P.ジョンソン / チャーチル 不屈のリーダーシップ


‘石の拳’ロベルト・デュラン伝の後にチャーチル伝を読むヤツなどいまい。


2016年から流通するイギリスの新しい5ポンド紙幣にチャーチルの肖像が使われることになったと先月報道された。

          

右下には1940年5月の首相就任演説の一節、「私が差し出せるのは血と労苦と、汗と涙しかない」が印刷されている。
これ、一枚欲しいな。



【 ポール・ジョンソン / チャーチル 不屈のリーダーシップ / 日経BP社 (325P) ・ 2013年 4月(130519-0524) 】


CHURCHILL by Paul Johnson 2009
訳:山岡洋一、高遠裕子



・内容
 『ユダヤ人の歴史』や『インテレクチュアルズ』で知られる英国の歴史家・ジャーナリストのポール・ジョンソンが、ヒトラー率いるドイツから祖国・英国を、自由主義と民主主義を救った英雄、戦時宰相ウィンストン・チャーチル(1874-1965)の生涯を愛惜を込めて一筆書きのように描いた評伝。


          


英国小説を読んでいると、チャーチルがああ言った、こう言ったという話がよく出てくる。六月刊のコニー・ウィリス『オールクリア』完結篇にもきっとそういう場面があるだろうということで、予習も兼ねて読むことにした。(本書表紙カバーはおそらく英国新紙幣に使われるのと同じ肖像画が使われている)
名演説家。言葉の戦争の勝利者。自分の興味はノーベル文学賞授賞者(1953年)としてのチャーチルであって、政治家としての彼については特に知りたいと思っていたわけではない。しかしながらこれを読むと、チャーチルの人生は十九世紀末から二十世紀の英国史と重なっていたことに今さらながらに驚かされる。というか、ほとんど近代英国史を書いたのは彼なのではないかとすら思えてくる。
26歳で下院初当選を果たし、三十代半ばで植民相に。第一次大戦時には海軍大臣として挫折し失脚するも、1940年に戦時内閣の首相兼国防相として復帰した。そのときすでに65歳。その間にインド、アイルランドパレスチナ問題にも取り組んでいて、それらの国々の現行体制へのレールを敷いたのも彼だった。
90歳まで生きたこの大人物の本格的評伝や研究書を読もうとしたら一週間や二週間ではとても足りなさそうなのだが、本書は実用書的にコンパクトにまとめられていて助かった。

 政治家としての能力を磨いていくなかで、英語の言葉がチャーチルの血となり肉となっていった。イギリスの政治家のなかで、英語をこれほど愛した人はいないし、キャリアを築くために、そしてキャリアが傷ついたときに名誉を回復するために、英語の言葉の力をここまで一貫して利用した人もいない。


貴族ではないが、父親も高名な議員だった由緒ある名家の生まれ。当然ケンブリッジかオックスフォード出身なのだろうと思っていたのだが、大卒ではなかった。高校卒業後は士官学校に進学。将校としてボーア戦争などに出征したが、現地では戦場の記事を書いて原稿料も得ていた。
軍人でありながら記者としても働く「二足のわらじ」の経験が、政治家となってからの彼の最大の財産であり基盤にもなったようである。本書では「歴史的想像力」という言葉で説明されているが、優れた先見性や洞察力はこの時期に培われたものであるらしい。しかし、それではまだ半分である。
それを言葉にして話し、書く。ラテン語の成績は芳しくなかったらしいが、英語を愛し、弁論と執筆には若い頃から熟達していた。チャーチルチャーチルたらしめたのは、英語を駆使した意思の表現力だった。彼もまた‘詩の国の息子’なのだった。



「冷戦」、「鉄のカーテン」、「バトル・オブ・ブリテン」等の歴史用語も実は彼が演説の中で初めて使い、後世に定着した言葉なのだという。笑顔でVサインというのも第二次大戦中にチャーチルが軍や被害地を視察したときの写真がもとで広まった。
歴史的功績の数々とともに、今でもチャーチルが愛されているのは彼が残した言葉と人柄ゆえなのだろう。優れた軍人政治家は他にも大勢いるものの、その実像で記憶されている人物は少ない。
本書にはその良い例として、第二次大戦時のチャーチルヒトラーが対比されている。首相兼国防相チャーチルは最高権力者の地位にあったが、ヒトラーのように独裁者にはならなかった。国王ジョージ六世への報告を怠らず、国民の代表たる議会を最大限に尊重した。
ヒトラーは二十世紀最大の民衆扇動家だったが、次第に公の場には姿を現さなくなり、国会での演説も行わなくなった。一方チャーチルは頻繁に演説を行い国民向けにラジオでも肉声を伝えた。あらゆる命令、通達の文書化を徹底し保管したのは、一部の側近に口頭で指示するだけだったヒトラーとは対照的だった。

 年老いたチャーチルが、若き女王に対して深く頭を垂れる姿は、悠然として威厳に満ち、控えめであり、一種のアートともいえる。だが、敬意を表していたのはその地位ではなく、歴史と伝統である。冗談好きで通っていたチャーチルだが、当人がジョークの格好のネタになった。チャーチルほど国民の笑いの対象になり、国民とともに笑った偉大な指導者はいない。


それらの事実は、チャーチルが非常時にも議会制民主主義と憲法を遵守していたことを表す。国のあるべき姿をリーダーがスタンダードとして示す。そして、それはフェアプレーの精神に則って実践されたのだった。
チャーチルヒトラーとその軍隊と戦ったが、ドイツ国民を憎んでいたわけではなかった。彼にも政敵がいないわけではなかったが、党派閥に固執することはなかったし、議会での論戦を場外にまで持ち出して相手を誹謗するようなことはなかった。
品がないのが政治家だと開きなおったかのような発言が日本では相次いでいる。かつて暴力によって言語を奪い服従させようとした国に対して、今また、まだ言葉の暴力をふるう。一見、愛国的なふるまいに見えるが、他者を貶めることによってしか自分の優位性を表現できないのだとしたら真の愛国者とはいえまい。何をどのように話すべきかをわきまえない者らが危ない橋を架けようとしている。
チャーチルのイギリスは日本の敵国だった。その本が面白く読めてしまうとは、どういうことなのかと考えてしまう。リーダーの資質という点で見れば、日本は負けて当然だったと思えるのだが、嘆かわしいのは、その敗者のメンタリティから現在の政治指導者が何も学ばず、国民に「範を垂れる」ことなしに成り上がっていることである。