ジョー・ウォルトン / 図書室の魔法


ブログを休んでいた期間に読んだ本の一部だけメモ。


 ・W.ムーア「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」(河出文庫)は皆川博子「開かせていただき」「アルモニカ」の元ネタとなった、18世紀英国に実在した人類史上初の解剖医の人物伝にして奇怪痛快な怪作。ノンフィクションながら小説みたいで一気読み。この傑物を下敷きにした人物が下記二冊にも登場して、それぞれに重要な役割を果たしている。
 ・A.グレシアン「刑事たちの三日間」… 切り裂きジャックの戦慄醒めやらぬロンドン・イーストエンドでまたしても連続猟奇殺人が起きる。今度は警官が狙われている。いくつもの場面が同時進行するスリリングなスコットランド・ヤード物。
 ・I.ロバートソン「亡国の薔薇」… 解剖学者クラウザー&提督夫人ハリエットのシリーズ第二作、「闇のしもべ」の続篇。ちょっと「ファージング」ぽい歴史ミステリの香り濃厚! 主人公二人のキャラが立ってきて一作目よりがぜん良くなっていた。このシリーズは続けて読みたい。


 ・ローナ・バレット「本の町の殺人」シリーズ… 古書店経営の女性が主人公。店内で殺人事件が発生したというのに店の再開ばかり気にかけている主人公は現実感ゼロなのに気楽なのでつい読んでしまう。
 ・S.E.マクニール「チャーチル閣下の秘書」「エリザベス王女の家庭教師」… アメリカ育ちのマギーが第二次大戦下英国でチャーチルのもとで働くことになる、というシリーズ。コニー・ウィリス「ブラックアウト」と同背景でMI6や英国王のスピーチがらみの史実トリビア満載。エリザベス王女はもちろん現在の女王の少女時代で、こういう小説が書かれる英国をますます好きになる。これも続篇が出たら絶対読む。


創元文庫ばかりになってしまったので、ついでにもう一冊!



【 ジョー・ウォルトン / 図書室の魔法 / 創元SF文庫(上302P、下286P)・2014年6月 】


・内容
 15歳の少女モリは精神を病んだ母親から逃れ、一度も会ったことのない実父に引き取られたが、親族の意向で女子寄宿学校に入れられてしまう。周囲に馴染めずひとりぼっちのモリは大好きなSFと、自分だけの秘密である魔法とフェアリーの存在を支えに精一杯生きてゆこうとする。1979―80年の英国を舞台に、読書好きの聡明な少女が秘密の日記に綴る、苦しくも愛おしい青春の日々。ヒューゴー賞ネビュラ賞・英国幻想文学大賞受賞作。


          


壮大な歴史改変SF《ファージング三部作》が見事だったジョー・ウォルトンの新刊はがらりとムードが変わって、15歳の少女が日記形式で綴る青春ストーリー。だが、その日記は利き手ではない〈闇の〉左手で、しかも鏡文字で書かれている。クラスメイトに距離を置き、窮屈な寄宿学校生活で心を閉ざす彼女の身に何があったのか、何がそうさせているのか。
ウェールズ出身のモリは故郷のフェアリーを友とし、SFとファンタジーばかり乱読する孤独な少女。成績優秀だが頑ななところのある彼女が唯一自分に戻って心を落ち着かせられる場所は、学校の図書室と愛用のトールキンTシャツ(!)で出かける地域の図書館だけだった……
自分は恵まれていない、変わっている、この世界から疎外されていると思いこみがちな十代の頃の、ときに自分でもわけがわからない支離滅裂な感情は端から見れば滑稽で、でも痛々しくて、それは痛切に自分にも身に覚えがあるものだった。

 「エルフと冥王星人、どうしても会わなければいけないとしたら、どっちがいい?」
 わたしは思った。実質的にこの問いは、過去か未来か、あるいはファンタジーかSFかの二者択一にほかならない。フェアリーにはおおぜい会ってきたけれど、かれらをエルフと呼ぶのは正しくないだろう。トールキンのエルフとは、大きく異なっているからだ。わたしは「冥王星人」と答え、ほかの人たちもほぼ同意見だったが、ウィムだけは「断然エルフだ」と言って譲らなかった。


