佐高 信 / 原田正純の道

【 佐高 信 / 原田正純の道 水俣病と闘い続けた医師の生涯 / 毎日新聞社 (192P) ・ 2013年 5月(130608-0612)】



・内容
 医師の立場から胎児性水俣病を証明し、常に患者の側に立って水俣病を告発し続けた原田正純。企業の利潤追求、国の経済発展の論理と対峙した少数派の闘いの先駆性を、いま原発震災の時代に振り返る。


          


五十年以上も水俣病をはじめとする公害問題に取り組んだ医師・原田正純さん(1934-2012)が亡くなったのは昨年六月十一日。そのつもりで読んだわけではなかったが、偶然にも今週がちょうど一周忌だった。
評論家の佐高信さんが書いた原田さんの評伝だが、よく確認せずに買ったので読み始めてちょっと拍子抜け。水俣病を知らない中高生向けのような平易な内容で、読みごたえはあまりない。水俣病について説明しながら、原田正純とはこんな医師だったと紹介していく。なんだか道徳の教科書みたいだった。

 水俣病の症状の一つに言語障害があって、私などは正直いって、彼らが何をしゃべっているのかがほとんどわからない。でも、原田さんは水俣病患者の不明瞭なことばを正確に聞き取ることができる。


正直に書けば、自分はこの人の文章をあまり好きではない。肩を怒らせ歯に衣きせぬ言葉で体制権力を糾弾する態度は、ときに逆差別的にも映る。
だからたっぷり眉につばして読んだつもりだが、やはり気になったのは、原田正純を「正義の人」と持ち上げて「闘い」を強調しすぎている点。年譜上のトピックを追っていけば結果的にそのように見えるかもしれないが、原田氏は素朴で謙虚な人で、けして反権力・反体制の大看板を掲げて活動していたわけではない。ニュートラルな立場で水俣に関わり始めた氏が患者の側に立つようになったのは自然な流れだったはずだが、これを読むと、社会正義の使命感に駆られて患者救済に尽力したという印象。
著者の主張に原田さんの言葉を当てはめようとする部分も目立ち、原田さんが著者の代弁者であるかのような論調には素直に同調できなかった。



ソースは原田さんの数冊の著作と2010年に放送されたETV特集「“水俣病”と生きる 医師・原田正純の50年」のみ。本書執筆にそう時間はかかっていなさそうである。自分は原田さんについて詳しいわけではないが、それでも自分の知っている原田正純像とこの本の原田像とのあいだにはかなりギャップがある。
原田さんの「中立」の考え方を楯に、被害者と加害者の二極対立の構図を描く。たしかに間違いではないのだろうし、わかりやすいといえばわかりやすいのだが、斬る刃の荒さがひっかかる。原田氏と企業、国のあいだには無数の声なき患者がいた。「闘い」というが、実際に闘ったのは(闘わざるをえなかったのは)その患者たちであり、原田さんはその後方で支援した人である。それも本人の意識としては、医師として当然のことをしたまでだ。
なぜ原田さんが弱者の側に立ったか。佐高さんは権力への「怒り」がもとだと書いているが、自分は「優しさ」ゆえだと思っている。違和感のいちばんの原因はそこだと思う。

 「加害側と被害側に大きな力の差があるとき、弱い側に立つのが中立である」
と考えていたからだ。弱い側とはいうまでもなく患者である。
 私も同感だ。患者の側に立つ原田さんを「患者にひっつきすぎる」と批判した人たちは、いったい何にひっついていたのか、という話である。


あらためて感じたのは、原田正純の人生は水俣病の歴史とともにあったということ。カルテに書かれなかったことを読み取ろうとし、「患者こそが専門家」であると現場主義を貫いた。医学をはじめとする権威の論理が通用しない水俣の現実に直面して、常に自分の立場を見直しながら、患者に教えられ反省しながら、ひとりひとりの患者と向き合おうとした。自分の足で患者宅を訪ね、接した時間は、この人の人生の中で、どんな闘いに費やした時間よりもはるかに長かったはずである。
読みやすいし、水俣問題の入り口の本としては良いのかもしれないが、でも本来ならもっと読みづらく、考えさせられるものではないかとも思う。こんなに声高に正義を主張せずとも、原田さんの著書を読めば原田さんがどういう人だったかはわかる。残念ながら、心優しき医師を心優しき作家が書いたという読後感は得られなかった。
反権力、反体制の思想はもっと低く静かに語られるべきである。また、誰かを「反権力」と位置づけるときに、自分の視点が権力側に近いかもしれないということにも注意したい。

本書でもっとも良かったのは、第四章の口絵に原田さんと石牟礼道子さんの2ショット写真が使われていたことである。