開高健 名言辞典


最近おぼえた格言 ―

  ・ ゆっくり行く者は遠くまで行ける (出典不明)

  ・ 老人が亡くなることは、図書館が焼け落ちるのに等しい (アフリカの諺、らしい)

  ・ 永遠に生きる者のごとくに学び、明日死ぬ者のごとく生きる (ガンジー

  ・ この天と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学など思いもよらぬものがあるのだ (ハムレット、というより航路)

  ・  夏に暑いと言わず、冬に寒いと言わず (オオカミ族のおきて・その十一) 



滝田誠一郎 / 開高健 名言辞典 <漂えど沈まず> / 小学館 (256P) ・ 2013年 5月(130810-0820) 】



・内容
 「巨匠が愛した名句・警句・冗句200選」 開高健は数多くの名句、警句、冗句をその作品の中にちりばめている。開高自身の名言名句もあれば、古今東西の偉人賢人の名言、古書名著に書き残された名句、世界各地の諺などに夜ごとせっせとヤスリをかけ、蒸留し、精錬し、開高流に表現しなおしてペン先から絞り出した名言名句もたくさんある。そんな開高健が書き残した名句、警句、冗句の中から約200句を選び、アイウエオ順にならべ、それぞれの意味や由来を新たな視点で解き明かした、かつてない「開高健辞典」。


          


「漂えど沈まず」 「悠々として急げ」 「入ってきて人生と叫び、出ていって死と叫ぶ」 「毒蛇は急がない」 「たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」…他々等々、金言箴言の宝庫にして汲めども尽きぬアフォリズムの名人、開高殿下が残した名文句200を五十音順に並べて解説を附した名言集。
まあ、これは「読んだ」というよりはつらつら「眺めた」程度なのだけど。書店で見つけて中身も確認せずにお持ち帰りしたわけだが、薄々感じていたとおりに味気ないものだった。本書の企画・内容に特に大きな不満があるわけではない。けれど、やはりこういうのはズルいしあざといのではないかと、表紙を眺めつつ胸に冷たいものが降りてくるのを感じてしまうのである。



作家の話術に痺れ、文体に酔い、字句を追う。その中で「…(!)」という乾坤一擲、必殺のフレーズにぶつかって、赤線を引いたり、辞書を広げてみたり、ノートに書き写したりする。自分にとっては、そういう出会いも開高を読む楽しみであり、喜びの一つでもあるのだが、こうして‘決めぜりふ’だけ抜き出されていても、ポカーンとするばかりである。 
その一句の出どころ、由来、前後の文脈や類似表現などの解説は過不足なく、「辞典」というタイトルは的はずれではない。けれど、巨匠がうんうん唸ってひねり出した‘一言半句’は、まずあの文体があってのものであり、作家とともに呻吟しつつなんとか歩調を合わせて追走する読者は、最終的に自らの足でその言葉にたどり着くしかない。そのとき初めて自分だけの開高健が見つかる。「読む」とはつまり、そういうことのはずだ。

手近にあった中公文庫『開高健の文学論』から引く。チェホフについて “ 人の分裂した心を描きながらもつねに破片として人をとらえようとはしなかった ” と記し、また、作家が青年時代に熟読したサルトル『嘔吐』については サルトルが編む言葉は一つずつ濡れて光っていて、異様に鮮烈な肉感をみなぎらせていた ” と書いている。
偶然気ままに開いたページに必ずやこんな文が一つ二つはあって、目は釘付けにされる。さすがではないか。作家の体温も動悸も感じられない無味無臭の、おいしいとこ取りの最大公約数的名言集にうつつを抜かすヒマがあるのなら、殿下の原文を一行でも読むべきであろう。200句ばかりでわかったような気になられちゃ困るのである、と巨匠なら苦言を呈しそうである。(実際、もう少しじっくり本書を読もうと思っていたのに、脇に置いて、しばしこの文庫に耽溺、沈潜したのであった)



巨匠は小説以外にも、エッセイやルポ、評論から対談、人生相談まで多彩な文章を残した。特に『オーパ!』やテレビの釣り紀行番組で開高ファンになった方も多いと思われるので、「釣り」関連の警句が多くセレクトされているのを否定するつもりはないけれど、 “ 人間は大脳が退化した二足獣である ” が省かれていたりして、自分のセンスとは少しずれている。全体のバランスが「小説家・開高健」というより「釣り」や「美食」の文化人寄りにシフトしているのは残念で、これは本屋で巨匠の本を探すときに感じるストレスと同じである。 
世の中には自分など足下にも及ばぬ筋金入りの開高マニアがいらっしゃるので高飛車な判断は避けたいものの、これを素直に便利と受けとめられる人と、重鎮には似つかわしくないと感じる人とに分かれることだろう。自分は後者である。



あとがきに書かれているように、本書は今年五月に配信が始まった 「開高健 電子全集」 にリンクする形でまとめられたもの。
巨匠の主な小説は新潮社刊だったのに、電子版全集は小学館から。これはどういうことなのだろう?と思ったり、電子データなら検索してキーワードを抽出するのも容易なのだろうなと思ったり。
小学館のHPを見ると、内容はかなり充実している模様で、全二十回、各巻\1,000_というのもお値打ちである。Mac版がないのはいただけないし、全巻買ったとして一つの端末に入りきるのだろうか、端末が壊れたらどうするのかとか、すぐ壊れる電子機器と全集アーカイブの永遠性の矛盾とか、まだスマホタブレットも持っていないのに、早くもくどくどしく頭を悩ませているのはいつもの悪い病気である。
だけどさ、と自分を戒める。いちばん肝心なのは、自分が巨匠、文豪、殿下とか重鎮とか御大とか心の師とか大兄と崇める作家、「なにやらいかがわしい社会の異物」にして「永遠の野党」たらんとした大いなる小説家、開高健の文章を電子デバイスで読む気になれるかどうかである。第一、紙の開高を全読破していないのに ―それは一生かけての遠大な夢の一つである…(悠々と急げよ!)― 電子版開高を読むのだろうか。いみじくも巨匠が語っているとおり「紙から活字がむくむくと立ち上がってくる」ような‘字毒’体験は液晶画面でもできるのだろうか?
たぶん、そんなに大げさに考えることではない。くそまじめに考えてるうちは電子端末なんて使わないだろうということは自分にもわかっているのだ。その必要が生ずれば、いつか買うであろう。それだけのことだ。


  ・ 開高健 / 夏の闇 直筆原稿縮刷版

  ・ 開高健 / 白いページ、他エッセイ集