J・ティプトリー・ジュニア / たったひとつの冴えたやりかた


『アルジャーノン』が空振りだったのでリベンジの再読。切り札の一冊にご登場を願った。


【 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア / たったひとつの冴えたやりかた / ハヤカワ文庫SF(387P)・1987年 (140816−818) 】

The Starry Rift by James Tiptree Jr. 1986
訳:浅倉久志


・内容
 やった、これでようやく宇宙に行ける! 16歳の誕生日に両親からプレゼントされた小型宇宙艇で、そばかす娘コーティーはあこがれの星空へ飛びたった。だが、冷凍睡眠から覚めた彼女に意外な驚きが待っていた…。元気少女の愛と勇気と友情をえがいて読者をさわやかな感動にいざなう表題作ほか、星のきらめく大宇宙にくり広げられる壮大なドラマ全3篇を結集!


          


『図書室の魔法』のなかでSF好きの主人公モリが、ティプトリーの新作『愛はさだめ、さだめは死』を『風の十二方位』に匹敵する傑作だと日記に書きこむ場面がある。その後の読書会でティプトリーは男性名だが実は女性であることも話題になる。時は1980年。きっとモリなら『たったひとつの冴えたやりかた』も気に入るはずだが作品内で言及されていなかったので調べてみると、『たったひとつの』の発表は1986年。このときにはまだ書かれていなかった。当然その翌年のティプトリーの衝撃的な死についても触れられていなかった。
自分の初読はたぶん90年代初め。その後、表題作だけを収めた少し縦長のトールサイズの新版も出ていたが、装幀も変わって現在の版になったようだ。「たったひとつの冴えたやりかた」「グッドナイト、スイートハーツ」「衝突」の3編を収録した連作中編集だが、なんといってもこの表題作である。


真夏の夜はSFタイム。暑ければ暑いほど、熱帯夜はSFで夜更かしする。台風の夜もまたいとをかし。まあ気分的なものだが、たっぷり時間があった少年時代の夏休みの習慣の一つで、社会人になっても自分の脳にはそういう読書傾向のバイオリズムが残っている。
遠い遠い未来。地球を離れた人類はすでにファーストコンタクトを果たし、‘ヒューマン’として異種族と広大な宇宙連邦を構成している。連邦の辺境基地から飛びたった探査艇が深宇宙で未知のエイリアンと、あるいは連邦に加わらない敵対勢力と遭遇するというスペースオペラ風の設定なのだが、「たったひとつの冴えたやりかた」のエイリアンは実に意外な形で主人公コーティーの宇宙船に(あるいは、コーティーに…)侵入する。そして、意外な形で親交を深めた二人は意外な結末へと向かい肩を組んで疾走し、深宇宙のイカロスとなる…(涙)。
これはこの宇宙娘の初々しくも健気なキャラクターが魅力的だからこそ、初めてこの筋書きが成り立つのだ。その少女コーティーブラッドベリ「荒野」のジャニスの娘であり、小川一水『妙なる技の乙女たち』の母である。

 コーティーは冷凍睡眠カプセルの準備をすませ、その中にとびこむ。リラックスしたとき、まだ奇妙な感覚が残っているのに気づく。なにかに、それともだれかに、つきまとわれている感じ。 「もしかして、あたしも宇宙を旅する仲間のひとりになったのかも」 ロマンチックに自分にそういいきかせ、小さな“CC”の修正がひとつはいった未来のチャートをまぶたに描く。ふふ! 彼女は暗闇の中で眠そうに笑い、すてきな気分になる。


第一話の表題作を読み始めてすぐ嬉しくなったのは、浅倉久志さんのまさに「SF文体」としかいいようがない文章に首ったけになるからだ。「これだよ、これ!」― 主人公の言動や物語の細部ではなく、文章のリズム感が初読時の自分に引き戻す。仕事とか肝心なことはすぐ忘れるくせに、二十年前に刻まれた感覚は消えていないのはなぜだろう? 初めて読んだ過去と現在をつなぐ未来物語。脳内で時間を超越するトリップ感…… まさに文体はタイムマシンなのである!
いつかこの作品も若手翻訳者による新訳版が出るのかもしれないが、初めて宇宙旅行に出発するコーティーの瑞々しい昂揚感と、異星種シロベーンとの不思議な友情の芽ばえをここまで生気溢れる筆致で描出するのは至難だろう。懐かしくも新しい、なんて言ったら陳腐で失礼かもしれないが、あらためてクラシックの芳香たっぷりな浅倉氏の職人芸に舌を巻いた。彼の新たなSF訳をもう読むことができないのは本当に残念だ。
そうそう、コーティー・キャスの宇宙船(スペース・クーペ)は「CC-1」。以前、自分のクルマにもその名をいただいたはずだったのに、じきに忘れてしまった。次に買い換えたら、今度こそその名で呼ぼうと思っている。


銀河系の辺境にくりひろげられるクラシカルなSFテーマでありながら、この三篇で描かれているのは友情、犠牲、初恋、コミュニケーション、勇気、決断力、などの人間ドラマである(もちろん現代の人間そのままではないが)。冷凍睡眠や超光速推進、クローンや感応者、それにチャーミングなエイリアンなどのSFガジェットを散りばめながら、想像は飛躍しすぎない。
ここに描かれた宇宙は地球上の大海原のようであり、水平線の向こうにいる肌色と言語のちがう未知の種族への知的好奇心と恐怖心とに震えた原初の人間の物語のようでもある。はるかなる未来が舞台だが、人類創世以前の地球でかつて起こっていたことのようにも感じる。そういえば三篇とも異種間コミュニケーションが隠れテーマであったような。 
何光年も向こうの星野にいる船からのメッセージが基地に届くのは数日後。同時進行でありながら、安否を気づかう人々と現地で発生している事態にはタイムラグがあって、この時間感覚のずれも全話に共通の面白さがある。
ちょっぴり淋しくて、少しおかしくて、くすぐったくて。自分もコーティーの先祖の一員であることが誇らしくなって。「たったひとつの冴えたやりかた」は二十年ものあいだ自分が脳内に宿してきた小さなエイリアンだったのかもしれない。愛おしくてたまらないオールタイムベストの一篇。