モリが読んだSF/ファンタジーの作家・書名が次々と日記に書きこまれていく。図書館では毎週限度いっぱいの八冊の本を借りてくる。さらにその図書館で開かれる読書クラブに参加して同好の仲間ができるとその勢いに拍車がかかり、モリはますますSFにのめりこんでいく。(本作に登場する作品リストが巻末に掲載されていて、11Pにわたるその数は200作近い。創元社グッジョブ!)
日記に記される本の感想や作家評に思春期ならではの生真面目さと背伸び感が読み取れるのは本書の楽しさの一つ。本が好きな人は、自分が読んだ作品を他人がどう評価しているか常に気になるものであり、それが読書の愉しさをさらに広げてくれることを知っているから、ここは大いにこの若い主人公に共感することになる(特に読書ブログなんて書いている人間にとっては……)。
若い頃にはモリのように、SFでももっと現実に近いものとして受けとめることができていたはずだ。一般的に年を取るにつれて、本は本という物でしかなくなってくるが、だけどときどきその魔力に魅せられ囚われて抜け出せなくなる作品に出会ってしまい、そしてやはり自分と同じ体験をした人がどこかにいるのを知る。自分の部屋と誰かの部屋がつながる。そんな時空を越える魔法をこの世界で秘かに共有できるのは読書人の特権であり、特殊なネットワークなのである。(「本を通じたネットワーク」とは、美智子皇后さまがおっしゃっていたことである)


この作品は主人公がSF好きだからSF作品なのではないし、トールキン信者のモリが魔法を使うからファンタジーだというのでもない。
話の筋からすると、邪悪な魔力をまとったある人物とモリの、火と風と水をぶつけ合う宿命の決戦がクライマックスに用意されているにちがいないと思いこんで読んでいたのに、下巻の中盤を過ぎてもそんな緊迫感はない。もしかしたらこのままなのかと不安なまま読み進めると、あっさり終わって拍子抜けしてしまった。
読み終えてしばらくたってから、ああ、そういうことだったかとびっくりしたのは、不覚にも15歳が記した並行世界の想像力に自分がついていけてなかったからだ。自分のSF脳の感受性が退化した証拠だろうか? 「ファージング」がそうだったように、この作品も外見はSFらしくないのに、SFとしかいいようがない企みが巧みに隠されていて、ジョー・ウォルトンの手腕にあらためて感心したのだった。(茂木健さんウォルトンの相性の良さも再確認)

 「なあグレッグ、『アンシブル』の最新号、まだ入ってないかな?」
 なんと、『アンシブル』という雑誌が存在しているのだ! SF界の最新情報をSFファンに伝えるための雑誌であり、わたしもそういう雑誌を作るとしたら、躊躇なくこの名前を選んだであろう。なんといっても〈アンシブル〉とは、『所有せざる人々』に登場する超高速通信マシンの名称なのである。


モリが使う魔法として‘カラース’というものがある。ヴォネガット『猫のゆりかご』に出てくる概念で、一言でいうと、仲間や同志を呼び寄せ結びつける魔法というようなものだが、何につけ彼女は自分のその能力が世界を不自然に操作(誤操作)しているのではないかと気にしてしまう。SFマニアの仲間にめぐり会い、その中に気になる男子も見つけるのだが、彼女は(嬉しいくせに)魔法のせいで近寄ってきただけではないかと疑ってしまい、素直に彼の好意を受け入れられない。実は本こそがカラースを発動させる装置であることにモリはまだ気づいていないのだ。
この世界は魔法だけでは成り立たないが、魔法抜きで語ることなんてできない。名刺交換と商談とSNSだけでは世界は回らない。そう断言できるのは、実は何を隠そうこのわたしがカラース・マスターだからであり、その道具として本がもっとも有効なのを知っているからである。本が扉を開けるのだ。魔法を持っているのは君だけではないのだよ、モリ。だから畏れることはないぞ。
舞台は1980年のイングランドウェールズ。日本でも「スター・ウォーズ」や「宇宙戦艦ヤマト」の影響でSFブームになった頃。今はなきサンリオSF文庫に収められていたル・グイン『天のろくろ』、ロバート・シルヴァーバーグ『内死』、サミュエル・R・ディレーニ『エンパイア・スター』、マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』も本書にフィーチャーされている。
三日間、SF以外の話はいっさいしないSFコン(ファン大会)に参加して大興奮しているモリの姿が目に浮かぶ。世界はそうしてつながって、だんだん広くなっていくのだ。