コニー・ウィリス / オールクリア2

【 コニー・ウィリス / オールクリア2 / 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ (512P) ・ 2013年 6月(130704-0708) 】


ALL CLEAR by Connie Willis 2010
訳:大森望



・内容
 第二次大戦下のイギリスで現地調査をするため、過去へとタイムトラベルしたオックスフォード大学の史学生三人--マイク、ポリー、メロピーは、未来に帰還するための降下点が使えないことを知り、べつの降下点を探そうとしていた。だが、新たな問題も発覚した。ポリーがすでに過去に来ていたため、その時点までに未来に帰還できないとたいへんなことになる。史学生が危機に陥ったときには救出しにくるはずのダンワージー教授、万一のときは助けにいくとポリーに約束したコリンは、はたしてやってくるのか……前作『ブラックアウト』とともにヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞を受賞した二部作、ついに完結。


          


まだ終わらないとわかっていて読んだ前篇『オールクリア1』は、こちらの集中力もイマイチ高まらず、内容的にも散漫に感じられた。ところが、いよいよ完結篇となる本作は面白くてたまらない。ほとんど一気読みの勢いで、久しぶりに徹夜までしてしまった。もっとも、一晩ではとても追いつかないぐらいにこれも長かったのだが…。結末を迎えるとわかっていると読書態度も変わるのだからげんきんなものである。
これまでどおり1941年、44年、45年の三つのパートに、今回は新たに1995年の章も加わる。さらにそれぞれの年代ごとに主役の三人(ポリーとアイリーンとマイク)の名前が違うし登場人物も多いので、いきなりこれを読むと誰が誰なんだかぐしゃぐしゃでわからなくなること請けあい。正直にいうと、始めは前二作を読んだから最後までおつきあい、という気持ちもなかったわけではない。パズルのごとき読書になるのは覚悟して本を開いたのだが、しかしいざ読み始めると登場人物たちとの再会に懐かしい気分もして、たちまちのめりこんだのだった。

 いまのわたしは、まさしくヴァイオラだ。サー・ゴドフリーがつけてくれた呼び名はぴったりだった。なぜここに来たのか、なぜ行かなければならないのかを打ち明けることができない。わたしがあなたの命を救ったのとおなじように、あなたはわたしの命を救ってくれたんです、ということができない。あなたの存在がわたしにとってどんなに大きな意味を持っていたか、話すことができない。


『ブラックアウト』が昨年八月、『オールクリア1』が今年四月。九ヶ月のあいだに三分冊としてリリースされた大長篇。二段組みの総ページは約1800。最後を見届け、大森望さんの後書きまで読んでしまうと、(走ったことなどないが)マラソンを走りきったときのような爽快感と、愛すべき登場人物たちとの別れに寂しさも覚えた。
第二次大戦の英国は何人かの英雄といくつかの原因で勝ったのではなく、国民ひとりひとりがそれぞれに「分をつくす」ことで大勢の天秤を勝利に傾けたのだというようなことが書いてあったけれど、長時間にわたったこの読書もそれに近い体験だったように思われて感慨深いものがある。
こんなものを書く方も書く方だが、それを翻訳する大森望大森望で、また読む方も読む方で(読むだけだとしても)。みなさんお疲れさまでしたと言いたくなったのは、たんなる一読者にすぎない自分でもささやかな勝利の余韻を主人公たちと共有できたからである。



自分たちは2060年のオックスフォードに帰れるのか。自分たちが孤児や負傷者を救出して本来の運命を変えたせいで歴史に齟齬が生じ、英国はこの戦争に敗れてしまうのではないか。もちろんヒトラーに屈するなら彼らの帰還はありえない。この二つの大命題が物語を延々と引き伸ばし、雪だるま式に膨らんでいった主人公たちの不安と焦燥がこの最終巻でようやく解けていく。
時間旅行SFの方程式やミステリの技巧ではなく、そこに存在しているのはそれだけで意味があるというような前向きな信念とシェイクスピアで解決してしまう。前作まで航時者のポリーやマイクがさんざん気にしていた時空連続体への関与は、ただ物事の見方、とらえ方の問題であったようで、皮肉っぽくいえば、かんちがいしてただけじゃんとツッコミたくもなるのだが。
でも、自分は過去に閉じこめられてさまよったことなんかないので、結局はこういうしかなさそうなのである― いまあなたが経験していることは、もう起こったことなのです。 「そうでしょうとも」。

 「蛇?」と婦長。「あんたたち、病院の中に蛇を放したの?」
 「まさか。そんなことしないよ」 ビニーは目をまるくして、無邪気な口調を装い、「知らないうちに勝手に逃げ出しちゃったんだ」
 「でも、心配ないよ。ちゃんと捕まえたから」 といって、アルフがポケットから蛇をひっぱりだし、婦長の目の前にぶらさげてみせた。
 婦長の顔が蒼白になった。「このふたりを ―その爬虫類といっしょに― ただちに病院から退去させなさい!」


『ブラックアウト』のときに予想というか期待していたとおりに、この完結篇ではいよいよアルフとビニーのホドビン姉弟が本領発揮して大活躍する。主人公たちが自分の行動を反芻するモノローグが多い中、活発でやんちゃなこの悪ガキ二人は物語のひっかき回し役であり好助演である。
また、ほとんどの台詞をシェイクスピア劇の一節で成立させてしまう老舞台俳優サー・ゴドフリーの英国紳士ぶり、存在感も増していて、二回あるポリーとの対話はどちらもなかなかの名場面である。
最後には1940年代の時代人である彼らとの別れが待っているわけだが、それをきちんと書いてあるのは稀代の‘ストーリーテラーコニー・ウィリスの面目躍如。たとえポリーやアイリーンがこの時代から無事に脱出できたとしても、突然退場してしまったなら、それこそ歴史の歯車を狂わせたかもしれないのだ。この別れが作品のクライマックスになるように物語は進展していき、あるべき姿に整えられる。人間のちっぽけな脳には想像が及ばない壮大なシナリオによって歴史は動いているとでも考えたくなるのだが、ではそれを小説に書いてしまう著者の神経はどうなっているのかと驚くばかりである。
タイムトラベルSFでありミステリ風の構成でもあったのだが、これはいみじくもチャーチルが「われらが最良のとき」と語った時代の歴史小説ということで良さそうである。ダンケルク撤退からウルトラのエニグマ暗号解読、ブリッツ(バトル・オブ・ブリテン)、チャーチルのリーダーシップ、Dデイ(ノルマンディ上陸作戦)の偽装工作、等々ドイツとの戦いにおける重大な転換点を押さえつつ、結局は何百万、何千万の些細な事象が英国を救うべく作用したのであり、タイムトラベラーもそのごく一部にすぎなかったのである。


良かったけれど、もう一度読み返そうという気にはとてもなれない大長篇が片づいてやれやれ。お腹いっぱいなのでしばらくはコニー・ウィリスはけっこう、という感じなのだが、恐ろしき朗報が。あの名作 『航路』 がこの八月にハヤカワ文庫で復刊するとのこと! あれも長いよね…… でも、たぶん読むよね……  あの「ミニ暴走列車」にして「引き止めの天才」メイジーちゃんとの再会。できたら盆休み前の刊行を望む。今夏の課題図書は『航路』で決まりである。