千早茜 / 男ともだち


(記事にはしてないが)今年三冊めの千早茜さん。『魚神』後ごぶさただったが、『からまる』(角川文庫)が良かったので『あとかた』(新潮社)も読んで、現在◎のお気に入りになっている。


千早茜 / 男ともだち / 文藝春秋(237P)・2014年5月(140907−0910) 】


・内容
 関係のさめた恋人と同棲しながら、遊び人の医者と時々逢いびき。仕事は順調なのに、本当に描きたかったことを見失っている―京都在住イラストレーター神名葵、29歳の熱くてダークな疾走する日常。千早茜、待望の長編小説。


     


今作の主人公は、京都でイラストレーターとして自立しようとしている二十代後半の独身女性・神名(かんな)。同棲している恋人がいて、妻子ある医師との愛人関係も続いていて、そこに大学の先輩が登場して再会する。心許せるその先輩は学生時代からただの男友だちでプラトニックな関係だ。
表面上は三人の男とのバランスが危ういものとして描かれ、読み手はこの主人公の心と肉体の有り様、どこか荒んだ性倫理観を考えながら読むことになる。女性が好きな話題の一つ「男女間のピュアな友情は可能か?」が主テーマだが、自分は女性のダークサイドをなるべく見ないようにしているので、その部分はあまり注視しないで読んだ。

 彰人は「男ともだちか」と小さく繰り返した。
 「なに」
 「いや、なんかずるい響きだなってちょっと思って」


アーティストといえば聞こえは良いが世間的にはフリーランス、自由業。断れない細々とした仕事の締切に追われるばかりの無名のイラストレーター。腕一本で道を切り拓いていく、その覚悟も自信もあるけれど生活の保証は何もなく、実際には一年後にはどうなっているかわからない不安を抱えながら仕事に没頭する毎日。
そんな生活を続けていて、絵本作家になりたいという夢に近づけているのだろうか? 現実生活と夢のジレンマというもう一つの古典的テーマが三つの恋愛パターンの上にオブラートのようにかぶさってくる。この主人公には小説家という職業を選んだ著者自身の経験的実感がいくらかは投影されていると思われるのだが、表現活動を生業とする女性の内面で起こる闘争のひりひりした痛みが生々しく伝わってくる。ここのところが巧みなのが千早さんで、分量としてはさほどでもない本なのに、読むのに思いのほか時間がかかってしまった。


いつかは自分の本をつくりたい。どんな仕事でも手を抜かずに仕上げて締切を厳守する。それをひたすら続けているうちに技術も向上してデザイナーやクライアントの求めに応じた作品を創ることもできるようになった。プロフェッショナルの自負が神名には芽ばえている。
だが、自分が本当に画きたいものを画けているか?というサーチライトは彼女の異性関係にも照らされて、自分が本当に必要としているのは誰かという男の取捨選択に結びついていく。言うまでもなく「自由に創りたいもの」とパッケージ化される商品は同じものではありえない。その迷いを神名がいかに突破していくかにこの恋愛物に擬した小説は懸かっていたと思う。神名の葛藤には著者の自分自身への叱咤も含まれているのではないかと想像してしまう。

 描きたい、と思う。ただの肉体である自分の中に残ったゆるぎないものを、結晶のような光るかたまりに変えて、紙の上に落としたくなる。 
 孤独だ、と感じる時ほど、純度の高いものを描ける。足りないものがある時ほど、自分の理想がくっきりと見える。さびしいけど、事実だ。


小説的には「本当に画きたいもの」と「本当に必要な男」をシンクロさせる形で終わるのだが、その終盤、男ともだちと神名のアドバイザー的存在の親切な知人たちがことごとく神名の不安定な状態を上手に説明してしまう。もう一方の「男ともだち」は置き去りにされ、主人公ばかりが補助されていて、ちょっとこの男が哀れに見えてしまったのは自分が男だからだろうか。この終わり方では神名が望んでいなかった定型の檻に彼女を閉じこめるような形に見えたのだが、どうだろう。
でもそれはストーリー上のことで、会話文の随所に散りばめられている、相手かまわずグサグサ突き刺すような切っ先鋭いセリフの数々が残酷で嬉しい。「やっぱり男なんてエゴの塊。軽蔑ってけっこう楽な感情処理方法よね」とか……、やっぱり女は怖いわーということになってしまうのだが、自分的にはそれはすなわち「千早茜は怖い」ということなのである。
五年前の『魚神』からしてそうだった。『からまる』でも『あとかた』でもそうだったように、この作品でも、読んでいると心が少し流血する。本能や衝動を手なずけようとして、飼いならそうとして、逆に咬まれたり爪を立てられたりして心は血まみれになる。その苦闘と傷みが正直に書かれていればいいのである。言い換えれば、この作家の額にも‘けものの刻印’が見えるのである。


6/22付の日経新聞ブックレビューにこの本が取りあげられていた。書いているのは先日亡くなられた稲葉真弓さんだった。