稲泉 連 / 復興の書店

【 稲泉 連 / 復興の書店 / 小学館 (199P) ・ 2012年 8月(121212-1215)】



・内容
 それは何も仙台の書店に限った風景ではなかった。苦難をのり超えて開店した多くの店舗で、活字に飢えているとしか言いようのない人々の姿が目撃された。本はただの「情報」ではない。人々にとって「生活必需品」だった、と書店員たちは実感した。あれから一年。大宅賞作家・稲泉連氏が、被災地における書店の「歩み」を記録することで、ネット注文や電子書籍が一般化しつつある昨今の出版界における、紙の書籍の「尊さ」を再発見していく。


          


各紙誌に取りあげられていたので、読む前にだいたいのイメージは想像できた。
電子書籍なら棚から落ちることも泥まみれになることもない。でも、ぬくもりまで伝えられるだろうか。」―これはA新聞の記事だが、大方は紙の本のありがたさを再認識したという論調で、それはそうだろうと思う。でも「ぬくもりを伝える」なんて情緒的なまとめ方には、全国ネットの大新聞の、現実を何分の一かに希釈して都合よく一般化してしまう視線を感じる。「紙か電子か」なんて問題はこの本では一行も論じられていないのだ。
本屋は「ぬくもり」を売るのではないし、客は「ぬくもり」を買いに行くのではない。物流を断たれた被災地の書店がいかに店舗を再建し営業再開にこぎつけたのか。食糧調達もままならない被災者が何を求めて書店に行ったのか。著者は三陸沿岸の書店を訪ね歩いて丹念に店員の声をひろっていく。

 「だから店を開いたのは、本が売れた、何が売れた、っていうことじゃなかったんです」とトキエさんが話を引き取る。
 「ああ、お店が開いている、という声。最初はただそれだけで嬉しくてやっていたようなものです」


はじめに茨城から青森までの地図が掲載されていて、取材した書店がマークされている。一口に「被災地」といっても場所によって状況は様々で、住民が減ったところもあれば、移住してきたり避難所が設置されたりして一時的に人口が増えた町もある。この地図が‘それぞれの事情’を再確認する助けになって良かった。
たとえば屋内待避指示が出された福島第一原発周辺や避難所ではパズル誌や子ども向けの絵本が売れた。隣の南相馬市からの避難者が多かった相馬市の書店では地元の地図が必要とされ、体育館で寝泊まりしていると曜日感覚がなくなるからとカレンダーが求められた。津波に襲われた地区では中古車や住宅情報誌、保険や法律関連書から手芸の手引き、礼状の書き方などの実用書の需要が高かった。
どんな本が売れたのかは、何がなくなったか、被災者が不自由な生活の中で何をしようとしていたかの切実な反証だろう。



宮城には震災後に‘隠れたベストセラー’になった「釣りの本」がある。母親が絵本やマンガ本を買っていったのは、連日テレビに映し出される悲惨な光景に子どもが怯えていたからだ。本を手にして笑う子どもの顔を見て、母親はやっと救われた気持ちになれたという。
しかし、当の書店では営業再開を決意したのに、肝心の本が入ってこない。本屋なのに本がない、情けない状況が続いた。毎月「ちゃお」という漫画雑誌を買っていく女の子が新しい号を買えずにがっかりして去っていく後ろ姿を見送るしかなかった。客の要望に応えられない苦渋は書店員のプライドも傷つけた。彼らもみな被災者であったが、職場で再び厳しい現実に直面させられたのだった。
店主は自らトラックが足止めされた配送基地から本を運んで商品を集めた。復旧後には売ることができなかった雑誌のバックナンバーをできるかぎり取り寄せて店に並べた。書店の復興は日常に本がある光景を取り戻すこと、そして信頼を回復しようとする努力から始まったのである。

 丁字屋書店の佐藤さんたちがそうであったように、彼もその様子を見て「やはり店を開かなければ」と決心したと振り返る。その瞬間、それまで一人の「被災者」であった大内さんは、町の「書店経営者」へと戻ったのである。


三月。書店では新年度の学校教科書や副教材の納入準備に入った時期だった。官庁や図書館、病院、飲食店や理容店、企業などに定期購読誌の配達にも行かなければならない。書店には自分がふだん利用するのとは別の仕事がたくさんあり、そしてそれが経営を支える貴重な定期収入元であることを知る。
仙台の丸善ジュンク堂から個人経営の小規模店まで、東北の幅広い書店の「あのとき」が紹介されている。とりわけ地域密着型で頑張るしかない個人商店の奮闘には目頭が熱くなった。たださえ全国的にも‘街の書店’は減る一方なのに、震災はその傾向に追い討ちをかけるようにして起こったのだった。著者と業界のガイドとして「取次会社」のスタッフがいて、彼らの証言によって感情的になりすぎぬよう当時の概況が伝えられている。
どこの書店でも、置かれた本の一冊一冊がすべて店員の手で並べられたものであることをあらためて思う。何千、何万冊の本を‘刺した’棚が次々と倒れて水に浸かり泥に浸かり、濁流に呑まれた。ここに取りあげられているのは再生に向かう書店の姿だが、物理的に店舗がなくなり、あるいは働き手がいなくなって自然廃業となった店も少なくないのだ。
被災したみなさんは大好きだった本を再び手に入れることができただろうか。「本」という商品を通じた震災の縮図であり、記録としてもこの本は貴重なものだと思う。