアノに無縁な者でも知っているというのに)、それを書いた人物についてはまったく知られていない。ドイツの権威ある音楽事典にはわずかに数行、「凡庸で独創性に乏しい」「素人好みの大衆音楽家」と辛辣に記されているだけだそうだ。公的な記録(一次資料)は何も残っていないらしく、そもそもバイエルなる人物が実在したのかどうかさえ疑わしいというのだから驚く。
著者はあの教則本の初版を探しにドイツの地方都市に足を運ぶ。わずかな手がかりをもとに第二次大戦で破壊された街の図書館、教会、墓地、かつて音楽出版社があった場所へと訪ね歩く。 
これはある意味で、ピアノ版『古書の来歴』なのだった。

 父親の記録を調べるのではなかったのか? 彼は強い疑問を投げかける。それを力一杯跳ね返して、いや、両方です、息子と父親の両方です、と私の語気が強くなる。バイエルの人生に私の人生がかかっているのだとまでは言えなかった。もしも私の人生なんか関係ないと言われれば、バイエルの人生に日本人の西洋音楽の歴史の重みがすべてかかっていると言いたかった。


バイエルは現代ドイツでは流行作曲家と見なされて芸術家としては認められていないらしい。実際、調べていくと、彼の主な仕事はオペラのアリアなどをピアノ用に編曲することだったらしく、十九世紀半ばにはピアノをたしなむ貴婦人方がそういう曲を好んだため、それなりに需要があったとのこと。
しかし、ピアノ教則本についてはいくら調べてみてもこれといった資料は出てこず、初版も見つからないまま月日が過ぎる。著者自身も、実はバイエルは偽名ではないかとか、複数の作曲家たちによる架空の存在なのではないかという可能性に傾いていく。虚しい仮説を自ら検証することに時間を費やすしかないのだが、そのあたりも一級の音楽ミステリの趣きがある。
すべてが徒労に終わりそうな落胆ムードだったのが、ふとしたきっかけから一気に好転し始める。教会の古文書の山の中からとうとうバイエルの戸籍を発見する。家系をたどり彼がどうして音楽家になったのかをひもといていく。知られざる経歴を明らかにしつつ、あの教則本の構成にまつわる数々の謎まで解読していく後半は圧巻だった。



「バイエル」の一番、二番がいきなり変奏曲で始まる理由や、106までの番号曲と番号の付いていない併用曲との関連など、これまで誰も試みなかった音楽的考察もなされているのだが、本書の面白さは楽譜上の専門的な分析だけにとどまらない。
現代日本人が百年以上も前の一人のドイツ人音楽家について調べる困難は、いかな専門家といえど並大抵なことではあるまい。まだドイツという国家ではなかった時代のことであり、さらにその後、二度の大戦があり、敗戦の末に東西ドイツの分断と再統合があった。ぶ厚い歴史の壁、文化の壁を思い知らされて、著者は膝を折りかける。しかし、最終的に彼が目的地にたどり着けたのも、「歴史の力」のようなものに導かれたからなのだ。
始めはこれほど難行するとは予測していなかった節があるのだが、幸運に恵まれ、偶然にも助けられながらバイエルの実像に迫っていく著者の一喜一憂が実に生々しく、音楽史的発見の一方で、現代人が忘れ去られた遠い過去の人物像を甦らせていく、その作業過程に立ち会う喜びを本書は味わわせてくれる。
いったいバイエルって誰なんだ?という単純な動機から始まった調査は、バイエル本人と彼が遺した音楽への敬愛を示して終わる。著者のその自然な態度の変化は好ましく、読んでいて「安田さん、良かったねー」と肩を叩いて労いたくなったのだが、同時に「バイエルさん、ありがとう」とも言いたくなるのだった。
ここには一人の(日本では有名、ドイツでは無名の)音楽家のことが書かれていただけではない。歴史とは、文化とはどういうものか、という答えのない問いがずっと背景にあったような気がする。

 そのときであった。開かれていたページを見た彼は、これは、と指さす。もしもこの瞬間、牧師がたまたまのぞき込んでくれなかったら、と思うとぞっとする。調査を始めてから四年間の苦労が凝縮された瞬間だった。バイエルが日本に伝わった一八八〇年(明治十三)から百三十年経ってようやくたどり着くべき地点にたどり着いた瞬間であった。
 父親の名前はなんでしたか? クリスティアンです。そうですか、ここにクリスティアンと書いてありますね、クリスティアン・バイエルと。


子どものバイエル、新しいバイエル、いろおんぷバイエル、赤バイエル黄バイエル。色がつけられ絵が加えられ、省略されたり拡張されたり順序が変えられたりした。「バイエル」は戦後の日本で独自に改訂され、様々な版が乱発されて爆発的に広まった。グローバル・スタンダードと日本標準の微妙な差異は、たとえばサッカーを見ていても感じるのだが、日本流に消化してアレンジすることで日本人の特長が際だつようになることもある。バイエルの場合は、日本の文化風土、音楽教育(音感教育)にマッチしすぎたがゆえに、ついぞオリジナルが顧みられることのないまま現代まで至ったということか。それにしても、日本の音楽界が西欧音楽受容史において恩人といっても過言ではないバイエル本人への関心をこれまでずっと放置してきたのが不思議でならないのだが、しかし、逆にとても日本的な現象のようにも感じられる。
著者は入手した初版を「静かにした手」でゆっくり弾いてみる。そして、その教則本にこめられた作曲者の意図を感じとる。序文に記されているとおり、まだ小さい子どもに「親がピアノを教える」入門書として適した内容だと実感する。母親の手から子どもの手へ。そこにはピアノの普及とピアノ教育の狂騒の中で忘れられがちな原点が書いてあるのだった。日本人がバイエルを選んだのはけっして間違いではなかったのである。
本年ベストの一冊!


ところで……「おじさん用バイエル」というのもあるんだろうか? 退職して大人のピアノ教室に通うようになったら、バイエルについてのうんちくを語って美人の先生に褒められたいものである。
(『ピアノ・レッスン』、また観たくなってきたな)