片岡たまき / あの頃、忌野清志郎と


【 片岡たまき / あの頃、忌野清志郎と ボスと私の40年 / 宝島社(255P)・2014年7月 (140812−813) 】


・内容
 ド派手メイクに隠されたロックスターの素顔とは?一人の熱狂的ファンが衣裳係としてツアーへ同行するに至るまで。清志郎が『COVERS』、タイマーズに突っ走ったきっかけ。「ロック界のミステリー」RCサクセション解散劇の深淵に迫る―「清志郎との日々を詳細に書き記した秘蔵ノート」をもとに執筆。40年見つめ続けた元マネージャーが描く、決定版リアル清志郎伝。


          


昨年、清志郎の命日に合わせてリリースされたRCサクセション“悲しいことばっかり”。1972-73年に渋谷ジァンジァン、青い森等のライブハウスでファン(太田和彦氏)が客席で録音していたカセットテープを音源とする、三人組初期RCの貴重なライブパフォーマンスを収めた「オフィシャル・ブートレグ」である。
その一曲目 ‘黄色いお月様’。いきなり「僕がまだ小さかった頃に あんたは胃がんで死んじまった」とぶっきらぼうにがなりたてる清志郎は当時二十歳すぎ。私小説的な四畳半フォークとは一線を画す歌と演奏こそ清志郎の真骨頂だと思っていただけに、とても意外な一曲だった。
彼の両親と子どもの頃の家庭事情を本書で初めて知った。それがあの『カバーズ』制作と無関係ではなかったことも……


自分も含めRCファンは、“ステップ”から“ラプソディ”でブレイクした時期にファンになった方々が圧倒的に多いのだろうと思う。しかし本書著者・片岡たまきさんは中学生になったばかりの12歳時にテレビに映ったこの72年当時の‘ハードフォーク’サクセションに衝撃を受けて以来、十代から二十代前半の青春時代をひたすら「RCの仕事に就きたい」と願い続け、本当にRCのスタッフになってしまった人である。
多感な時期に偶然耳にしたアーティストの虜になって熱烈なファンになる。中には「追っかけ」までするようになる人もいる。だが、そんな人でも自分の実人生とプロミュージシャンのあいだには厳然とした壁があるのを知っていて、コンサートが終われば明日の学校や仕事のことを考え、来週行く別のライブのことを考えたりするものだろう。だが、この女の子はちがった。自分もミュージシャンになるとか大手レコード会社に入るとか広く音楽関連の仕事を目指すのではなく、とにかくRCオンリー、「RCサクセションに就職」それ以外の未来は考えられくなってしまったのである。
だからこの本は全RCファン代表の一冊でもあり、音楽評論家がしたり顔で描く清志郎像よりずっと身近な愛にあふれているのである。

 いろいろな変化があった。しかし、どんなときにもRCを好きな気持ちを忘れたことはない。それは私がRCを、清志郎を知ったときに、私という種から芽ばえた新芽なのだ。人間の心の種にはそういう類の感情もあるということを、RCが教えてくれたのだ。
 私の場合、その新芽はしっかりと育っていった。RCという空に向かって、RCという水分と光を養分に変えながら。


デザイン学校を卒業した彼女は家業の手伝いをしながらRCの事務所やライブイベント会社に求人はないかと電話をかけまくった。答はいつも同じ。それでもくじけることなく何度も問い合わせし続けた。そんな無垢で一途な無鉄砲さが奇跡を招いたのだろうか、ついにRCの会報誌に所属事務所「りぼん」の社員募集の告知を見つける。
そのときの興奮と狼狽ぶりが可笑しい。早い者勝ちではないのに、もう誰かが応募して決まってしまったのではないかと焦りまくる。そりゃそうだ。この千載一遇のチャンス、十年来待ち焦がれた運命の求人を逃してなるものか!
そして、見事に入社が決まったのである。成績書と履歴書を持参して「入れてください」と頭を下げる就職しか知らない自分は、知人でも何でもないのに「たまちゃん良かったねー!」と一点突破を果たした彼女の強運と快挙を祝いたくなるのである。
こうして少女の長年の熱意と執念は実ったわけだが、でも、こうはいえないだろうか?清志郎が彼女を呼んだのだ、RCサクセションが彼女を選んだのだ、と。


だって、そうではないか。われわれが愛した清志郎がアンコールで飛び出してくるときに来ていたTシャツは彼女が切ったり穴を開けたりしていたのだから。テープレコーダーまで入れてぱんぱんに膨らんだツアーバッグに六個も帽子をつっこんだまま持ってきて「一日六個って決めてんの!」としらばっくれてるチャボの不精をたしなめたのだから。タイマーズ清志郎を「ゼリー」にしたのは彼女なのだから。それから清志郎のあのイカしたブーツ、あの‘「ブーツ」と書いてあるブーツ’に関わったのも彼女なのだ(“清志郎を歌う”で矢野アッコさんもはいてたっけ…!)
忌野清志郎とRCのイメージのある部分は、彼女がつくり、守っていたのである。それがどんなに小さな一部分だったとしてもRCにそぐわないものだったなら、どこかでわれわれが好きなRCではなくなっていたかもしれないのだ。本能の天才・清志郎はどこかに自分と同じセンスと匂いをかぎつけていたからこそ、彼女をそばに置いていたのにちがいない。
中学一年だったあの日から40年もの歳月を一人のミュージシャンに ―結婚とはまたちがう運命の人に― 捧げてきた不思議な人生。彼女を巻きこんだその張本人の‘ボス’が先に逝ってしまった……。 その穴の大きさについて語る言葉を自分は持たない。五年経ってようやくここに綴られた文章を静かにかみしめるだけである。

片岡さん、ありがとうございました。清志郎の声と姿が鮮やかに甦ってくる素敵な本でした!