梅田明宏 / 礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史


先月下旬、最寄りの図書館の新入荷コーナーにあったのを見つけてすぐ借りてきた。清水FCの歴代選手名簿も付録されていたので手もとに置いておきたくなり、結局買ってしまった。4300円。値段だけの価値あり。


【 梅田明宏 / 礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史 / 現代書館 (630P) ・ 2014年6月 (140725-0729) 】


・内容
 「サッカーの街・清水」はいかに生まれ、日本サッカーにどのような貢献をしたのか? まだ語られていなかった「もうひとつ」の日本サッカー発展の歴史を、一人の指導者を通し描く、渾身のノンフィクション。


          



静岡県のサッカー関係者ならびにファンなら誰でも知っている(少なくとも、その名を耳にしたことはあるはず)堀田哲爾氏(1935−2003、以後敬称略)の業績をたどりつつ、近代日本サッカー史全体をも俯瞰できる内容の長大な力作だった。
昭和31(1956)年、江尻小に赴任した新米教師がボールを蹴ったことから‘すべて’は始まった、というのは県サッカー史の冒頭を飾る有名な話だが、以後五十年にわたって堀田がひたすら情熱を傾け続けた少年サッカーの指導育成を通じて、近年日本代表がワールドカップに連続出場するようになった土壌が丹念に、そして精緻に描きこまれている。
二段組み600ページ超。静岡だけでなく全国の多くの関係者の声を集め、彼らの略歴も省くことなく丁寧に記してある。そのパーツの数を思うと目まいがしそうなほどであり、それを基に数十年前の事実を再構築していく作業は困難を窮めただろうことは容易に察せられた。

 清水の、清水による、清水のための大会― 全国的にはそのように後世に語り継がれているが、むしろ当時の堀田の有言実行ぶりを知る関係者からすれば、「堀田の、堀田による、堀田のための大会」と表現したほうがふさわしかった。両チームの戦いぶりは決して楽なものではなかったが、それでも決勝まで這い上がった軌跡は、まるで清水勢同士の頂上決戦に懸ける堀田の執念に後押しされているかのような印象すら抱かせた。


自分は浜松の生まれ育ち。地元にサッカー少年団ができたのは小学六年時だが、清水三羽ガラスは小三で綾部美知枝先生の指導を受け始めていたのだから決定的に遅い。高校は西部大会一時リーグ敗退の常連。そんな自分でも静岡サッカーの底辺にはいたのだという妙な自負があったものだが、これを読むと、最底辺どころかチリの一粒でさえなかったのだといまさらにして愕然とさせられるのである。
清水FCについて語る藤田俊哉のコメント―「現在の感覚でいうと、清水の各少年団がJリーグで、清水FCが日本代表、みたいなスケール感だった」…… うん、すごくよくわかるという気がするのだが(実際には知らないけれど…)、では、同時期に浜松の「ウィガン」で気持ちだけはマリオ・ケンペスだった自分は何だったのだろうかと恥じ入ってしまう。浜松の100キロ東で起きていたムーブメントのとんでもなさに鳥肌が立つ思いもするのだった。こういうのを読むと、なぜ自分は清水に生まれなかったのだろうという人生そのものへの不満が(何歳になっても)またもや頭をもたげてくるのだ。
  ※ ウィガンはイングランド・プレミアリーグで昇格降格を繰り返すエレベータークラブ。ウィガンではなくても試合で大差をつけられると「おまえら本当はウィガンだろ?」という屈辱的チャントを浴びせられる。


著者は静岡の人ではない。だから、王国を自負して黄金期を謳歌する清水と、実は清水にずっと先んじて圧倒的な全国的知名度を誇った藤枝とをフラットな目線で書いている。おそらく取材をしていて、静岡県サッカー界の中でも清水と藤枝のあいだに微妙なバランス関係があることには気づかれたと思うが、この関係を静岡県人が書こうとするとたいがい変なことになってしまうのである。同じことが高校サッカーのトップにも言えて、静岡学園の井田監督の清水に対するライバル意識は書きにくいムードがあったりもする。そうした柵(しがらみ)を著者はあっさりと突破して、井田監督からも勝沢監督からも大滝監督からも率直なコメントを引き出すのに成功している。
ノスタルジー愛郷心、自分たちこそはの偏狭なプライドとは無縁に、ただひたすらに冷静・客観に事実を積み重ねていく。すなわち上質なノンフィクションがことごとく備えているものが本書にも確かにあって、いつしか自分の先入観や偏見が薄れゆき、よくぞ書いてくれたという感慨を抱きながら読み進めたのだった。


でも、何といっても楽しいのは、そうそうたる顔ぶれがズラリ並ぶ、後のJリーガー、代表に成長する少年たちの逸話の数々である。
清水FC黄金期の象徴として紹介されるのが、大榎克己藤田俊哉伊東輝悦の三人。県のリフティング大会で優勝したのが大榎でそれはわかるとして、準優勝が長谷川健太がだったというエピソードは、その後の二人のキャラクターと関係をよく表していて思わず頬笑んでしまう。選手権で初優勝を果たして凱旋したヒーロー、その長谷川健太にサインを頼んだら走って逃げられたというのは小学生時代の藤田俊哉少年である。テルは小六のときにすでに160センチあったというのだから、その後、背が伸びなかったのだなあ…
高校卒業後、それぞれに道は別れていったが、彼らが子どもの頃にはみんな同じ清水FCのユニフォームに憧れ、袖を通していたというのは、本当にすごい時代だったのだとあらためて思い知らされた。(清水FCのユニフォームはライオンのエンブレムだが、その前身の全清水のエンブレムは? ………… パンダだった)

 全日本少年大会で圧倒的な勝率を誇った第一回大会から第十一回大会までを清水FCの黄金期と位置づけたとき、そこには必ずその時代を彩った選手たちがいた。
 第一回大会でチームを全国優勝に導いた清水三羽ガラスの一角で、最も将来を嘱望された大榎克己が清水FC(当時は全清水)に入ったのは、西河内小学校三年のときだった。


日本サッカー協会の全カテゴリーで静岡県のチームが優勝した年があった。全日少の決勝で清水と藤枝が激突したこともあった。そして、平成三年の高校総体決勝では川口、望月を擁する清水商と伊東輝率いる東海第一が激闘を繰りひろげた… 悲願の「清水FCエスパルス」創設とJリーグ加盟を果たし、いよいよプロリーグがスタートした直後の堀田の失脚。そして、一時代を築いた清水FCの消滅。
堀田哲爾という稀代の指導者を軸に、少年サッカーを取り巻く環境と社会のめまぐるしい変化を交えて、清水静岡のみならず近代日本サッカーを「育成」の観点から照射した前代未聞のめくるめくクロニクル。
気軽に読める本ではないけれど、特に清水エスパルスの現スタッフに読んでもらいたいと思い、メールしておいた。本年ベストの一冊。


読み終えた翌日、今季も低迷するエスパルスの監督交代が報じられた。新監督に就任したのは清水FCを代表する名選手であり、堀田氏の葬儀で弔辞を読んだ大榎克己だった。