宮下奈都 / ふたつのしるし


宮下奈都さんの新刊は幻冬舎の「GINGER L(ジンジャーエール)」という季刊文芸誌に連載されていた作品。なるべく粗筋に触れないように感想を書く。


【 宮下奈都 / ふたつのしるし / 幻冬舎(216P)・2014年9月(140928−0930) 】


・内容
 「勉強ができて何が悪い。生まれつき頭がよくて何が悪い」そう思いながらも、目立たぬよう眠鏡をかけ、つくり笑いで中学生活をやり過ごそうとする遙名。高校に行けば、東京の大学に入れば、社会に出れば、きっと―。「まだ、まだだ」と居心地悪く日々を過ごす遙名は、“あの日”ひとりの青年と出会い…。息をひそめるように過ごす“優等生”遙名と周囲を困らせてばかりの“落ちこぼれ”ハル。「しるし」を見つけたふたりの希望の物語。


     


二人の「ハル」― 小学一年の「温之(はるゆき)」と中学一年の「遥名(はるな)」、無関係な二人が主人公。目次を見ると全六話、何年かおきの年月がそこに記されていて、五話めで何かあるらしい。ある時期のそれぞれのエピソードが書かれていて、その数年後、また数年後、というふうに二人が大人になるまで進んでいく。
温之は不器用で協調性のない一人っ子。遥名は頭が良くて要領も良い優等生タイプ。家庭環境の違いからも、その先の将来は何となく想像される。第一話、最初に温之の方が書かれていて、苦労しそうなこの子の話がこの調子で続いていくとつらいなあと思いながら読み始める。
二つのストーリーが一つのドラマになる。逆に一つのドラマを分解すると、いくつものストーリーが含まれている。読み終えて振り返ると、小説の不思議さ、面白さが目に見えてくるようだった。

 仕事が俄然楽しくなった。自分が何を扱っているのか、わかる。それも、とても大事なものだ。もしもこれがなかったらこの世界が立ち上がらない、それくらい重要なものなのだ。温之は静かに興奮した。


少年少女が成長していって、大人のある地点で終わる小説は、子どものときに始まりがあるのか、それとも大人の時点からさかのぼっていって子ども時代が決められるのか、考えたくなる。どんな子かというキャラクター設定が先なのか、成人した姿から逆算する形で少年期が想定されるのか、ということである。
こういう子どもはこういう大人になる。あるいは、今こんな大人だから子どものときはこうだった。そんな規定はない。悪童が凶悪犯になるわけではないし、神童がノーベル賞をもらうとは限らない。子ども時代の自分=大人の自分ではないのだ。
実人生にそういう定型はないのだが、それを一つの物語として書くとなると、まったくでたらめなエピソードを羅列して、こういう人になりましたとはいえないわけだ。どこかに一貫したその人物らしさが必要になる。人物像のそういう整合感というか収まりが自然としっくりくる微調整が上手いなのが宮下奈都さんなのだと、あらためて感心する。しかもこの作品は、それを二粒、読み方によってはそれ以上に楽しめるのだ。


この作品で特に好きなのは、温之が配電図を見ていて道を見る場面。これまでの宮下作品の主人公達もいろいろな職業に就いて、働くことと生きることを自然に結びつけていた。今作でも温之の仕事を巧みに彼のキャラクターの一部として組みこむのに成功している。この仕事選び、主人公の物語上の就職活動ではなく、著者の選択眼の良さが今作でも生きている。作品全体の中の比重は高くはないものの、温之に何をさせるかというのはこの作品のさりげない鍵でもあったと思う。
安定した遥名と不安定な温之。境遇の違う二人をどのように接近させていくか。小説の感想なんて結局は「こんなことありえない」と思うか、「こういうこともあるかもしれない」と思わせられるかのどちらかに大別されのだろうと思う。この作品はもちろん後者なのである。

 「だいじょうぶです。役に立てなかったら帰ってきます」
  帰ってきます?


自己主張のない温之に対し、客観的に自分を見つめることができる遥名の方は順調に進学し就職する。まったく別の人生なのだが、並べられていることで、読者は遥名の方を基準として読んでしまう。
彼女がちょっと凹こんでいるところは寝そべって余裕で眺めていられたのだが、「風は吹かないし、スマッシュも打てない」とそれまでの自分を激しく責める場面に至ってぎくりとした。ひょっとして…… これは他人事ではないのを覚る。そうして、ええ、そうですよ、シュートの場面でいつもパスしてましたよ、それで今こうなってるわけですよ、と自虐に逃げて平気なのだから、やはり自分はスレているのだと二重に落胆したのだった。
二つのストーリーが淡々と並行していく今作。正直に云うと、新天地で新しい創作が生まれるまでの「つなぎ」的な作品かと思って、あまり期待しすぎないようにしていた。手痛いしっぺ返しを喰らったような気分がしている。それは読者としての自分にではなく、自称大人の自分に対しての一発だった。軽く張られただけなのに痛くて熱い。そういう懐かしいビンタを浴びた感じがしている。