針谷 勉 / 原発一揆

【 針谷 勉 / 原発一揆 警戒区域で闘い続ける“ベコ屋”の記録 / サイゾー (160P) ・ 2012年11月(130724-0727) 】



・内容
 牛たちと運命をともにする! 福島第一原発事故により、牧場の放棄と家畜の殺処分を命じられた農家。だが、それにあらがう男は「一揆」を決意。敵は国、東電、そして放射能。“意地”だけを武器に闘い、絶望の淵で「希望の牧場」が生まれた。3.11以降も警戒区域内で「牧場の牛を生かし続ける」ことを選んだ、エム牧場・浪江農場長である吉沢正巳氏を中心としたドキュメンタリー。


          


殺処分せよというなら、お前らその手でやってみろ!― 原発事故で故郷を汚染された酪農家が痛憤に震えながら思わず口にする。  『阿武隈共和国独立宣言』  の中の一場面だが、福島第一原発から14キロ地点、浪江町にある牧場に、まさしくその登場人物のような人がいた。「希望の牧場」代表の吉沢正巳さんだ。
警戒区域内の家畜は(餓死か殺処分の)「安楽死」という政府原則に抗い、家畜を生かすそれ以外の道を模索しながら現在も三百頭余りの牛の世話を続けている。
経済価値のなくなった牛とともに生きていこうとする彼の‘決死の’活動が紹介されているのだが、それはとりもなおさず、畜主が去った浪江の「その他の牧場」はどうなったのか、人影の絶えた町が現在どうなっているかの(大手メディアではまず伝えられない)レポートでもあるのだった。
著者は吉沢氏の行動に共感し「希望の牧場」事務局長も務めるジャーナリスト。殺伐とした町の光景や放棄されて変わりはてた牛舎の胸をつく写真も多数。

 「子どもやその家族は、浪江には戻らないだろう。だが、おれたちのような中高年が放射能におびえてどうする。なぜ戦わない。たった一年半で心が折れてしまっていいのか。この二十倍、三十倍の長い人生が残っているというのに、こんなことで自滅するわけにはいかないだろう。おれは残りの人生のテーマとして、浪江町の復興のために、東電や国、放射能と戦う道を選ぶ」


政府・東電への抗議活動や講演にも飛び回りながら、懸命に牧場を運営している吉沢氏はエネルギッシュで、被災者にありがちな悲壮感や疲労感を表面には出さない。
26日夜放送のNHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 動き出した時計」は、警戒区域から「帰還準備を進める区域」と五年以上戻れない「帰還困難区域」に再編された浪江町双葉町住民の、帰りたい・帰りたくない・帰せ・帰れないの複雑に渦巻く心境と、故郷を捨てるかしがみつくかの決断の難しさをまざまざと見せつける内容だった。見ていて強く感じたのは、事故直後から政府決定に翻弄されるばかりの被災避難者は、いつまでたっても‘弱者’の立場を強いられるのだということだった。
対象的に吉沢は、右も左もわからぬ土地での避難所生活を選ばず、たとえ政府に背くことになろうとも、目の前のやらねばならない今日の仕事 ―救わなければならない生命がある― に必死に取り組んできた。その迷いなき一心不乱な姿勢を著者は「強さ」と書く。



掲載されているかつての牛舎の写真には、横一列に柵に繋がれたまま、同じ姿勢で頭を並べて餓死した何十頭もの牛が写っている。母牛はとっくに死んでいるのに、そのそばを離れようとしない子牛を吉沢は保護する。 (「いちご」や「ふくちゃん」の)何かを訴えるかのような、黒く濡れたその瞳をひとたび見てしまえば、見殺しにするなんてとても出来そうもない。
どうしたって自分なんかは能天気な野次馬根性と若干のアンチヒーロー視も手伝って、吉沢さんと「希望の牧場」を見てしまうのだが、もちろん現実はそんなになま優しいものではない。
政府通達に従って財産でもある家畜の処分に同意した大多数の同業者や組合からしてみれば、勝手なことをしている「希望の牧場」を許せないだろう。浪江町住民の中には、どうして吉沢だけが町の指示に従わないのか不審に感じている人もいるだろう。役所や管轄省庁は絶対に特例を認めるわけにはいかないだろう。
賠償額の多寡が原因で被災者間に妬みやいがみあいが生じているという。そうしたことはかつて水俣でも起こったことなのだが、被害者はそもそも自分をそんな状況に追いこんだものへの元来の怒りをだんだん忘れていくもののようである。

 決死救命、団結。そして希望へ―。

 それはすべての被災者に向けて、万感の思いをこめた呼びかけの言葉だ。
 「絆」だとか「がんばろう福島」だとかいった政府キャンペーンのような偽物の言葉ではない。大地震、大津波原発事故のなかで、一人ひとりの生き方がいま問われている。そしてこの厳しい現実をくぐり抜けた先に、必ず希望はある。少なくとも、吉沢はそう信じている。


現在も海への汚染水流出を止められない。数兆円もの復興予算が臆面もなく無関係な事業に使われている。原発輸出と再稼働への動き。政府・東電の発表は福島での事故発生直後からあてにならないものばかりだった。いいかげんに不信感は極まっているはずなのに、被災者にとって最も重大な故郷への帰還という決断を、政権は変われど不まじめで恥知らずなのは変わらない政府に委ねねばならない不条理。
そのジレンマを考えると、正しい正しくないなんてことははさておいて、突飛にも自殺行為にも映る吉沢の行動がまことに自然で正直なものに思えてくるのだった。採算を度返しした「希望の牧場」は‘究極のNO!’であり、経済原理優先が政治と思いこんでいる政府に突きつけるダメ出しのカウンターパンチでもある。結局、いつまで続くのかわからない閉塞状況に風穴を開けるのは、彼がやっているような(組織に縛られず、他者を巻きこまない)孤立無援の自主行動しかないのではないかという気がしてくる。被爆覚悟のそれが可能なのは、放射線への感受性が低く、故郷の環境には敏感な中高年ということになる。
経済価値ゼロの牛を生かし続けることに意味があるのか? 吉沢自身にもその問いの答は見つけられないままなのだが、実は牛の命を救いながら、彼自身も救われてきたのではないか。だとしたら、「希望の牧場」に意味がないなんてことは絶対にない。
「一人ひとりが自分で考えて決めるしかない」という彼の信条はまさにそれを実践している生身のメッセージだけに迫力があったのだが、同じような言葉を小出裕章氏の原発に関する文章の中に読んだのを思い出した。そしてつくづく考えさせられるのだ、放射能汚染の現実に立ち向かうことと政府方針に耳を貸すこととは、まったく別の問題であることを。