情熱のピアニズム


【 情熱のピアニズム 】 



公式HP→映画『情熱のピアニズム』


フランス人ジャズ・ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ(1962-1999)のドキュメンタリー。
ペトルチアーニは凄い!」というのはこの映画の感想ではない。生前のインタビュー、ライブ映像に関係者の証言を織り交ぜた構成の、伝記映画としては普通の作品だった。
途中からずっと物足りなさを感じながら観ていた。障がい者が超人的な演奏をするから凄いのか。名門ブルーノートと契約するほどだったのだから音楽的に並はずれて優れていたのか。ならば彼の演奏の特長、極意はどこにあったのか。どうも焦点を定められないままに一時間四十分余りの時間が過ぎてしまった。


     


類い希なる音楽の才能と、人を惹きつけてやまない奔放で陽気な性格。証言者は口をそろえる。ペトルチアーニ本人もカメラの前では、自らの障がいは大したものではないかのように話し、ふるまっている。
絶対にあったはずのコンプレックスがなかったかのように描かれているのではないか。観る側が抱く必要のない疑問かもしれないし、それこそ覗き趣味の野次馬根性かもしれないのだが、自分が感じていた座り心地の悪さはそこにあったのだと思う。
ペトルチアーニと暮らした何人かの妻と恋人も登場する。彼がベッドでどうだったかなどということ以外に、脆い骨格の長くは生きられなさそうな男と生活を共にする苦労など、もっと語られるべきことがあったのではないか。(もちろん編集でカットされている可能性はある)



ペトルチアーニは全身の骨が折れた状態で生まれた。骨形成不全症という遺伝的障がいを持ち、成長しても身長は1メートル余りまでしか伸びなかった。音楽一家に生まれたこともあって幼少期からピアノにのめりこんだ彼のアイドルはビル・エヴァンスだった。
しかし、彼はエヴァンスのようにはプレイできなかった。腕は短く、ペダルも使えない。高音や低音を弾くために身体をねじると元の姿勢に戻れなかったり、無理をすれば骨折するかもしれなかった。
演奏風景を見ると、身体は小さいが手だけは大きく頑丈そうなのだった。力強いタッチと強靱な集中力でぐいぐいと音楽を引っぱっていくが、演奏中に腕や指の骨が折れることもしばしばだったそうだ。それでも彼はけして中断せずに弾ききったという。
おそらく他人のどんな証言よりも、彼が演奏している姿を一曲でも通して見たならば、彼がどんなプレイヤーなのかヒントを得られそうなのに、演奏場面はコマ切れにしか紹介されない。


     


貪欲にポジティブに前進し続けようとした彼の生き様こそがメッセージなのだというのなら、それはそれでいい。だが、自分が知りたかったのは「彼にとってピアノとは何だったのか?」、そして「彼は何を表現しようとしていたのか?」だ。彼のビッグマウスではなく、生き急ぐ彼がピアノで語ろうとしていたものを知りたかった。
片手のピアニストがいる。盲目のピアニストもいる。ピアニストという人種について、この人からも教えられることが多いのではないかと期待していたのだが、そういうものではなかった。登場する関係者の中に同業者は一人もいない。彼のテクニックや音楽性を掘り下げた証言もほとんどない。自分の不満は「音楽映画として」のものなのだろう。
遺されたレコードを聴いてそれを感じればいいのだろう。彼は36歳の若さで亡くなったのだが、幸いにして映像記録も多く残されているようだ。
“彼がこういう人生を選んだのか、人生が彼をこの道に進めさせたのか、知っているのはピアノだけだ”― HPに掲載されている矢野顕子さんのコメントをこの映画とともに記憶しておきたい。
この28日がパリの墓地でショパンの墓の隣に眠っている彼の生誕五十年の日だった。