小松左京 / 日本アパッチ族


祝・復刊! 個人的にこれほど再刊を待ちわびた作品はない。たった一冊の文庫本。べつにアマゾンに注文しても良かった。でも、これまでにどれだけこれを探してきたことか。これを読まなきゃ始まらないという思いこみも先走る。今日こそは絶対に見つけてこの手で持ち帰ってやるという妙な使命感に燃えて書店に向かう。三店を巡ってやっと、たった一冊だけ置かれてあった本書を手にしたときの感激はちょっとしたものだった。
何年もずっと読みたかったのを念願かなって楽しむことができて嬉しかった。ありがとう、ハルキ文庫!



小松左京 / 日本アパッチ族 / ハルキ文庫 (372P) ・ 2012年11月(121117-1123)】



・内容
 終戦前後の大阪で、鉄を食べる人間が出現した。名は「アパッチ」。一日に平均6キロの鉄と0.2〜0.6リットルのガソリンを摂取し、その肉体の強靭さとスピードは、人類をはるかに凌駕する。彼らはやがて全国へと拡がり、日本の政治、生産機構までも揺さぶるようになっていた・・・・・・。小松左京の処女長編にして、SFの枠を超えた永遠の名作が、ここに復活!


          


『戦後SF事件史』にも『未踏の時代』にも、それにもちろん小松左京本人の本にも本作発表の経緯は書いてあって、でも現在絶版、入手困難だった小松1964年の処女長篇。早川書房より長篇第一作として出るはずだった『復活の日』の前に光文社カッパ・ノベルズから刊行された、日本SF史にとってもいわくつきの作品だ。おそらく当時のSFマガジン系列はマイナー・インディーレーベルみたいなものだったろうから、いわば一足飛びにメジャーデビューを果たした作品ともいえる。
京大を出て後、実家の工場長として働きながらせっせとラジオ原稿なんかも書いていたが生活は楽にならず、妻の嫁入り道具の一つでもあったラジオも質に入れてしまう。『復活の日』よりずっと前からどこに発表するあてもなく、ただ奥さんを笑わせるために書きためていたというのがこの作品である。

 「さよか」 と私は言って、K新聞の夕刊を見せた。 「この記事、読みましたか?」
 「読んだ」 男はにやりと笑った。 「だが、ほんとかな」
 「ほんとやとも」 私は言った。 「おれたちがそのアパッチや」


SFの括りとしては‘歴史改変物’にして‘人体変異物’を合わせたパニック物。つまりは奇想天外、荒唐無稽の快作にして傑作であった!
終戦後、陸海空軍が残された日本。憲法が改正されて失業者は犯罪者として追放刑になる。追放地は開高健が『日本三文オペラ』に書いた、かつて「アパッチ」と呼ばれる屑鉄盗賊集団が跳梁跋扈した大阪城東の旧陸軍造兵廠跡地(現在の大阪城公園の一部)、という設定。
民主主義と人道主義のスローガンの下で近代化に猛進する戦後社会の裏側で密かに進行するディストピア的状況に、一方、世間から隔離された追放地帯をユートピア的に描く。大空襲によって破壊され尽くし広大な廃墟と化したまま手つかずのその追放地で、やむにやまれず鉄スクラップを食ってしぶとく生きる者たちがいた。食鉄人種に変異したアパッチの末裔たちはやがて社会に進出して、日本を大混乱に陥れるという展開だ。  
鉄鋼、重軽金属。高度経済成長を支えた重基幹産業の一つであり、闇雲な復興と文明を支えた隠れた屋台骨でもある。アパッチはこれを片っ端から食ってしまう。また、ぶ厚く堅牢な重器鉄塊は軍隊警察を筆頭とする国家公安権力の象徴でもあるのだが、彼らは憶するどころかヨダレをたらして戦車にも装甲車にも黒塗りのリムジンにもかぶりついて(「あの戦車うまそうやないか、よう肥えとるで。見てみい、あのケツのあたりの肉のつき具合」……!)、果てには東京タワーまでも(!)かじり倒してしまうのである!



小松左京は当然、1959年の開高健『日本三文オペラ』を読んでいたはずだ。同郷出身の同い年の、焼跡闇市派の青年が芥川賞を得て一躍脚光を浴び、自分もよく知る終戦直後の大阪の混沌をベースに一大傑作長篇を書いたことは、彼の創作・執筆意欲に油を注いだはずだ。
予想していたことだが、随所に開高作品との類似性は感じられ、アパッチ族個々のキャラクターや飄々として無頼な語り口にも『三文オペラ』の登場人物を彷彿とさせ、思いださせるものもあって、思わずニヤリとしてしまう。
アパッチ族」の史実を開高健は、たくましくもあさましく、はかなくもの哀しい、滑稽にして自由奔放な生命力のスパークに昇華させた。小松左京は彼独自の、SFの調味料を加えることで、戦後日本社会を痛烈に風刺した「もうひとつの日本三文オペラ」を生み出したのだった。
まだSFなんて軽視されていた五十年前にこれは書かれた。だが、ここに書かれている日本の政治官僚機構の愚鈍さは昨年2011年3月以降にもちっとも変わらず醜くも表出したのだ。SFだから鋭くなければならない SFだからこそ真実を書かなければならない。ここに書かれている日本人と日本社会に対する観察眼、人間という種への洞察は確かなものだったと、3.11を経た今、より強く実感される。

 「あんたらの廃墟が、アパッチにとって、もっとも豊かな土地やということが、まだわからんのか?」 と大酋長は傲然と腕をくんで顎をしゃくった。 「伝統、思い出、歴史 ―そんなもの、外にあらわれとるもんや― 寺を焼かれて、ほろびるような伝統やったら、そんなもんとっとく必要ないわい。建物が焼けても失せても絶対に消えんもんこそ、残る値打ちがあるもんや」


小松左京が‘廃墟出身’であることは最近になって読んだもので知ったのだが、まさにそれをストレートに証明するような作品だった。これを読んでから彼の代表作を読んでいたら、大きく捉え方が違っていただろう。あの小松左京が、最初期には大らかな笑いを誘うこんなものを書いていたのだという驚きと喜びを感じつつ読んだのだった。
うがった想像を許してもらえるならば、「廃墟」が原体験だという作家の本当のルーツは「廃墟を書いていたとき」なのである。この作品をものにすることによって、小松左京は自分が経験した廃墟を ―飢えた野犬の群れが人を襲い、タバコを斜にくわえた年端のいかない子どもらのギャング集団がよってたかって大人の身ぐるみを剥ぎ、油の浮いた泥水を飲み、空腹にたまらず地面から拾ってしがんだ屑鉄に甘みを感じるような― 原体験の再生産を行ったのだ。作家にとってほとんど故郷のような終戦と復興の間にあったはずの廃墟空間は、やがて鉄骨とコンクリートでカモフラージュされ、いつしかそんなものはなかったかのようにすべて覆い隠された。何の上に今の自分たちは立っているのか。文明と未来を論じる大元にはこの作品があったのだ。
のびのびとして勢いにまかせて思い切り広げた大風呂敷に薄っぺらな戦後日本社会を堂々と風刺してみせる、若き日の小松左京がここにいる。SFならばすべてを相対化して描きこむことができるとの確信は、これを書いたことから始まったののだ。SF者のソウル、SF魂はすでにここに眩くも炸裂していたのだ。


ありがとう、小松左京